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思わぬ長文に!暇な方だけお付き合いを。先日のヘルパーたえちゃん訪問後の第2弾。帰宅後のたえちゃんとの電話。思わぬ長電話になったが改めて話すことが大事だと思わされた。父が横にいたら話せなかった事。まず、仏壇の花。商店街の付き合いもありそこで買うのだが、咲き切ったのを買うから持たない!なんなら菊の花の首先なし、へっ?そして何故だか、お供えものは、以前にもあった、ティラミスのカップ。今回は、プリン!日当たりのいい、春先の仏間にいつのだか分からないそれらをどうするつ
なんだかあっと言う間に4月も半ば過ぎました💦父はとうとう転院ですまだ痛くて歩けなくて帰って来れませんでした4/14、病院で誕生日を迎えました91歳まだまだ元気でいてくれると思っていたのに…ほんとに何が起こるかわかりませんね。自分自身もそうだけど今年は自分に加えて父の介護やら母のサポートやらで慌ただしくなりそうですそんな中春はちゃんとやって来て家の庭も賑やかになって来ました菖蒲とツツジ上の庭のツツジはまだ咲いてないけど下の日の良く当たる場所では咲いてたブル
2024年4月12日(金)前回のブログの続きです。父を老人施設にどうしても入れたい母は頭の中がそれだけになっています。それが母の気質で変えられない性格なんですが先の先まで心配しちゃうんです。まだ起きていない事まで想定して〇〇しないとダメ〇〇すべきと、自分で自分を追い込んでストレス感じてしまうんです。どうにかなるさ〜とのんびり構える人ではありません。良く言うと「計画性がある」という事なんですが少々行き過ぎる傾向があるの。「おじいちゃんの世話が大変」とい
最近は父の認知症と体力低下の進行が早くて父にばかり気を取られていたけれどさっき母が「明日はわたしの仕事は休みやったかな?」と言いだしちょっと忘れかけていたけれど母もやっぱり認知症なんだなと改めて実感したわたしが3才の時に交通事故で父が身体障がい者になり仕事ができなくなってから母は自分が働きながら父の介護とわたしの子育てをがんばっていた。だから認知症になった今でも明日は仕事に行かないとと思うのかもしれない。今振り返れば本当に苦労の
登場人物紹介くわしくはこちらから登場人物紹介2022年1月母の入院をきっかけに認知症の父の介護が始まりました泊まり込みワンオペ在宅介護とショートステイ併用期を経て…2023年1月父、特別養護老人ホームに入所しました特養入所への道母は今も入院中母の入院2023年3月実家じまい完了実家じまいこちらもどうぞ介護スタートから今までの経緯靴屋で見つけて「これはお父さんにぴったりだ!」とハイテンションで購入を決めたセダークレストのスパットシューズ。『高
皆さん、こんにちは~(*´∀`)今日は皆既月食だそうですね!(*゚∀゚)=3って特に天体ショーには興味あるわけじゃないんですが(ないんかーい)まぁ何十年に一度?とか言われるとちょっと見とこうかなと(≧▽≦)その程度ですけど(笑)夜は冷え込むらしいので、外でずーーーーっと見る方は風邪引かないように厚着で見ましょうね~!**********さて先日もこちらの
こんばんは!間質性肺炎と戦いながら認知症の母を見送り父の介護をしているアイリスです💞いつも訪問していただきありがとうございます❣️今日は父がお休みの日最近午前中は傾眠気味ですそれでも今日はいつもよりは起きてテレビを見ていたけどお昼頃は眠気のピークだったのか野菜炒めもご飯も半分くらいしか食べられずみそ汁は拒否…😔声をかけてもうとうと…焼き芋は食べるか聞いたら食べたいと言うので半分あげたら目が覚めました子どもと同じだなぁ(笑)焼き芋はそのまま持たせるとどんどん
おはようございますいやはや参った💦3時頃、寝ていて何か吸ってしまったのか?急に咳が止まらなくなってアレルギー性の喘息の漢方薬飲んで咳が止まったものの6時に寝落ちてしまい起きたら9時だった息子叩き起こして昨日のオカズを温めてこれね。『#本日のおうちごはんちょこちょこ作りました♡』⚫︎鶏手羽元と新竹の子と椎茸煮⚫︎鮭の幽庵焼き⚫︎雪下人参の明太子炒め⚫︎有機納豆⚫︎きゅうりの浅漬け⚫︎黒米入りご飯⚫︎苺入りサイダーゼリー⚫︎麦茶明日実…ameblo.jpワンプレートにして運び私
