一方では、労働が平等解放され、労働する動物が公的領域を占拠するにいたり、これによってはじめて、労働生産性は途方もなく上昇することができた。生命そのものに重くのしかかる必然から、かくして、近代人の生活は日進月歩で解放されていったのである。このことに異論の余地はないが、それと同じく異論の余地のないことがある。労働する動物が公共性を乗っ取ってそこに自分の尺度をあてがうかぎり、本来のみでの公的領域は存在しえず、私的なものがこれ見よがしに公然とまかり通るようになるだけでしかない、ということである。(アーレ