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「光る君へ」第十五回「おごれる者たち」の回の、ラストの予告編にこのシーンが来る、というのは、なんというか、皮肉ですね。宮廷じゅうがこぞって「この親にして、この子あり」と囁いている様子が、ドラマで明示されました。親というのは道隆と貴子、子というのは、伊周と定子。つまり、この一家(のちに中関白家、と言われる)は、いま宮廷で、親子まるごと嫌われているんです。大きな声では言えませんが。ききょうさんは、「漢詩の会」「和歌の会」で目立った活躍を見せ、高階貴子さまの目にとまり、中宮定子の御相手の女房に
目に見えぬ分だけ、人間の心ほど傷つきやすく壊れやすいものはないのかもしれません。(婉容皇后1906〜1946)結婚は今も昔も最大の関心事女性にとっては結婚によりその後の人生、生活を左右されてしまう。間違った相手と結婚した場合、現代では離婚は可能です。しかし100年前に生きた婉容には離婚は許されず、上下左右ガラスの箱に閉じ込められ、自由を奪われたそのまま39年の生涯を終えた女性がいました。それはラストエンペラー溥儀の妻であり、満州帝国の皇后、として有名な婉容。この美しき皇后は、清
2013年6月29日記事英国名「エリザベス」様への鎮魂清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の皇后、婉容様。1906年11月13日~1946年6月20日、わすか40歳足らずのご生涯。1987年の、ベルナルド・ベルトルッチ監督作品の映画「TheLastEmperor(ラスト・エンペラー)」では、才媛、陳冲才媛(ジョアン・チェン)様が演じられ、空虚で悲壮な皇后の姿をスクリーンに焼き付けておられました。ラスト・エンペラー、愛新覚羅溥儀様。300年近く続いた、清王朝最後の
皇后が死んじゃいましたよ。がっかりですね懐妊してたのにに突き落とされて流産し足も動かなくなってやっとまためでたく懐妊して難産の末に皇子を産んだのにね。その子も火事で殺されて今回はこの人が悪魔です瓔珞がいない間に仕組まれた策略瓔珞が皇帝に言いたいこと言ってくれた皇后は皇帝を愛していたから命がけで子を産んだ、と。でも、皇帝は皇后の責任を果たさないで死んだことを弱い、と言った。皇帝の立場もわかるけどやっぱりヒドイ瓔珞は自害を申
繋がりませんか?こちらは以前エズラが投稿した写真へぇ〜天皇皇后で6月に英を訪問🤔無糖天皇皇后両陛下が6月下旬にイギリスを公式訪問宮内庁と英王室が発表チャールズ国王からの招待https://news.yahoo.co.jp/articles/1d8880b84ddf5c23c67a2baf7df46a00d32ffd66t.me恐らくこの辺りでお葬式ということかしらね🤔早くみんな纏めてさようなら👋またまたまたまたまた売切れ銀高騰で値上がり在庫切れ続出もう3万円以下
(ジナイーダ・ユスポヴァ1861〜1939胸元には大粒の美しい真珠が見えますがこれは「ラ・ペレグリーナ」という名の大変由緒ある品だそうです。)ロシア屈指の名家出身で、絶世の美女、ロシア皇帝一族であるロマノフ家より裕福だったユスポフ家の唯一の女相続人で脚光を浴びた美女、ジナイーダ・ユスポヴァですジナイーダの実家、ユスポフ家はモンゴル帝国のジョチ・ウルス重臣マンギト部に出自する14世紀タタールの雄エディゲ後裔ユスプを家祖にするロシア屈指の名門で、ジナイーダはユスポフ家の最後の男系子孫として
そうそう、気になっていたんですよ富察皇后が自害した日、爾晴来てましたよね皇后に会いに。それから、触れられずにいたからあの日のことなんだったのか忘れた頃に・・・。生まれたばかりの皇子を謀られて殺され、打ちのめされている皇后に追い打ちをかけた爾晴優しい皇后は爾晴の芝居とも知らず。皇帝を騙し、子を宿したのにとか言ってる流石に皇后もそうそう白々しく皇后の悲痛な心鬼の表情で言いましたねそのことが、やっと琥珀
先日から過去の記事を読み返しているのですが、2013年10月8日の『明治宮殿の暮らし』の中で使わなかった画像が沢山、画像フォルダ内に残っていたので、明治宮殿の画像をこの機会に公開しておこうと思います。1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で桜田門外の参謀本部が爆撃され、その火の粉が風に乗って飛び火し、明治宮殿は全焼しました…。そんなワケで、在りし日の明治宮殿を個人的に振り返りたいと思います…。明治宮殿は、旧・江戸城西の丸の跡地に建設されることが決定しました。1884(明治17
皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。該当する偉人がいない場合はお休みです。長文につき、時間があるとき、興味が
53話まで見終わりました!色々ありすぎ❗華妃亡き後、皇后の本性がじわりじわりとデテキマシタヨ❗華妃に見下されてたと思いきや、手のひらで転がしていたのね‼妃嬪を操って邪魔者排除しまくりね。皇帝の跡継ぎに一番近い第三皇子の生母斉妃から、第三皇子を奪い取り、皇帝になった時に斉妃が皇太后になることを危惧して、斉妃をけしかけ葉貴人に薬を盛らす。即座にばれてしまって、自殺するように諭す。こっわー実の姉の純元皇后も、皇后が殺したっぽいしね。それはそうと‼果郡王様と莞嬪がついに!結ばれる~‼陛下
①から続きます。雅子さまは外務省勤務のキャリアウーマンで、何でも出来る良家のお嬢さんで、皇室に上がられてからも羨望の眼差しで見つめていました。少し付け加えさせて頂けるなら、どちらかと言うと紀子さま派の私です。
こんばんは。ヤバイです。蒼の三国志へのモチベーションが上がらずゲットした張コウもプレボに放置する有様。やらなきゃと思うと余計に嫌になるのでしばらくまったり行きます(^◇^;)さて、蒼の三国志の外伝ではいつもの外伝武将とpt外伝くらいしかやる事がありません。食事処合わせてマックス150飯だと5分でやる事なくなります。が、今はこれが楽で良い♪天下武闘とオンラインは時間がかかるのが苦痛に感じてきました(;´Д`)ハァハァ笑そのお手軽な外伝。シン皇后も武器も既に持ってる人にはあげないん
明日はいよいよ国内外要人を招き、皇居で即位礼正殿の儀が執り行われる。そこで拙宅ブログでも皇后・雅子さまの特集を組んでみた。お印はハマナス。●Wikipediaならびにその他サイトより記事・画像をお借りして引用させて頂きました。
「弘徽殿の女御さま、どこがお悪いの?」「帝の寵愛が深すぎるのよ」「お気の毒~」「、お幸せ~」宮中、怖いっすね。花山天皇に入内した「忯子(よしこ)」は「弘徽殿の女御」と呼ばれています、これは、源氏物語にも出て来た名前ですが。古典文学に詳しい方、特に源氏物語に詳しい方々には先刻ご承知の話でしょうが。調べてみました。天皇の妃には「皇后(中宮)」「女御」「更衣」というランクがあります。基本、中宮は一人ですが、女御、更衣はそれぞれ何人もいました。いわば中宮は正室、女御は側室です。「中宮」
あらすじー富察傅恒に振り向いてもらえない明玉は、瓔珞に当たる。しかし瓔珞は捻挫を治し、手を揉んでやるのだった。長春宮に富察傅恒がやってきた。「瓔珞を正妻として娶りたい」と皇后に手助けを頼みに来たのだ。皇后は瓔珞の気性を知っているため難色を示すが、富察傅恒は引かない。結局姉頼るのだと皇后は眩暈をおこす。皇后ご懐妊。長春宮に皇后を見舞いにきた嫻妃は、入れ違いで帰っていく太医の口から弟の話しを聞き衝撃を受ける。皇后に言われ刑部に治療をしに行った太医は、その直前で呼び戻されたというの
大家好!天津赴任、3年目の陽陽ヤンヤンです!私のブログは「天津yanyan」で簡単にググれますからネット検索してくださいね!今後天津赴任が決まって今日本で中国赴任の準備をされている方の為になかなか日本で情報を得られない最新の天津事情をお伝えします。毎日ブログを更新していますので、各テーマ別にファイルしている過去の記事もご参考ください!!今回はWOWOWで毎週木曜日に始まった中国歴史ドラマの初回放送の感想などを皆さんにお伝えしたいと思います。ネタバレ無しです。ご安心ください。予習
戚夫人!人豚の刑事件、呂雉皇后死因、ドラマな最期、自業自得も解説戚夫人は、呂雉皇后と劉邦の妻の座を争い、...history-ancient.com
若い人には聞き馴染みがないかもしれませんが、「小和田雅子」というのは皇后妃殿下雅子さまの旧名です。そして「川嶋紀子」というのは秋篠宮皇嗣妃殿下紀子さま(僕と誕生日が一緒)の旧名です。このお二人の名前にはとても不思議な縁があります。知っている人も多いと思いますが、意外と知らない人も多いのでちょっとそのことを書いてみますね。初めて聞く人はちょっと驚きますよ。言うまでもなく、このお二人は天皇家に嫁いだわけですが、その前は民間人でした。そして小和田雅子さんと川嶋紀子
ラブコメというよりは殆どコメディ💦とにかく平和👌全36話リー・ホンイーが男主なので見始めたんだけど、このドラマ!主役はヒロインの父!のようなドラマだった👌一見すると、王座を狙う悪役のようなヒロインの父しかし!先帝の願いであった息子を立派な皇帝にするという約束を陛下に嫌われても誤解されてもサポートし続ける凄くカッコいい役どころしかも、宮廷では権力者であるが嫁にはベタ惚れで頭が上がらないこのギャップが面白い🤣ヒロインを陛下に嫁がせたのも『陛下には持っていない