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ニーハオ!台北人です。宜蘭の員山にはいくつかの第二次世界大戦時の特攻隊零戦の格納庫があります。それを機堡と言います。今回は宜蘭機堡4號遺址(宜蘭機場機堡四號遺址)に訪れてみました。宜蘭機堡4號遺址(宜蘭機場機堡四號遺址)は、台湾の宜蘭県にある第二次世界大戦中に旧日本海軍によって建設された航空機用の掩体壕(えんたいごう、バンカー)の一つです。今回は移動中に発見したので、近くには行っていなくて遠くらかお写真だけ撮りました。歴史的背景としては、第二次世界大戦中、特に太平洋戦争末期に旧日本海
みなさんおはこんばんにちは今日はちょっと前にオカンから教えてもらって知った【特攻兵の前世の記憶を持つ少年】について語りたいと思います✍️✨※かなりスピリチュアルな内容なので、苦手な方はお気をつけください。※こちらはイメージのファンアートです。よろしければいろいろイメージが深まると思いますので、こちら1分ほどのその男の子のYouTubeショート動画、見ていただけたら嬉しいです☺️🌸↑ショート動画(1:00)彼の現世の名前は常佑君(※以下、ジョーくん)と言う
アマゾンプライムで桜花を描いた映画「サクラ花」が配信開始になったので見てみたのです。桜花。若い搭乗員の命を部品として扱った非道の特攻兵器。当時の最先端ロケットエンジンを装備し高速で敵艦に向かっていく。一式陸攻に敵艦近くまで運ばれて切り離されロケットエンジン噴射。桜花は飛行機というよりも滑空機。プロペラも車輪もなく、ただ高速で敵艦に突っ込んで行くだけ。まさに人間爆弾。この桜花に乗るのは若い搭乗員達。学徒出陣で海軍に入り少尉になった予備飛行学生達も多かった・・・。桜花については
上野原市役所の展示ルームに、1945(昭和20)年2月19日にアメリカの爆撃機B29に体当たりして撃墜した陸軍の「屠龍」とB29の破片の展示がありました。ちなみに「屠龍」(とりゅう)というのは愛称で、「二式複座戦闘機」です。型式は「キ45改」と言います。以下、Wikipediaより・・・二式複座戦闘機(にしきふくざせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。計画名称(試作名称、キ番号)はキ45改。愛称は屠龍(とりゅう)。略称・呼称は二式複
ゆり~百合~ユリ~⚜️⚜️⚜️⚜️⚜️⚜️⚜️2ヶ月前の6月に次女と掛川にある「可睡ゆりの里」行ってきました。一面の黄色の百合⚜️ずっと奥まで全部ゆり~😃🎶5秒こちらは一面、真っ白なゆり先日の金曜日、TVで「あの花が咲く丘で君とまた出会えたら」放送していましたがご覧になりましたか?8秒ここが、あの映画のロケ地です。終戦記念日を前後に、毎年、戦争をテーマとした映画やドキュメンタリー番組が放送されますが、辛くなるので目を背けたくなるかもせれませんが、自国の
靖国神社の『遊就館』を訪れてから、特攻隊についてYouTubeで見まくっていました。そこで出会ったのが、特攻隊の穴澤利夫さんの生まれ変わりと言っている少年。しかしながら。特攻隊の生き残りの方が、穴澤利夫さんの生まれ変わりであることを真っ向から否定をされているのです。少年が知覧から神風として出撃したと言っていますが、神風は海軍が編成した部隊で、知覧は陸軍(振武隊)であったので知覧からの出撃はなかったと話されているのです。特攻隊の歴史は本当に悲しく悲惨なものです。語り継がなければいけない
80年前の今日昭和20年2月10日彼は満州の首都・新京にいました(新京=現在の中国吉林省・長春市)「関東軍編成の特攻隊第一号」である誠第32飛行隊(武尅隊)の一員に選抜された彼は隊長以下総勢15名でここ新京に集結この日、朝から隊員全員ひとりずつ「声の遺書」の録音に臨みます録音作業を行った「関東軍報道班」報道班員の回顧手記が残っていました凍結した録音版がカッティング不能となる全員が肌に当て体温で温めながらかろうじて収録すると、今度はエンジンオイルの凍
