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義父が亡くなってから本格的に【相続】の件で動き始めましたが、まあ、なにせやることがありすぎて(汗)時間も労力もかかりますね。私は相続人ではありませんが、旦那さんができないところを(平日は会社員のため動けないことが多い)サポートしているって感じです。今回は、【相続】の問題を深掘りして私たちがこれから「どう生きるのか」ってことを考えていきたいと思っています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日は2回目の訪問診療でした。だけど、その前に急遽訪問看護の方が来てくれてオムツ交換だけしてくださりました。飲み込む力が弱っているので、飲み薬じゃなくて貼り薬の痛み止めを処方して下さりました。点滴をどうして行くかなどを相談。最後に玄関の外まで見送って、実際のところあとどれぐらいなんでしょう?と聞いたら、短い日数を言われました。会いたい人は早く呼んであげてねってこのまま家での看取りの方針を確認しました。いろいろどうすべきなのかアドバイスも頂けました。今週から介護休職にしたというの
以前、車椅子の移動で畳がボロボロになって困っているという記事を書いたのですが↓↓↓『今、一番困っていること!』義父が入院先の病院から退院することになって急遽、準備した介護ベッドや車椅子。急に決まったので本当にバタバタでした。そして、最近のもっぱらの悩み…ameblo.jpあのときに買ったデスクマット。↓↓↓アレ、買って正解でした。というか大大大大大正解でしたこれね!【Amazon.co.jp限定】クモリ(Kumori)デスクマット厚み2mmチェア
※義父は骨折して入院していたときに肺がんステージ4であることが分かりました。進行の速さから小細胞癌であると言われました。肺がんでもう先が長くないと分かったとき、医師からは「帰れるなら、早めに自宅に帰ったほうがいい」と言われました。ただ、私と家族は困惑しました。退院するとなったら私たちの生活もいっぺんするからです。骨折が完治していないので自宅でも完全に車椅子の生活。私は在宅で仕事しているとはいえ、
私の母は人口股関節の手術をして数年後に腰椎圧迫骨折で歩行困難になり認知症の夫との二人の介護は難しくなり4年前に介護施設へ入居しました。同居していた母がいなくなると当時私は仕事をしていたため夫が昼間ひとりになり、毎日徘徊散歩で私は帰宅時にGPSで夫を探して帰る日々でした。当時住んでいたマンションは最上階に大家さんが住んでおり、状況を察知した大家さんから実質追い出されました。その後知人の居る秋田県へ移住しましたが1年後母の居る介護施設の近くへ引っ越しをし、コロナも収まり面会もで
看取り介護を終えてふと思うことがあった。「最期を自宅で過ごせたんだから、幸せだったよね〜」と、、、よく言ってもらうのだけど、(親戚のおばちゃんとかいろいろな人に)「本当に幸せだったのかどうか?は分からないよなあ」ってこと。*屁理屈や自己批判ではなく、客観的な視点での意見です。もしかしたら、緩和ケア病棟で過ごした方が幸せだったかもしれないし、ホスピスで手厚い医療を受けられた方が幸せだったかもしれない
今朝、ヘルパーさんが来て、おむつ交換をしてくれたとき、尿が出ていませんでした。あー。このときがきたかー。と思いました。死期が近づくと、尿がでなくなると聞いていたので、いよいよかー、と思ったのです。そして、その後も何時間経っても尿がでないし、夜になると無呼吸の回数が増えてきたので、こんやは義父のそばで見守りたいなーと思っています。ヨメ