前回お話しした通り我が家は裕福な家庭でした。お父さんはUSAスタイルの生き方に憧れていたので僕たちにも小さい頃からそれを教えてくれました🇺🇸✨【女性と後輩には必ず奢る】であったり、特に【レディファースト】についてはかなり言われたのを覚えています。よく言われ過ぎて、例えば自動販売機で相手の分を買ってあげるのは勿論、取ってあげる→缶やペットボトルの蓋を開けてあげる→そこで渡す。みたいな行為は【当たり前のマナー】として染み付いており僕達からすると当然な事なのですが女性からはよく『そ
↑4年前の写真僕が大学1年生のときに一度だけひろちゃん(姉)と大喧嘩をしたことがあります。この頃の事はすでに何度かご紹介していますが、我が家は本当にお金がない時期でして電気ガスが止まる事もしばしばありました。持っていた携帯電話の使用料が払えず、よく携帯が止まっていて当時よく友人から『のぼ、また携帯止まったんか〜』とイジられていたのを覚えています。まぁそんな頃だったのでお互い疲れていたのか、何が原因で喧嘩になったのか全く覚えていないのですが😅、YouTubeの動画内によく出て
父の2度目の新型コロナワクチンの接種が完了した。打った夜に体温が少し上がったくらいで(37.0度)、翌日にはデイサービスにも行けた。食欲も旺盛で、元気だな~。そして皮膚科。父の片方の足のひざ下が荒れていて、放っておくと血や体液?が滲み出てくるので、軟膏をもらっている。往診の先生では出せない薬とのことで、皮膚科に通院している。心臓が悪いことが起因の皮膚病らしいのだけど、かれこれ10年くらい前から患っていて、本人は病院嫌いなのでずっと放ったらかしだった。介護が始
姉二人との大喧嘩。姉①と姉②、それぞれの目的が妙にあわさって母と私への攻撃へと変わっていったように思う。姉①の目的はまた別記事で触れたいと思う。姉②は一体どうしたかったのだろう。母に昔のことを謝ってほしかったのか、あるいは長いこと孤立していたことへの復讐だったのか。長いこと本心で話したことがなかったので、内心何を考えているのか今でも分からない。父の入院中、N市の土地の件を姉②から話し出したとき、「本当に私は土地が欲しいわけじゃなく、父母の老後資金にしてほしい
後になってびっくりする不思議な出来事が私にはたくさん起こります自分に起こることが怖くなる時があります。亡母は、毒親!パーキンソン病の難病を患い心筋梗塞で2018年に旅立ちました。その日私は、空港にて、一人旅に出るための海外出国手続き中でした。亡くなるまでの数ヶ月は私が介護していましたが、ほんの3日だけ近くの海外へと出かける時のことです。出国前には、電話でヘルパーと連絡を取り合い、些細な事で口論になりました。ちょっと面倒臭いタイプの方です同居中の統合失調症の弟では
ということで、今回も含めて全5回に渡り『父とお金』と題して我が家のお金事情をお伝えしてきました。裕福な時期もあり、貧しい時期もありで、お金には色んな経験をさせてもらいました。お金の面だけ見ると【天国と地獄】がありましたが、心の面だけ見ればいつも楽しい人生を過ごしてこれました。それはお父さん含め、やっちゃん、お姉ちゃん、お母さん、そして多くの大切な友人がいつも近くに居てくれたからだと思います。…財布の中の所持金が100円程度しか入ってなくて落ち込んで歩いていた部活終わりの帰
今日のお昼のこと。お昼は母と一緒に実家で食べています。母が父のことが気になったようでいろいろ聞いてきました。昨日、ご近所さんがおしゃべりに来ていて、父の施設入りのことを話していたので、気になってきたのだと思います。何しろ、施設に入ってからの父の情報、、、、母の中は空っぽなんですよね💦私が何度も口で説明しているけど、コロナで面会が一度もなく自分の目で父の様子を見ていないから実感が湧かないのだと思います。そのご近所さん、86歳の女性ですが、頭