今日夜のNHKニュースで、第二次世界大戦末期に作られた日吉台地下壕(神奈川県)の話題が取り上げられました。この地下壕は通常非公開ながら、ピンポイントで公開されることがあります。とはいえ抽選制。私は一度落選、二度目に当選し、見学しています。民間の地下壕ではなく、軍部が利用するために作られたものなので、ことさら悲惨なヒストリーを内包しており、衝撃的でした。当時のメモを見ながら、本地下壕について記したいと思います。まず、作られた経緯は以下の通り:・1944年、レイテ島の戦い
昭和20年9月11日逮捕に来たMPに囲まれ東條英機は世田谷の自室で拳銃自殺を図りましたPhoto:Wikipedia一命を取り留めた後、なぜ自決したのかと尋ねられた東條は自分が「戦陣訓」で「生きて虜囚の辱を受けず」と教えた結果、多くの兵士や民間人を死なせてしまったのだから、自分もそれに従ったのだ、そう話したと伝えられています。国際的には「開戦を決断」した責任を問われ、絞首刑となった東條でしたが国内的な責任としてその最大の過ちを挙げるならば、「戦陣訓」を
ナオキマンの都市伝説ワイドショー⑤https://abema.tv/video/title/90-2025AbemaバラエティNaokimanShowNaokiman2ndChannel
ブログにご訪問くださりありがとうございます♪以前、こちらの記事で、特攻隊の穴澤大尉の記憶を持つジョーくんのことを書きました。こちら『特攻隊の穴澤大尉の記憶を持つ少年が、のぶみYouTubeに神出演』ご訪問ありがとうございます♪いろいろなことに興味を持ちながら、自宅庭の果樹混合の畑で、野草に親しみ、自然農2年目の生活を楽しんでいます。今回は興味あるいろいろ…ameblo.jpその後、ジョーくんに関する、心ない誹謗中傷のYouTubeが出ていたことを、見てはいませんがおすすめに出てきたので題
2025年2月8日(土)今年の休暇は、近いところへ細切れでお出かけすることに。目標は、北関東3県制覇だ!茨城県大洗町ひとり旅たっぷり、どっぷりと茨城県をディープに堪能する旅。いよいよ、最後の訪問地。(←ここもぱみちゃんが紹介してた)最後は、「筑波海軍航空隊記念館」何度も場所を確認したが、つくば市ではなく、笠間市にある。(←すでに大洗町ひとり旅ではない)ここは、「永遠の0」のロケ地。最近では、「ゴジラ-1.0」のロケ地にも使われていたらしい
第二次世界大戦中、日本海軍には数多くの優れたパイロットが存在しましたが、その中でもひときわ異彩を放つ人物がいました。太平洋戦争最強の撃墜王・菅野直(かんのなおし)氏破天荒な性格と卓越した操縦技術で知られ、敵味方問わず「デストロイヤー」の異名を持つ撃墜王でした。・1921年10月13日、朝鮮半島の竜口(現在の北朝鮮平壌近郊)生まれ・その後、宮城県伊具郡枝野村(現・角田市)で育ちます。幼少期の彼は、兄や姉を敬愛し家庭内では従順な子供でしたが、外では明る
生まれ変わる前に特攻隊員として出撃した、としつつ発言に矛盾が見られる子供をネタにしたスピリチュアルな商売があるようです。//////////////////////////////////////////ご視聴ありがとうございます。この動画は、「特攻隊の生まれ変わり」と名乗る人物の発言に対して、実際に出撃命令を受けた元陸軍特別攻撃隊隊員の証言を通して“真実”を問い直す内容です。あなたは、どちらの言葉に耳を傾けますか?戦争体験者の名誉、そして語り継がれるべき歴史について、感じ
こんにちは( ̄^ ̄)ゞ前回の『3月19日「彩雲」高田少尉機と松山上空大空戦』から続きます『3月19日「彩雲」高田少尉機と松山上空大空戦』こんにちは(*ωameblo.jp゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。…ameblo.jp今年2025(令和7)年は、昭和百年で戦後80年になり、先の戦争体験者も殆どが鬼籍に入られました太平洋戦争の実情は、戦後生まれの私には、これまでに見聞きした証言記録や
