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今日からは我が家のお金の話をしていきます☺️お金の話をするのは少し気も引けますが、ここの話を通らずして僕たちの関係性は正しく語れない‼️と言ってほど色々とありましたので😅今回から少しづつお話していきたいと思います。僕らは小さい頃からどちらかと言うと裕福な家庭に育ちました。僕たちのおじいちゃんが立ち上げた事業を若くして継いだ父はそこから長い期間、順調に売上を伸ばしていたそうです。時代もあったのかも知れませんが、入ってきたお金の使い方もかなり豪快でしょっちゅう色んな所に旅行に行き
私には障がい者の兄がいる兄が49歳の時脳出血になり一命は取り止めたが左半身付随になってしまった5歳違いの兄と私はそんなに仲良くもなくそれこそ小さい頃はいじめられたし大人になってもう何年も会うこともなかったそんな兄が倒れて一番に連絡が来たのは私の所パートの仕事中の事だった200km以上離れた兄の運ばれた病院に夫と二人車で向かった何とか命は助かったけど麻痺して自由に動かない体になってしまった兄はとても辛かったと思う私は仕事と家庭と介
思わぬ長文に!暇な方だけお付き合いを。先日のヘルパーたえちゃん訪問後の第2弾。帰宅後のたえちゃんとの電話。思わぬ長電話になったが改めて話すことが大事だと思わされた。父が横にいたら話せなかった事。まず、仏壇の花。商店街の付き合いもありそこで買うのだが、咲き切ったのを買うから持たない!なんなら菊の花の首先なし、へっ?そして何故だか、お供えものは、以前にもあった、ティラミスのカップ。今回は、プリン!日当たりのいい、春先の仏間にいつのだか分からないそれらをどうするつ
おはようございますヤンヤンです朝目が覚めて父がいない現実を受け止め絶望的な悲しい気持ちになりますが遺影に朝の挨拶をして気持ちを切り替えます今日は午前中に母と庭の草取りをしましたいつもなら1時間もしないうちに部屋から「オシッコお願い〜」と大きな父の声が聞こえてきたのにもう聞こえません草取りも中断する事なく終わりました。私は父の介護が本当に楽しかったしあまり苦労だとは思っていなかったので父が亡くなり喪失感が半端ないのです時間が解決する事もわかっているし前に進まな
間質性肺炎の父をみていている中で、感じたこと、得た事で【運動】【酸素ボンベ】【酸素濃縮器】について、少しまとめたいと思います。*お願い*私は患者でもなく医療従事者でもありません。あくまで患者である父を見守った家族の視点からまとめた個人的な意見であることをご了承ください。皆様のご病状にあった運動を行っていただけますようお願いいたします。一切の責任は負いかねます。筋力を低下させない。運動(有酸素運動)をする。これが本当に大切だと思いました。肺機能を維持しているのも筋力。
おはようございます!間質性肺炎と戦いながら認知症の母を見送り父の介護をしているアイリスです💞いつも訪問していただきありがとうございます❣️昨年10月に尿路感染で入院した時担当医がパーキンソン病の専門医だったので、指定難病に申請して認定された父『父の様子11/10と市役所で難病申請』こんばんは!間質性肺炎と戦いながら認知症の母を見送り父の介護をしているアイリスです💞いつも訪問していただきありがとうございます❣️昨日、パーキンソン病で父の難…ameblo.jpちょうどその頃に
『間質性肺炎の父(7)』初の診察では治療方針についての話がありました。先生からは「肺生検をしたい」とのことでした。余命がいくばくもないくらい状態の悪い方には、肺生検はリスクもあり、…ameblo.jp別日で予約したクライオ生検は一泊入院でした。入院手続きの為、付き添いしました。クライオ生検は、完全に麻酔をしない状態でするとのことで、父は本当に不安がっていました。既往歴として胃癌があったので、定期的に胃カメラの検査をしており、胃カメラの苦しさが嫌で毎回全身麻酔をして検査し