最近、コメントの返信がなかなか出来ずすみません。頂いたコメントは有り難く読ませて頂き、パワーを頂いております。何度泣いたかわからない位、本当にありがたいです。この所、今まで以上にやる事が増えてしまいなかなか自分の時間が取れずにいます。夜は強制的に眠剤+頓服で眠るようにしているので、なかなか返信出来てませんが、いつも温かいコメント助言を有り難く思っています。僕の体調ですが、怠さ、食欲不振、続いています。朝はR1ヨーグルト、昼はたこ焼き1個、病院から頂いている栄養ドリンクは味が合わないの
こんにちは(❁´◡`❁)1日空いたけど更新できそうです早速ですが私の現状ですこうして文字に起こすということは過去の出来事を鮮明に思い出そうとする毎回やなぁついさっきまで、私は成長したもう大丈夫って言い切られへんけど言える←語彙力wwwそう思ってましたがまだまだやなーーーーーーーー(ノへ ̄、)ここで沢山の先輩方がコメントやメッセージをくださってた言葉が身にしみる何年たっても何十年たっても。。。すなわち
昨日の義父は朝からよく笑っていました。いい顔をしてました。深い眠りから覚め、すこしだけ話もできました。きてくれた来客の人の問いかけにもうん、とうなずたいたり、笑顔を見せてくれたりしました。ただ、夜は、なんども痛そうな顔をしていました。レスキューとして処方してもらっているナルラピド錠を1時間おきに二錠飲ませました。すると、その後は落ち着いてぐっすり眠りにつきました。ーーーーーー痛がっていたときにすこしだけ、痙攣のような動きを見せたので旦那さんはとても驚いてい
昨日の午前中に再び父が救急車で搬送される看とりと終末期医療の捉え方が私と老人ホームでどうやら違うようです看とりは最後まで健やかな生活(食事、排泄)を送れるサポートするようで終末期医療は、延命を諦め生活の質(疼痛コントロール、胃ろう等)を落とさず最後までサポートするようですただ、終末期医療(ターミナルケア)可の施設なんですよね…まだ、治療すれば治る見込みがあると踏んで入院させているのか昨日は熱があり食事を食べないいつもと違い元気がない→看護師→訪問医の判断
看取り期に入ったであろう、入居者さん。2泊3日のお試しショート利用から、帰宅。特養のケアマネに確認すると思ったよりも食事を摂取しており、受け入れ可能との返事をもらった。ありがたい。🙏帰宅後、おばあちゃんに三笠をだしたら「美味しい」と言って、頬張っていた。よかった。特養の環境でも大丈夫そうだ。👍来週の火曜日から、完全に特養へ住み替えになるので、退去準備に入る必要があり、忙しや。お部屋の洗い、クロス張り替え。そして、−1床。早く、入居者を見つけなければならん!疲れるな…。
みなさま、本当に本当におひさしぶりですすごく久しぶりにブログ更新します皆様、更新していない間にも沢山の方に訪問していただきありがとうございますそしてフォロー外すことなく見守っていてくれた方々本当にありがとうございますみなさまいかがお過ごしでしょうか??私は今あの時の自分からは自分でも周りからも想像できなかった生活を送っています決して悲しみや不安が消えたわけでもないだけどあの悲しみを自分の糧に変えれていることは確か
2022年4月16日(自宅での次男の様子)朝、起きて次男の様子を見ながら家の事をしていた。胸で呼吸をしているのを確認していたらいつもと、少し呼吸が違う?胸の動きが小さくなってきた?9時頃からベッドサイドで様子を見る呼吸が弱い?大きく息してる方がまだ良くて、小さくなってくる方がダメだと訪問医の先生が言ってたのを思い出す。三男は部活へ行っていて家に居なかったあわてて長男と四男を2階で寝てるのを起こしに行く「次男・・大丈夫・・?」と聞くけど虚ろ。意識ももうろうとしてきる?