穴澤利夫生まれ変わり昨日、フォロワーのGAIYAさんに教えていただきました。GAIYAさんどうもありがとうございます。フジテレビ『何だコレ!?ミステリー』で、特攻隊員の生まれ変わりであるという10歳の男の子のことが放送されていました。教えてもらって途中からテレビを観たので、私は『以前は戦艦大和の乗組員の生まれ変わりの男の子の特集だったけれど、今度は飛行機の特攻の生まれ変わりなんだなぁ…。』と思いました。男の子が手に持っていたのが隼のプラモデルだったので、『陸軍特攻なんだ…。陸軍沖縄特攻
石垣島の市街地サザンゲートブリッジを渡るとすぐにエメラルドの海に囲まれた南ぬ浜緑地公園があります南ぬ浜町緑地公園·〒907-0015沖縄県石垣市南ぬ浜町★★★★☆·公園maps.app.goo.gl石垣島には第二次世界大戦中ふたつの特攻隊の基地がありました旧石垣空港の跡地には海軍の飛行場白保には陸軍の飛行場がありそれぞれの飛行場から多くの若者が飛び立ち帰らぬ人となった悲しい歴史があります_______________________________
24振武隊三浦秀逸少尉長文です。陸軍第24振武隊三浦秀逸(しゅういつ)少尉のために私が描かせていただいた二式複座戦闘機「屠龍」の絵があります。24振武隊は、茶色の屠龍でした。絵では表現出来ませんでしたが、もっと濃い茶色の屠龍です。三浦秀逸少尉は、復員されております。私は以前、ブログを書いていた時からたびたび申し上げておりますが、【陸軍第24振武隊】について特に調べていた時期がありました。家にある屠龍のプラモデルも24振武隊を思って茶色の塗装で飾ってあります。三浦秀逸少尉は先程
こんばんは!(^o^)丿よりタフに!より美しく!より笑顔に!あなたを鍛えて、壊して、癒やす‟映画大好き💕”空手師範の田中です。久しぶりの映画紹介です。最近、なかなか映画を観る時間が無くて・・・映画館へも行けていません。ですから、Amazonprimevideoでこの映画を視聴しました。『空人』(2015年)製作国:日本上映時間:115分~スタッフ~監督:小沼雄一~キャスト~奥野匡高橋かおり高橋里央小山田サユリ何の情報のな
「土曜日の仕事、半ドンで終わるだろ?そのあとから車で出かけるんだよ何キロ走ったかなあ...北海道まで走ったからね...」板津さんは戦後名古屋市の職員となり、区役所に勤務しておられました。最初は、仲間のご遺族を探し出して、当時の状況や特攻出撃の様子を説明してまわっていましたが名簿を手に入れてからは全国を訪ね歩き、遺書や遺影、遺品を集めたんですねこれがもとになって昭和50年に「知覧特攻遺品館」ができます。現在の知覧特攻平和会館の前身で、現在の会館の位置より手前の場所
「あの別れの盃って、酒だったんですか?水だったんですか?」「覚えてない」「出撃前の訓示って、どんな話だったんですか?」「覚えてない。覚えてないよ、そんなもん。だいたいな、カーッ❗️って頭に血が上っちまってやってやる‼️ってことしか考えてないんだよ何も覚えてないよこの時のことは」この出撃前の様子を聞くと、板津さんは写真を見ながらそう返しましたそして...愚問と知りつつ、もうひとこと「特攻編成は自分から申し出たんですか?」「あたりま
Xでは、様々なご意見を頂き、ある方より「政治家として、正義と道理といった愚直なだけではダメ、人間万事塞翁が馬など、出たとこ勝負みたいなことを言ったり、戦略がないのはダメ」と大変厳しいご意見を頂きました。この方に下記の通りお返事致しました。【民の声は天の声】と思い出し、今回も貴稿に考えさせられました。先の大戦末期の神風特攻隊、当時としては凄い【先見性と戦略】ではなかったでしょうか。ご英霊は【先見性と戦略】など全く考えず、愚直に【道理と正義】から、優秀な方ほど先を争い散華され、私
板津さんからお借りした写真出撃前の第107振武隊左:細金政吉少尉右:山本恵照大尉(階級はいずれも昇進後)特攻出撃が決まると、隊員たちはさまざまな接待を受けました上の2枚の写真は出撃前の訓練時と思われますが地元の子供や婦人たちから歓待を受けている様子がよくわかりますみんな笑顔ですねご婦人方にとって、こうして隊員たちに手作り料理を振舞いもてなすことはこれから戦場に向かう「軍神」への精一杯の思いやりだったんだと思います子供達にとっても彼らはアメリカ
