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ブログのご訪問ありがとうございます。色彩治療担当の聖です。🍀🍀🍀ゴールデンウィーク真っ最中。当市で毎年開催されている「第16回びわこジャズ東近江」。街のカフェや病院や市役所や公共施設等でバンド演奏が2日間に渡り繰り広げられました。その中に当院に通われているAさんが初めて出演するということで聴きに行きました!!そこには、いままでのAさんとは全く別人の彼女の姿が!!歌の前のトークも落ち着いていて、歌に入る自然さ。そして、優しく透き通った歌声。なんて素敵なんでしょう
梅雨が明ければ、かっと暑い夏がやってきます。青い空を見上げれば、遠くにもくもくとした入道雲。この入道雲、すごく遠くに感じるかもしれません。でも、それは私の中にあります。本当の私、真我、アートマンの中に立ち現れているのです。みんみんと蝉が忙しなく鳴きます。それも、私の中で起こっていることです。熱い風か吹きます。それも私の中に起こっています。真我、アートマンの素晴らしさは人知を超えています。夏になれば、誰しもお盆休みなどの少しはお休みが取れると思います。この時に、自然に触れて、アート
世界は流れていきます。世界は途切れることなく変化していきます。今、悲しいことが起こっても、一週間後には、状況が一変しています。世界は止まりません。真我実現した肉体は、このことを徹底的に理解しています。そう、徹底的に!です。だから、今使用している肉体にとって、困難な出来事が起こったとしても、ただ静かに見ているだけです。なぜなら、世界は、状況は変わるからです。しかも、何か頑張って状況を改善しようと奮闘することなどありません。なぜなら、何もしなくても状況は変わるからです。ただ、静観
あなたは、自分は何なのか考えたことがあるでしょうか。ほとんどの人は、自分を体だと考えています。或いは、心(思考)だと思っています。しかし、良く考えてみましょう。あなたが5歳だった頃、体はまだ小さく、考えていることも今とは全く違いました。5歳の頃の体は、変化してしまい、今のあなたの体とは全く別物になりました。しかも、ミクロの話になりますが、一つ一つの細胞さえ変化しているのです。今のあなたは、5歳のあなたとは違う物体なのです。あなたは、「そんなことないよ。ずっと私は私だ!」と言うことでし
困ったことややりきれないことも当然起こります。では、この困ったこととは誰にとってでしょうか?もちろんそれは自我にとってです。自我とは、個人の思考や感情のことです。しかし、真我に困ったことなど何もありません。それどころか、嬉しいことも楽しいこともないのです。真我の性質は、静寂であり沈黙です。ただ静かに存在する永遠不滅のスペースであり、純粋意識です。この真我である純粋意識は、世界にそれしか存在せず、他者がいないため、私という感覚がありません。ただ、あるだけです。その中に、ある肉体を中
偉大な先賢たちの説く「サマディのための瞑想」とはどのようなものなのでしょうか。ヨーガスートラでは、心の作用の止滅と純粋観照者の出現を経て真我独存を目指します。そしてそこを新たなスタート地点として、今度はウパニシャッドの世界にすすみ、真我の離脱、無との合一、融合(消融)へと、より深い瞑想の境地を体験してゆきます。ですからヨーガスートラのレベルは、全体から見ると初期の準備段階に過ぎないのです。人生は短いですから、もし真我独存までで時間をとられますと、とても最終ゴール(融合)までは到
まず私たちの真我を知ることです。私たちが真我を知れば、それ以外の問題はすべて明白になるでしょう。「ラマナ・マハルシとの対話より」すべての困難を一気に解決したいなら真我実現です。いわゆる覚醒、悟りしかありません。困難とは、個人の感覚です。ほとんどの人は、自分は個人であるという強い自我を持っています。そのため、都合の悪いイベントが起こると困難を感じるのです。しかし、真我実現したあとはどうでしょうか。再三言いますが、真我実現(覚醒)したあとも自我は残りますが、その自我は完全に真我