おはようございます!間質性肺炎と戦いながら認知症の母を見送り父の介護をしているアイリスです💞いつも訪問していただきありがとうございます❣️タイトル通りなので嫌な方はスルーしてくださいね💦父の排便は2〜4日に一度トイレで大量の普通便が出ます前回日曜朝食後、5日ぶりに超大量の普通便が出て夜、更に少量の普通便が出てスッキリしただろうと喜んだけどあっという間に昨日が5日目夕食後に排便を促しても「出ない」と言うので着替えさせて寝かせました足のマッサージをしてから夕食の
先日父が亡くなり。少し落ち着いてきましたが、父の住んでいた家を片付けるのが大変で😭早く片付け始めとけばよかった。毎日、片付けに行ってますがやはり股関節が痛くなってなかなか進まない。パートも再開しようと思いますが、旦那も娘たちも先に股関節の手術をして良くなったらパートに行けば?っとそーだよね。父の介護も無くなって、あとは四女の進学だけが心配ですが🫤次回病院行ったら手術しようかなぁって相談しようと思ってます。紹介状を書いていただけるみたいですが、こちらの希望の病院って言える
後になってびっくりする不思議な出来事が私にはたくさん起こります自分に起こることが怖くなる時があります。亡母は、毒親!パーキンソン病の難病を患い心筋梗塞で2018年に旅立ちました。その日私は、空港にて、一人旅に出るための海外出国手続き中でした。亡くなるまでの数ヶ月は私が介護していましたが、ほんの3日だけ近くの海外へと出かける時のことです。出国前には、電話でヘルパーと連絡を取り合い、些細な事で口論になりました。ちょっと面倒臭いタイプの方です同居中の統合失調症の弟では
『ふざけんなっ、この野郎!!』…僕と双子の弟やっちゃんが胸ぐらを掴み合ってケンカをしています。当時、僕らは中学2年生。ケンカの理由は毎回一緒でこの頃かなりハマっていたサッカーゲームで勝った負けたの些細なこと。そんな小さな事で喧嘩?と思われるかも知れませんが、僕たち双子にとってはとてもとても大きな事でして…。弟のやっちゃんは最も近い存在にして、何においても最大のライバル。如何なる勝負ごとでも『負け』は絶対に許されないのです。学校が終わって帰宅してから地元のクラブチームの練習
転院手続きの為、地域の中規模病院で再度担当医の診察をお願いしました。その際、中規模病院の担当医には、セカンドオピニオンでの話を報告し、転院用の書類の作成などを依頼しました。私が初見でこの医師と話した際に、この中規模病院の担当医の治療方針は「血液検査の結果や、肺活量の検査、レントゲン検査の内容を総合的に判断して、急激に悪くなっている感じもないので、このまま様子を見て、特に現状は服薬などの必要はないと思う。もし積極的に治療を希望するのであれば、免疫系の血液検査の数値が少し高くでているので
特別養護老人ホームの入所の説明を聞いて、自宅に帰ったら、ヘルパーさんが、父の足を洗って、塗り薬を塗ってくれていた。そこに、母が、ウロウロして、ヘルパーさんと話をしていた。なんだか、穏やかな、優しい、笑顔がある光景で、胸が痛かった。ヘルパーさんが帰って、母が笑いながら話かけてくれるが、上の空だった。母に父の入所を考えてる事を話した。母「ごちゃん、私も、その方が良いと思う。多分おじいさんは、「施設なんか、行かへん。絶対無理やからな」と言う。でも、まだまだおじいさんの人生は、続いていくねん。
『間質性肺炎の父(9)』オフェブを服薬して二ヶ月がたって診察。肝臓の数値が悪くなりました。先生からは、肝臓の数値が悪くなる方は多いです。あまり気にしないでください。ただ、数値として…ameblo.jpオフェブを服薬して二ヶ月がたって診察。肝臓の数値が悪くなりました。先生からは、肝臓の数値が悪くなる方は多いです。あまり気にしないでください。ただ、数値として一旦休薬する必要があるため、オフェブは二週間お休みしましょうとのことでした。肝臓の機能を戻すためのお薬を処方しても