・2月27日(月曜)明日からVAC9クール目のための前日入院。スーツケースコロコロして1人での電車移動にもすっかり慣れ、病室でも手際良く荷物を片付けバジャマに着換え、あっという間にやる事が終わってしまい、すっかり入院慣れしてしまった😅全く嬉しいコトではないが…母は明日の朝の子供達の朝食の支度をするからそれが終わってから明日帰ることにしてくれ、夕方には義理姉が来てくれるから、みんなの協力に本当に感謝だ❤前向きな人のブログに、「運を引き寄せるには明るい言葉を常に自分で言っている人だ」
棺の奥には今朝まで使ってた介護ベッド。今日の10時までここで、たしかに息をしていたんでした。病気は難くないしだれも悪くないしただ義父は肉体を離れていっただけ。生命が終わるさまをありありと見せてくれた義父。偉大です。でも。急すぎる訃報に、友達や親戚のみならず近所の人たちもショックを受けていました。私たちは日に日に変わる様子を見てきたけど、元気な義父しか知らない人たちはショックすぎて言葉をなくしています。みんなから頼りにされ愛されていた義父。やっぱり、
義父、4月8日10時30分に亡くなりました。穏やかなさいごでした。亡くなるまでの過程を事前学習していたので、落ち着いて看取ることができてよかったです。とくにドクタートッシュ先生の動画は旦那さんも一緒に見ていたので呼吸の変化などにも慌てずに対応できました。落ち着いて看取りができたのは先生のおかけです。↓↓↓ドクタートッシュ緩和ケアの本流心療内科医のドクタートッシュ(四宮敏章)と申します。当ユーチューブチャンネル「緩和ケアの本流」では、がん対策やがん治療、寿命や命の大
めるちゃんの為のカンファレンスのこと本当は、書かなくてもいいのかもしれない。でも、日記として残しておきたいから書く。本来めるちゃんの在宅に向けてのカンファレンスだったけど前日に緊急入院してしまったので今後どうするかのカンファレンスになった!「お母さんとの大切な時間を二人で」「次はもうない。お母さん覚悟を」「看取りとなるとヘルパーは怖くてやれないから、看護師に任せます」「移動はめるちゃんしんどいから後一回。だから、在宅か、施設で看取るかのどちらかで」この人たち何話してるんだろう
義父が亡くなる2週間くらい前のこと。転倒してしまったことがありました。そのとき、旦那さんはとても驚いて、動揺して、バタバタと動き回っていたのですが、私はそんなときでもわりと落ち着いて対応できます。あわてふためいている旦那さんを見て義父は「まったく、男はダメだな」と言って、舌をペロッと出しいたずらっこみたいに笑ったんですよね。そのお茶目な笑顔がなんとも義父らしくてよく覚えています^^退院する前にむ、看護師さんに「心配なことはありませんか?」と聞かれていたけど
時間はどんどんと過ぎていく正直、当日の事を振り返ってもあの時どうしたっけ??って思い出せない瞬間もあるそして、まさに式の事が要所要所でしか思い出せないそして、その時もなんだかドラマを見ているような気持だった勝手にことが進んでいく心ここにあらずの様ながっつりあるような訳が分からない式は進み、出棺の準備が始まった皆でお花などを入れるあれその時、蓋が開けられた状態にチャーーーーーーンスチ
今日はとても共感できる大好きな友人のブログについて共有したいと思います♡彼女は看護師という立場ですが施設で働いているため仕事の話を聞くと共感できることがたくさんあります。そして立場は違えど利用者や家族に対する想いは一緒なんだなぁと感じています今回も彼女のブログを読み『看取り』について考える機会となりました。大好きな祖母が他界したこともあり、いつかは『看取り』について書きたいと思っていました。人は誰でも必ず最期を迎えます。
↓前記事からの続きです。『婆さん事件簿急変』実は婆さん前記事事件の1週間後に脳梗塞を起こして入院しました。担当医の話では脳の真ん中辺りの血流が悪くなっていたので鬱だと思っていたのは認知症だったのでは?……ameblo.jp「入院になります。」と先生からお話があった時先生からも質問がありました。先生「お義母さんの状態は今すぐ命に関わる状態ではありませんがお義母さんは今後口から食事ができなくなる可能性があります。もし口から食事ができなくなったら胃ろうをご希望され