今日は2025年1月4日(土)です。今日は「石の日」です。石と言えば直ぐに思い出すのが「月の石」です。昔アメリカで「月の石」を見たこと事が有ります。過去記事です。↓=================アメリカカナダのシリーズからです。当時は新宿西口支店に勤務をしていました。全国の支店長の中から8人が金融・証券市場の視察団に選ばれました。その中の一人として参加させて頂きました。===============1988年7月26日の出
※以下は御本人が公式に発表をしているわけではなく、あくまで考察です。森山直太朗さん作詞作曲のさくら。私も大好きな曲です。とても美しいメロディに、日本人らしい歌詞。卒業シーズンになると流れる日本を代表する名曲だと思います。しかし、この名曲には旅立つ特攻兵の主観で、大切な人や友を想う温かいメッセージが込められているのではないか?ジャケットのイラストは、靖国神社の桜並木なのではないか?だから女性は喪服姿なのではないか?という話しがあります。こちらの説を、さくらの歌詞になぞらえて考察し
神風の名のもとに梓特別攻撃隊の任務を終えた隊員達。しかし、彼らも終戦までに多くが命を散らしてしまっています。昭和20年3月18日九州沖航空戦で、二六二飛行隊の爆装銀河が出撃。梓隊の銀河三機未帰還(9名戦死)。菊水部隊銀河隊とされる。3月27日、九州沖のアメリカ機動部隊を攻撃して梓隊銀河一機特攻(3名死亡)。神風特別攻撃隊第一銀河隊になる。4月7日に、神風特別攻撃隊第四銀河隊として梓隊銀河一機、爆装して出撃。天候不良で中国大陸に不時着。(2名死亡)4月16日、神風特別攻撃隊第四銀河
こんにちは!(^o^)丿よりタフに!より美しく!より笑顔に!あなたを鍛えて、壊して、癒やす‟バレエ大好き💕”空手師範の田中です。ありがたいことに、このblogへのアクセス数が高いまま維持されています。平均アクセス数が、以前の4倍です。そのきっかけとなったのが、TVで放送されたバラエティ番組とリンクした記事。放送当日のアクセス数が平均の約20倍という異常ぶりでした。もうすぐ終戦記念日|好きなものに対していつも正直でありたい空手師範の独り言
おはようございます!(^o^)丿よりタフに!より美しく!より笑顔に!あなたを鍛えて、壊して、癒やす空手師範の田中です。一昨日(4/23)のこのblogの記事、この日1日で、普段の約20倍のアクセス数があり、私はひっくり返りました・・・アクセス解析をチェックしてみると、3年位前に書いたこの記事のアクセスがとんでもないことになっていました。もうすぐ終戦記念日|好きなものに対していつも正直でありたい空手師範の独り言この記事はここ2週間くらい前からか
このところの当ブログで、『小学校~それは小さな社会~』(2025山崎エマ監督)を取り上げています。ひとつ前の当ブログで書いた、「新入生歓迎の合奏」のシンバルに選ばれた1年生の女の子が怒られる場面は本当に胸が痛くなりました。練習を指導する音楽の先生(かな?)が「あなた1人が選ばれたんでしょ。責任があるんじゃないんですか!泣けばすむの!?」と強い口調で叱責するのです。シンバルを叩く所を少々間違えたからって、まだ7歳の子どもですよ。手をあげてはいないけれど、これも「暴力」ですよ、言葉による。も
思えば戦国時代しかり、また明治維新から80年前の終戦まで日本はずっと「戦の世」であったから今に比べれば、「死」というものが、いわば「近いところ」にあったんだろうと思うんですね12、3年前だったかな「特攻」に向き合い始めて、特攻に関する本や資料を手当たり次第読みあさっていた頃、この本に出会いました「妻と飛んだ特攻兵」8月19日午後戦闘を継続するソ連戦車群に一撃を加えるためすでに日本軍としての組織的戦闘は全て終わっているにも関わらず、出撃して行った10人の特攻兵が