今住んでいるところから引越すことを決めてからもう4ヶ月が経過してしまいました。できればもっと早くに引越したかったのだけど、年初から父の状態が今ひとつなのと、2月には台湾旅行もあったので、3月以降にせざるを得ないよなぁ…でも、その時期って1年で最も引越しがたてこむ時期じゃない?…と思ってズルズルと。結局、引っ越しは5月頭となりました。引っ越しの資材が届いて、ただいまコツコツと箱詰めの日々です。家賃が二重にかかる状態を5ヶ月も続けることになってしまいました。でも、無理したくなくて。会社員生
『ふざけんなっ、この野郎!!』…僕と双子の弟やっちゃんが胸ぐらを掴み合ってケンカをしています。当時、僕らは中学2年生。ケンカの理由は毎回一緒でこの頃かなりハマっていたサッカーゲームで勝った負けたの些細なこと。そんな小さな事で喧嘩?と思われるかも知れませんが、僕たち双子にとってはとてもとても大きな事でして…。弟のやっちゃんは最も近い存在にして、何においても最大のライバル。如何なる勝負ごとでも『負け』は絶対に許されないのです。学校が終わって帰宅してから地元のクラブチームの練習
お姑様は義祖父の在宅介護をされていました。ですが、何かあれば『レスパイト入院させてもらったー』とリフレッシュもされていました。そんなこんなで、我が子の運動会の時に県内のお姑様もお誘いしたのです。が、夫経由で断られました。我が両親は、隣の隣の県まで仕事に行っておりましたが、蜻蛉返りして見に来てくれました。で、その後帰省した時にいちいち私に『孫には未来があるけど、父にはないから孫より父が大切』と言われました。いつもなら入院させたーとか仰るのに入院も出来なかったとか言
こんばんは!間質性肺炎と戦いながら認知症の母を見送り父の介護をしているアイリスです💞いつも訪問していただきありがとうございます❣️今週は過ぎてしまえば穏やかと言えるけど土曜日の朝はトイレでなかなか立てず大変でしたご飯と訪問マッサージの時以外ほとんどうとうとしていて(左脇が痛そうなので小さいクッションを置きました)心配したけど、15時くらいからようやく起きていられるようになり夕飯はおかわりして食べました夜はマスターズゴルフをやっていたので、真剣に観ていたみたい
朝起きて窓を全開ジャスミンの香りに混ざりニオイバンマツリの香りが漂ってくるよく見るとたくさんの蕾まだまだと思っていたのにあっという間に咲き始めました昨日は父の介護認定の件でブログ更新しましたが…お昼休み時間にタケノコ掘りに行ったことも書きたかった↓昨日の話しここにもあそこにもタケノコ!!!出てる出てるA君が興奮して写真を送ってきた気持ちが分かるひょっこり芽が出たのだけを探し掘ったのですが雄筍ばっかり…ƪ(˘⌣˘)ʃタケノコに変わりはないけれど雌筍の方
注意事項このブログは父と母の観察日記です。父の症状においてはレビー小体型認知症の方全員に起きるとは限りません。またここに記載している対処法も全員に当てはまるとは限りません。また特定の薬を非難、否定しているものではありません。参考程度に読んでいただければ幸いです。・時間の使い方について現在、父の介護は24時間体制になってしまっています。放っておいても構わない部分もあるのですが、そうすると転倒リスクが高まったりトイレや布団が尿や便まみれになったりで後処理で時間がかかるので
にほんブログ村🔝をポチ応援よろしくお願い致します更新の励みになります男料理(朝食)チーズトースト牛乳地域ねこのたまちゃん隣りの家の屋根や自宅のひさしに遊びに来ますカニステックやチクワをあげていますホテイアオイが浮かぶ石鉢の水槽の中に白いメダカと赤いランチュウが泳いでいました猛暑なので涼し気な写真をおやつ冷したさしみこんにゃくを酢味噌でなくて山葵醤油で食べましたさっぱりして美味しいかったですそらちゃんが私にこれから父の介護ですか???男料理(夕食)ホッケの開き
昨日は朝から一日中バタバタしてました術後1年検査の日なのに朝から長女からLINE私の今日の予定を聞いてくるどうやらうちに来たいのか病院なのよ術後1年検査昼過ぎまでかかるよーその後なら来てもいいよんには明日会う予定だから今日来なくてもいいのになとちょっと思う次に父から着信嫌な予感まさかの歯が欠けたこの前治療終えたばかりでもう行かなくて良いと思ってたのにその治療したとは別のが欠けたんですってもー出掛ける支度バタバタしながら歯科へ電話して予約私の都
