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小春日和の日山口県美祢市へと向かった。今回は他のブログでも紹介されている旧櫨ヶ谷炭鉱に入る。昭和36年11月、宇部興産櫨ヶ谷炭鉱は設立された、現地に到着するも何処に位置するかは全くわからずとりあえずこの資料を握りしめ探し歩く。旧大嶺駅付近から歩く事数十分脇へと入る林道を発見した。未舗装の道を登って行く、最初は険しい道程となるなと覚悟していたが、それほどでもなかった。そのうち足下に石炭が数個確認できるようになり斜面にボタが多く見られるようになる。この道で間違いな
今回最後の調査旧美豊炭鉱に訪れる前に萩嶺を詳しく調べる。旧大明炭鉱元鉱員の方とお話しする機会を与えていただいた。縁故とはすばらしいものだ。萩嶺とは大明の採炭現場からさらに300m南側に位置し大明炭鉱の坑口より10mの標高にあったという。大明炭鉱のすぐ隣で採炭していたようだが全くの別会社との事でした。旧大明炭鉱元鉱員の方のお話しを聞終え旧美豊炭鉱跡へと向かう、(国土地理院昭和50年度航空写真)この航空写真引き(縮小)の写真を見て周辺に怪しいヶ所がいくつも
泌尿器科で、検査のために、2回、「前立腺マッサージ」をされたことがある。医師が「マッサージ」と言ったので、エロ動画で観る、あんな大変なことになるのかなと慄いた。しかし、医師は無表情で透明な手袋をはめ、肛門から数センチの奥を2、3回押しただけだった。これを「マッサージ」というんですか?と聞こうとしてやめた。何か透明な液体がわずかに出たが、痛くも気持ちよくもなかった。のちに、前立腺炎の痕跡がある、と言われたが、特に覚えもなく、症状もなかった。
今回は2回目のショッピングセンター巡りです。今回訪問した場所は・・・・・臼井駅前の元ジャスコのイオン臼井店です!なぜここを選んだかというと、自転車で行けなくもない所で、JUSCOの2代目ロゴもあるかもしれないからです。ここは、レイクピアウスイというショッピングセンターに開店時からジャスコが入っていたようです。上の写真はウィキペディアに載っているジャスコのロゴの画像です。左側の紫でジャスコと書かれているのは1990年~2011年(イオンに統合された年)使用されていた3代目ロゴで
相変わらず毎日お家にいます。東京も日常を取り戻しつつありますが、私の勤め先は「まだ出社しないで、家でお仕事しててー」という有難いお達しのままのため何ら変わらない生活を送っております。家で仕事しても効率が落ちないどころか、むしろ良くなってるのでね、そりゃ無理に出勤させる理由は無いよねってことで、マスクで満員電車に乗るリスクも回避できてありがてーーと感じています。でもって、仕事してない時は何してるかっていうとネットでドラマ見てるしかないわけですよ。「月火重火」は大結局まで行きました。こ
こんにちは。今日も旧ジャスコ臼井店のイオン臼井店に行ってきました。ここまでのサイクリングは本当に楽しかったです。前回のを見ていない人は前回のも見てみると面白いです。今回も面白いので期待してください。まず駐輪場案内です。この看板では下の写真が傑作です。2代目ロゴのJが見やすいです。Jのの字体が大きいのが3代目ロゴのJです。これに重なっているのが2代目ロゴのUです。その隣には2代目ロゴのSです。上に少し飛び出しているのは3代目ロゴのSでそれと3代目Cがくっついています(こ
大学の過去問、問題集、国語辞典から抜粋しました。●試験に出る漢字031到底ショウフクできないと強く反発した医学部不正入試問題に関するテイゲン書を手渡した器物にそのコンセキを残す事のシサイを記録に残す富士のコウゴウしい姿善戦ケントウ空しく敗れるカンプなきまでにやられる近来のカイジで御座りまするトタンの苦しみをなめる部長のケッサイをもらう※解答はハッシュタグに
西戸崎なか米軍基地があったときの痕跡探し。ゴルフボール洗い機、マンホール、日本政府の石柱。西戸崎公民館では米軍基地があったころの写真が展示されている。マリリンモンローの貴重な写真も。米軍ハウスをアメリカンな雑貨屋にしたマリンフォード週末のみ営業。
オオクワライフを楽しんでいるシカくまです。タイトルの通り8月25日に投入した、ちゃんが未だに産卵セットに潜ったまま出てきません。今日で18日になります。産卵セットの現状です。側面の茶色のところに、が居座ってるのは確認出来てます。小さな隙間から足が動いているは確認できたので、★にはなっていない様子。しかし、殆ど移動はしていない様に見えます。ケースの底面や側面のには、一切移動痕跡はなし投入4日目の画像現在の様子と殆ど変わりないよ。卵も見えないし、あまり期待は出来
上九一色村と聞いて何を思いますか?そう、松本サリン事件に始まる一連のオウム事件。この日は天気も良く、首都高湾岸線から横浜を経由、富士山を海側より1周してきました。富士山を、ぐるりと周ると全部の方向から見る事が出来ます。(当たり前かぁ…)この中でも、一番、印象深く、感慨深い景色は、上九一色村周辺でした。かつて、多くの観光客を集めたガリバー村も廃墟可し無残にも更地に…そして、あの、サティアンが建てられていたところも、