2019年に父が肺炎で入院しました。発熱などの風邪症状があり、かかりつけ医に診てもらったところ、すぐに大きな病院へと言われ、地域の中規模病院を受診しました。その際に、間質性肺炎の疑いありとのことで入院しました。退院時に診察では、ウイルス性肺炎と言われたそうなのですが、その後も数か月おきに経過を診ていただいていました。2021年の年末~2022年の年始頃だったかと記憶しているのですが、何回目かの新型コロナウイルスのワクチンを接種した後から、「なんだか調子が悪い」と言うことが多く
前回お話しした通り我が家は裕福な家庭でした。お父さんはUSAスタイルの生き方に憧れていたので僕たちにも小さい頃からそれを教えてくれました🇺🇸✨【女性と後輩には必ず奢る】であったり、特に【レディファースト】についてはかなり言われたのを覚えています。よく言われ過ぎて、例えば自動販売機で相手の分を買ってあげるのは勿論、取ってあげる→缶やペットボトルの蓋を開けてあげる→そこで渡す。みたいな行為は【当たり前のマナー】として染み付いており僕達からすると当然な事なのですが女性からはよく『そ
最近は父の認知症と体力低下の進行が早くて父にばかり気を取られていたけれどさっき母が「明日はわたしの仕事は休みやったかな?」と言いだしちょっと忘れかけていたけれど母もやっぱり認知症なんだなと改めて実感したわたしが3才の時に交通事故で父が身体障がい者になり仕事ができなくなってから母は自分が働きながら父の介護とわたしの子育てをがんばっていた。だから認知症になった今でも明日は仕事に行かないとと思うのかもしれない。今振り返れば本当に苦労の
転院して初の大規模病院専門外来の診察の日。父はとても緊張していました。私もです。どんな医師が担当してくださるのだろうかと・・・・。診察室に呼ばれて入室すると、40代の男性医師でした。「こんにちは!」と、元気に挨拶してくださり、第一印象は好印象でした。失礼ながら大病院の先生様!とは違う。偉そうな雰囲気は全くなく接しやすくて、なんでも相談できそう!頼りになりそう!そんな第一印象をもった先生でした。先生からは、まず、高齢の患者さんは、自分の病気について理解していない人が多いで
【父とお金】については今の所良い時代ばかり(お金に恵まれていた)書いてきましたが、今回から地獄編です😆笑今振り返れば、全て笑い話で良い思い出ばかりなのですがその当時は辛かったですね。。。僕はその頃大学1年生でした。【大好きなサッカーで生きていきたい】という子供の頃からの夢を叶えるべく、毎日毎日激しいトレーニングを重ねており体脂肪率は8%くらいでした。←今はかなり太ってしまったので当時の自分の体が羨ましい😆笑僕は大学サッカー部の寮生活をしていたのですがある日、寮を統括する先生に
2024年4月12日(金)前回のブログの続きです。父を老人施設にどうしても入れたい母は頭の中がそれだけになっています。それが母の気質で変えられない性格なんですが先の先まで心配しちゃうんです。まだ起きていない事まで想定して〇〇しないとダメ〇〇すべきと、自分で自分を追い込んでストレス感じてしまうんです。どうにかなるさ〜とのんびり構える人ではありません。良く言うと「計画性がある」という事なんですが少々行き過ぎる傾向があるの。「おじいちゃんの世話が大変」とい
おはようございます。今日から久しぶりにパートナーさん宅に行ってきます。3泊4日。母が仕事の都合をつけてくれて、父を家に独りにしないことが叶いました。主治医からもパートナーさんに会いに行きなさいと言われていたし、両親とも息抜きをしておいでと言ってくれたので、お言葉に甘えようかと思います。英気を養い、再び父の介護に専念したいと思います!