「真我は想念から自由になっている」すでにやっていた今もやっているそれが真我だともわかってないくらい自然だから一体だからそれで良いのだ「真我は愛なのだ」真我は自然になっている努力しなくても自然に、才能が発揮できる場所でやってて発揮できる場が与えられているインスピレーションが降りてきたときには何も考えてないでそうしてしまっている場にいてしているホ・オポノポノでは、それを工夫も努力も思考に基づいたものでもないでしているという自分自身の内なる神聖なる知能が自分にとっ
世界中に”引き寄せの法則”の名前を知らせるきっかけになった”TheSecret”という本。その原案となったと言われる2冊の本があります。一つは”エイブラハムによる引き寄せの法則”もう一つは”ウィリアム•W•アトキンソンによる引き寄せの法則”そのどちらにも、同じ内容が書かれています。ウィリアム•W•アトキンソン”低い自分の誘惑を感じた時には、高次の自分(ハイヤーセルフ)に心を集めて、霊感を引き出しなさい。怒りに負
忘我の境地、それは真我です。忘我の我とは、自我のことです。自我、つまり「私」がいないところが、忘我の境地です。この文章を書いている私は、真我探求を終えた者ですが、では、「私」が全く出てこないかというと、そういう訳ではありません。徹底的に明け渡しをした、真我に従順な自我は残っています。しかし、この従順な自我でさえ、大抵は真我(純粋意識)と一体化せず、ただ観照されています。恐らく、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジ、老子などの大覚者は、この従順な自我でさえ、ほとんどなかったのだと
地球に生まれてきた目的を思い出したい!宇宙意識とつながりご縁のある宇宙存在から人生の答えを自由自在に文字で引き出せるようになりたいあなたへたった3日間で内なる神様との約束を文字で書けるスピリチュアル能力不要!初心者でも大丈夫!※自動書記講座リニューアルしました!宇宙存在とつながり魂の約束を思い出す宇宙存在とつながる自動書記3日間コース実は私は20年前に、日本最大のUFO研究団体スタッフとしてUFOや宇宙人の本当の真実を広める広報活動をしていました。
「はじめに言葉ありき」ヨハネの福音書この有名すぎる聖句は、古来より様々な解釈が為されてきた。論理性や知性を差すという説もあれば、神の叡智という説もある。そのどれもが天地開闢に直結する。万物の創造原理ともいえよう。数人の神道家は「言霊のことだ」と説明した。言霊神法の奥義はあらゆる創造の源であり、原理である。それ故、聖書との共通性を見出したのだろう。はじめに言葉ありき原文はΕναρχηιηνοΛόγος(アルケーはロゴスなり)ロゴスには多くの語義があるが、代表的なも
♡前回の記事♡『我。強運の持ち主なり』♡前回の記事♡『キャラ設定の変更』♡前回の記事♡『うつ気(うつき)』♡前回の記事♡『今日の言の葉』♡前回の記事♡『祝♡宇宙元旦』♡前回の記事♡『3…ameblo.jp宇宙じぶん銀行こんにちは。ちひろですいつもありがとうございます♡現実の世界であなたが預金をするように宇宙にもあなた専用の銀行口座が存在すると。そう言われたらあなたはどうお
55:00この世に自分という本性を完成していくことを魂の進化と呼んでいます。今世で生きてる間に私の言葉が理解できなくても心配する必要はありません。また来世という繰り返しの生まれ変わりのあることを知っていただきたい。あなたの神我は、あなたの内なる神は、あなたから一分一秒間だって離れたことはない。あなたに目覚めさすために常に内なる声として内なる響きとしてあなたに語りかけています。それを潜在意識と呼んでいます。今ほとんどが潜在意識に内なる声に自分の耳を傾けることなく、私達は表面意識である物
「Yogen」をシェアしていく前に、私がどのようにハイヤーセルフから情報を得るようになったかについて書こうと思います。今覚えている最初のハイヤーセルフとの出会いは10歳の頃です。その頃私は、「死」がものすごく怖くなっていました。「死んだらどうなるのだろう」ということを考えて、怖くてたまらなかったのです。考えてもわからないし、「何もなくなる」と思うと、それはますます、ものすごく怖かったのです。怖くて怖くて、しばらくの間、今から思うと強迫症状のようなものも出ていました。そんな状態