中学生になると、弟のやっちゃんはより自由活発になっていきます。都内に住んでいた僕たちですが、ある日の朝。突如、やっちゃんが『母方の親戚のいる横須賀まで自転車で行ってみたい』と言い出すと1時間後には一人で自転車を漕いで出発していました🚴♀️✨(電車で2時間の距離😅)何も考えず出発したやっちゃんは【線路沿いに進めばいつか着くはず】という謎の作戦で臨みますがやはり大失敗。夜になっても全然着かず、親戚に車で迎えにきてもらっていました。しかし、ここで挫けないのが当時のやっちゃん。また
↑8年前の父と僕母の死からずっと遠ざかっていた【弓ヶ浜】。前回もお話した通り、弓ヶ浜は父が何十年も通っていたとても大切な場所ですが母の死をきっかけにパタリと行くことは無くなりました。そしてそこから7年の月日が経った頃、弟のやっちゃんもお姉ちゃんも僕も結婚してみんな実家を離れていきました。そのため、父は例の大きな家に1人で暮らすことになります。当時、父は『俺は寂しいとかないし大丈夫だから』と強がっていましたが、その言葉とは裏腹に時折少し寂しそうな顔も見せるので家族からするとずっ
今日も一日寒かったですね。ひと月前は入院中で、暖かな日も多かったのですが、このところはすっかり冬の温度になっていますね。きょうは母の亡くなった日です。丸11年になります。午前中にお墓参りを済ませてきました。命日の近くは、心の反応として沈みがちです。私もこの数日は夜中や明け方にふと目が覚めると考えるのは、亡くなった母や父のことで、コソコソと涙ぐんでいました。会いたいです。ほんとに会いたい!私は母の死に目も父の死に目も立ち会うことができなく、両親に「ありがと
もう何度も誕生日を経験したが、最悪の誕生日を58回目にして迎える事になった。朝、妹からのおめでとうLINEが届いた。そう言えば昨年の誕生日にもLINEが届いたよなぁ・・・父の葬儀依頼連絡を取り合っていなかったし、妹とは絶縁状態だった。父の介護でも、お互い顔を合わさない様にしていました。寂しがりの父は、ガンで入退院を繰り返しては、関係性の薄い私達を呼び寄せる。当の娘達は相手の日程を父から聞き出し、なるべく顔を合わさない様にする。
父の介護については、いずれどこかで詳しく書く機会があればと思います。とにかく、入退院を繰り返しながらもなんとか在宅で介護していた父が、亡くなりました。状態が悪くなって入所し、なんとか一時外泊ができればと願っていたところでしたが、施設からの連絡で駆け付けたときにはもう、ほとんど残された時間はありませんでした。わたしの入院中に万一のことがあって最期に逢えない、葬儀に出られないということがなにより怖かったのですが、こればっかりは予定がたてられるものでもなく。娘の入院などどても理解できる状
先日父が亡くなり。少し落ち着いてきましたが、父の住んでいた家を片付けるのが大変で😭早く片付け始めとけばよかった。毎日、片付けに行ってますがやはり股関節が痛くなってなかなか進まない。パートも再開しようと思いますが、旦那も娘たちも先に股関節の手術をして良くなったらパートに行けば?っとそーだよね。父の介護も無くなって、あとは四女の進学だけが心配ですが🫤次回病院行ったら手術しようかなぁって相談しようと思ってます。紹介状を書いていただけるみたいですが、こちらの希望の病院って言える
父が6日にコロナになって6日目。父と同居する弟と母親もコロナ陽性になりました。父は6日発症。弟と母は、まず母が9日に倦怠感を感じ検査したら陽性。弟もその後検査して陽性判明。私と長男と三男も7、8日と実家に行ってしまったけど私は陰性。誰1人症状出ていない。近くに住む私と姉が食材などの差し入れを持って行くんだけども、家の中には入れないので玄関外に置く事しかできなくて、それでも弟と母は症状あって休みたいのに父が家の中でウロウロ、オムツだけの半裸、トイレ以外で排尿しようとする、半裸で外に出よう