明日から父の介護で延ばし延ばしにした入院してきます。母を1人残して行くのは心細いけど…私は大丈夫だから母に何とか頑張ってもらわなきゃ😢本当に1人残して行くのは心細い…。一人暮らしした事ないのに耐えられるかなぁ…そればかりが心配…私が早く帰ってくればいいのだけど入院期間決められてるので3ヶ月前には余程じゃないと帰って来れない😢まあ、何とかして貰いましょう!‼️毎日何回も電話しながら…では皆さん、行ってきます(*`・ω・)ゞ👋今日、美容室行ったら前髪切りすぎておバカちゃんみたいになっ
実家で在宅ワークをしながら86歳の父の介護。歩けなくなってきている父には認知症もあるように思う。今日は誰がくるの?晩御飯は食べたっけ?昼のお薬は?もうずっと前から朝と夜のお薬だけなんだけどなー同じことを何度も聞く。倒れる前5か月入院する前には出来ていたのにLINEが出来ない。スマホに電話がかかってきても出られない。ドアのカギをかけられない。ドアのカギを開けられない。いろんなことが出来なくなってしまった。そんな父は、たまに情けないねえと小さな声でこぼす。
今日も一日寒かったですね。ひと月前は入院中で、暖かな日も多かったのですが、このところはすっかり冬の温度になっていますね。きょうは母の亡くなった日です。丸11年になります。午前中にお墓参りを済ませてきました。命日の近くは、心の反応として沈みがちです。私もこの数日は夜中や明け方にふと目が覚めると考えるのは、亡くなった母や父のことで、コソコソと涙ぐんでいました。会いたいです。ほんとに会いたい!私は母の死に目も父の死に目も立ち会うことができなく、両親に「ありがと
もう何度も誕生日を経験したが、最悪の誕生日を58回目にして迎える事になった。朝、妹からのおめでとうLINEが届いた。そう言えば昨年の誕生日にもLINEが届いたよなぁ・・・父の葬儀依頼連絡を取り合っていなかったし、妹とは絶縁状態だった。父の介護でも、お互い顔を合わさない様にしていました。寂しがりの父は、ガンで入退院を繰り返しては、関係性の薄い私達を呼び寄せる。当の娘達は相手の日程を父から聞き出し、なるべく顔を合わさない様にする。
父の介護については、いずれどこかで詳しく書く機会があればと思います。とにかく、入退院を繰り返しながらもなんとか在宅で介護していた父が、亡くなりました。状態が悪くなって入所し、なんとか一時外泊ができればと願っていたところでしたが、施設からの連絡で駆け付けたときにはもう、ほとんど残された時間はありませんでした。わたしの入院中に万一のことがあって最期に逢えない、葬儀に出られないということがなにより怖かったのですが、こればっかりは予定がたてられるものでもなく。娘の入院などどても理解できる状
↑4年前の写真僕が大学1年生のときに一度だけひろちゃん(姉)と大喧嘩をしたことがあります。この頃の事はすでに何度かご紹介していますが、我が家は本当にお金がない時期でして電気ガスが止まる事もしばしばありました。持っていた携帯電話の使用料が払えず、よく携帯が止まっていて当時よく友人から『のぼ、また携帯止まったんか〜』とイジられていたのを覚えています。まぁそんな頃だったのでお互い疲れていたのか、何が原因で喧嘩になったのか全く覚えていないのですが😅、YouTubeの動画内によく出て
中学生になると、弟のやっちゃんはより自由活発になっていきます。都内に住んでいた僕たちですが、ある日の朝。突如、やっちゃんが『母方の親戚のいる横須賀まで自転車で行ってみたい』と言い出すと1時間後には一人で自転車を漕いで出発していました🚴♀️✨(電車で2時間の距離😅)何も考えず出発したやっちゃんは【線路沿いに進めばいつか着くはず】という謎の作戦で臨みますがやはり大失敗。夜になっても全然着かず、親戚に車で迎えにきてもらっていました。しかし、ここで挫けないのが当時のやっちゃん。また
↑4年前。写真左がお姉ちゃん。右がなみちゃん真ん中は僕と父😆今回からは僕の姉、ひろちゃんのお話です☺️動画では1回程度しか出ていないのですが、視聴者の皆様からは『またお姉ちゃんが観たい』という声が挙がるほど、謎の人気があります笑そんなひろちゃんは僕の7個年上です。双子の僕達が産まれたときは、母のお手伝いを積極的にしてくれたそうで生前母が『本当にあの時ひろちゃんが手伝ってくれて助かった』と言っていました。お姉ちゃんはとにかく筋の通った真っ直ぐな人で仕事も出来るのですが母ゆずりの
注意事項このブログは父と母の観察日記です。父の症状においてはレビー小体型認知症の方全員に起きるとは限りません。またここに記載している対処法も全員に当てはまるとは限りません。また特定の薬を非難、否定しているものではありません。参考程度に読んでいただければ幸いです。・時間の使い方について現在、父の介護は24時間体制になってしまっています。放っておいても構わない部分もあるのですが、そうすると転倒リスクが高まったりトイレや布団が尿や便まみれになったりで後処理で時間がかかるので