本日のおコトバもし外的な原因や自分の所有するものが幸福の原因だと考えるなら、所有するものが増えれば幸福も大きくなり、所有するものが減るにしたがって幸福も少なくなると結論づけることは理にかなっていると言えるでしょう。そうすると、もし所有するものがなければ、幸福はありえないはずです。実際の体験ではどうでしょうか?それはこの考えと一致しているでしょうか?深い眠りの中で、人は自分の身体も含めて何も所有していません。それにもかかわらず、不幸であるどころかまったく幸せなのです。誰も
肉体(人間)の悩みの根源は、ほとんど人間関係にあります。誰しも、肉体が生きている間は、この人間関係のせいで、自分を取り巻く世界に惑わされます。さて、肉体が覚醒(悟り)への道や真我探求に足を踏み入れてない場合は、この人間関係や多くの悩みを改善しようと、自己啓発本などを読み漁ることになります。しかし、何度も言いますが、世界は自動的に動いており、起こったことはそうなるようになっていました。なぜ世界は自動なのかは、このブログのあちこちに掲載してますから、ぜひご参照ください。人間関係の話に戻りま
「われわれは途方に暮れ、不安なままでいることを恐れるあまり、宗教、政治あるいは社会的な領域でわれわれに天国を約束する人間たちの後を追い求める。それゆえ、かれらは、実際には恐怖をつのらせ、われわれを恐怖でがんじがらめにしているのだ。」「クリシュナムルティの瞑想録」平河出版白隠禅師の発心(仏となり最高の悟りに達しようという決心)の因が、子供心に聞いた地獄に対する恐怖にあったのは有名な話です。白隠は11歳の時に母に連れられ昌原寺で地獄絵の法話を聞きました。子供にとって始めて聞く地獄
何かがあったから、あるいは自分の望み通りになったから、「嬉しい、幸せ、楽しい」などと条件づけに基づくポジティブな感情は、真の喜びや至福ではない。真の喜びや至福とは、無条件であり、いつも今感じられるものであり、消え去ることはない。そしてそれは、感情ではなく、私そのもの。また、ネガティブだと思う感情は、何かがあったから、誰かに何かをされたから、望まない状況だから、などという条件づけに基づく思考が作る物語によって生まれる。ネガティブな感情が湧いた時、全ての関連づけをやめ、物語に入り込まず(興味
…神の子らが愛に背を向けるのは、自ら望み意識的に混沌の人生を選択する表れだ。愛を否定して生き続けようとする者が、生き延びていかれる場所はどこにもない✨その者の努力が身を結ぶことなどありえないばかりか、失敗、失望、悲惨な結果がもたらされるだけだ…いかなる物事も、愛が欠けている限り行き着くのは混沌、無秩序状態だ。物質がそこから脱け出し、再び適切なかたちで用いられるには、何としても愛が必要だ。愛と結合すれば、完全なものを生み出すようになる✨これは宇宙全体にも個々の人間にもあてはまる生命の法
全ての出来事が起こるべくして起こっています。なぜなら、世界は意識の中で、自動的に変化していくからです。私達は、まるで私個人が自分を動かしているように思っていますが、それは全くの勘違いなのです。今、辛いこと、悲しいことが起こったとしても、あの時こうしていれば、と後悔したり苦しんだりする必要はありません。すべては、起こるべくして起こります。そして、自動的にすべてがまた変化し、状況は変わります。だから、ただ見ていれば良いのです。すべては、意識の中で起こるドラマですから。私の人生は、あな
武藤さんのお話会だよ真我に触れる会毎月第3土曜開催5月18日(土)13:00~15:00自分の中には聖なる存在があります。それはベールに覆われていてなかなか気づくことができないけれど、1つずつそれをはがしていくと、自分の中の神とひとつの部分が現れます。ベールとは簡単にいうと(思い違いのまま抱えている信念のようなもの)です。会の中でそれを少しずつ取り除いていきます。質疑応答あり参加費:5000円ところ:練馬はぴねすお申込み・お問合せメール
表現をしているのは「心」「私」は何も表現しないもし「私」に無理くり表現させたなら「あ〜〜〜〜」と発声するだけ真言宗の訓練みたい(笑)基本、文字はエゴにならないただ心はエゴそのものだから「あ〜〜〜〜」と言い続ければ心が「あ〜〜〜〜」をエゴにしてしまう(笑)表現は全部エゴだから「私」に表現させるのは無理(笑)私の表現は「現実の全て」になるそういう意味では「心」も「私の表現」になる色即是空空即是色だ(笑)心の正体それは◯◯さんと呼ばれたときは〜いと反応してるモ
知識や知性は、素晴らしいものです。社会において、博学な人は非常に尊敬されます。また、教養があれば、その人生がさらに彩られるということは間違いないでしょう。しかし、良く考えてみてください。例えば、医師や弁護士、また学者などは大変博学です。さて、彼らは苦しまないでしょうか?彼らは生涯、穏やかに楽しく過ごせるでしょうか?いえいえ、そんなことはありません。博学であることは良いことです。しかし、真我探求の道、つまり悟りの道を選んだのなら、知性や知識よりも内観です。私は一体何者なのか、こ
さて最終日、朝のYouTube配信を朝日の見える場所で行い、高野山/空の瞑想リトリート最終日シェア(真我覚醒ヒーリング7名、結縁灌頂、プラサードマントラ)朝の無料Youtube誘導瞑想30分間|〜空で繋がる万倍瞑想/5月6日(祝・月)【LIVE】朝6:30〜空の瞑想村上浩樹【瞑想】をすることで人々が真にしあわせになることを願い、【空(kuuu)の瞑想】を多くの方にひろめ、分かち合うためのチャンネル。【空(kuuu)の瞑想】の実践を通して得られる「多様多次元的な効果」と、それ
真我探求に入った肉体は、悪戦苦闘しながら真我実現に向かいます。では、真我実現(覚醒)したあと、世界はどうなるのでしょうか。実は、覚醒後も相変わらず夢は続きます。悟ったあとも、真我の中に世界は現れ続けます。世界が変化し続ける幻想であっても、視点となる幻想の体が立ち現れる限り夢は続くのです。真我を実現したからといって、世界は幻想だからといって、いい加減に生きて良いということではありません。そして、いい加減に生きることもできません。なぜなら、すべてを動かしているのは、真我つまり意識であり
無執着(捨てる)こそ、幸せをもたらします。幸せとは静寂です。この世界は、意識の中に立ち上がります。意識こそ本当の私であり、真我です。誰でも、自分は体であり心だと思っていますが、そうではありません。意識の中で、世界も体も心も自動的に動いているのです。これを実感するには、真我実現しかありません。さて、すべては自動的に動いていますから、個人にはすべてどうすることもできません。したがって、結果は個人でコントロールできるものではないのです。だから、無執着に努めることです。執着なんて何の
おはようございます。瞑想中に受け取ったメッセージシェアさせていただきます。。自我とはあって当たり前自分とは何か?自分とは何者なのか?真我とも言うそれに対してその自我が強すぎて、執着にまで膨れ上がった思いがエゴである。エゴまで育てないようにでも自分自身の自我、真我は大切にしつつ己を生きるあって当たり前の思い誰しもの心の内に内在する思い。だが、思いが強過ぎるとエゴへと変貌する。自らがしっかり感情をコントロールしながら上手に自我と付き合っていくことがとても
誰しも生きていれば、苦しい、辛いという感覚は湧き上がります。これは、実は必然であり、またこの感覚が湧き上がるのは自動であり、あなた個人のせいではありません。さて、覚醒(真我実現)した肉体は、格段に苦しみが減りますが、使っている肉体に全くネガティブな感情が湧き上がらないかというと、そうではありません。はっきり言って、使っている肉体も、この幻想の世界で、ドラマを演じ続けなければいけませんから、ネガティブな思考は自動的に出てきます。楽しいばかりではドラマになりません。しかし、覚者の場合、その根
サトリってどんな人?2分で読めるサトリの簡易プロフィールこの世界は、『真我と現実の一致』という世界観の前提があって、ここに、『起こることは、すべて正しい』ということの根拠があります。そして、その間で、人の『自我』だけが、ゆらゆらと揺れ動いているのです。個人個人の抱く『思い』、それが織り成すストーリーは美しいものですが、すべての『現象』というものは、自我レベルの思いとは関係なく、『ただ、起こっている』ということです。確かなものは真我・現実の方で、自我だけが不確かなもの