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うっほ!うっほ!!うっほです(^-^)ニクッ今週からキン肉マンは休載に入ります。コロナウィルスの影響を考えての事です。替わりに、今週は過去の読み切りが掲載されております。『ラーメンマンとブロッケンJr.〜恩讐の彼方に〜』です。ザクッと言えば、超人オリンピックでラーメンマンとブロッケンJr.の対戦後に2人がもう一戦し、分かり合う話です。『オヤジのことは忘れろ、そうすればお前は強くなる』この言葉の意味が語られております。ラーメンマンとブロッケンがもう一戦するシーンでは読み応えも
最近断捨離といえるほどではないけど家の片付けをしていて冠婚葬祭関係のものを詰めたプラスチック製の大きな容器その中の紺色のポーチを久しぶりに手にとった開けたら泣いてしまうわかっていながらもそのポーチを開いたあの子の写真手形足形あの子がさびしくないようにと主人と折った棺に入りきらなかった折り紙母子手帳あの子に似ていると主人と話したパンダのぬいぐるみあの子のために作ったぼうしとお洋服一瞬だった短い時間しか見れなかったすぐに閉じたそれで十分だっ
2021年3月8日予定日超過のため、誘発分娩するために入院する日。朝から、子どもたちと、お腹にペインティングして、「てんちゃん」「41w1d」や、ハートマーク❤️など書いて遊びながら、「とうとう産まれるねー」と子どもたちにも、お腹のてんちゃんとお別れをさせました。ペイントは、百均で買った、ハロウィンなどで使うやつだったけど…お腹に張り付いて剥がれず、「痛いーギャーーー」と、朝から大騒ぎして、しんみり…ではなく、楽しく過ごしていました。入院前にお腹は真っ赤になって、恥ずかしいーー💦と
アクセスありがとうございます。初めましての方はこちらをご覧いただけると幸いです『無頭蓋症って何?無脳症・無頭蓋症とは』妊娠12週目。妊娠12週を越えると、流産の確率が2%に減るという情報をネットで見てから、今日の検診で赤ちゃんが元気なら安心できるかなと、楽しみにしていた。ーー…ameblo.jp『無頭蓋症、無脳症で悲しむ方が一人でも減りますように。』アメトピに掲載していただいたようで、たくさんのブログがあるなか、アクセスしていただきありがとうございますわたしが無知だっただけなのですが、知
※この記録は自分がこの日のことを忘れないようにという思いと、私の経験が誰かの役に立つかもしれないという思いで書いております。「産まれたよ」と、LINEで連絡しました。そしてすぐ電話もしました。夫は泣いてました。私も泣いてました。『人工死産』※この記録は自分がこの日のことを忘れないようにという思いと、私の経験が誰かの役に立つかもしれないという思いで書いております。分娩の日がやってきました。コロナで…ameblo.jp分娩台の上、電話が繋がった状態で、初めて赤ちゃんに会うことにしま
*悲しいことしかないので読みたくない方は飛ばしてください。グロテスクな表現はしていません。悲しい気持ち中心に、リアルに体験したことを書いています。申し訳ございませんが、誹謗中傷はご遠慮ください。私はこの出産を忘れたくありません。なぜなら、赤ちゃんが1番がんばって産まれてくれた出産だからです。人それぞれかもしれませんが私の人生の中で1番痛くて1番悲しくつらい経験です。以下本文↓↓↓同じような経験された方がもし読んでくださいましたら、また悲しい記憶を呼び起こしてし
待機室で待っていると、助産師さんが赤ちゃんを連れてきてくれた白い花柄のティッシュの箱よりもひとまわり小さいくらいの箱その中に赤ちゃんがいた入院して、ラミナリア処置の2日間お洋服と帽子をつくったお洋服は、自分たちで着せたいと希望した「頭が寒そうだったので帽子だけつけさせていただきました」そう言ってくれたけど帽子の下のガーゼには血がにじんでいて目のすぐ上から全体が血の色で。きっと、頭蓋骨の部分全体が真っ赤になっていて親には見せない方がいいというスタ
8月29日12週と0日この日は仕事があった。朝から仕事して、昼休憩の時に産婦人科の受診に呼ばれた。妊娠の経過の記事をいろいろ読んでいて、そろそろ経膣エコーからお腹の上からのエコーになるかなぁって期待していた。いつも通り経膣エコーを見た先生が「元気にはねてますね~」って言ってくれて、確かに元気に動いていて「わー!元気だ!!嬉しい!!」って思った。そしたら先生が「お腹の上から見ますね」「外で待ってて下さい」と言われて、廊下で待ってた。いよいよお腹の上から赤ちゃんが見れるんだ
今年は2月2日が節分でしたね。節分はちょっと悲しい気持ちになってしまう日。8年前の2月3日ツワリ真っ最中の中、大量の海苔巻きを作って、義実家に行って、みんなで食べて豆まきして、楽しく過ごしたけど、、、次の日の妊婦検診でお腹の子の心拍が止まっていた…。。。それから数年は、恵方巻きは食べる気にもならず、節分が苦手になってしまっていた私。でも、ここ数年はその気持ちも薄らいでいたけど、今回は、てんちゃんがお腹にいることで、またトラウマがよみがえったようになり、動いてる⁈生きてる⁈と、一日
車の中で赤ちゃんを抱きながら1週間か。たった、7日なんだなと思った。1週間前の金曜日無頭蓋症の診断を受けた火曜日に入院となり木曜日に出産。そして金曜日の今日、退院前診察で経過順調とのことで退院となった。退院診察は、経膣エコーだった子宮内膜がまだ厚いので出血はまだ続くでしょうとのことだったもらった退院指導の用紙には3日は力仕事せずゆっくり休むこと2週間後の診察までは入浴はひかえてシャワー浴で過ごすこと生理は概ね1ヶ月以内に再開すると考えられるが
火葬をしていただく斎場に到着し運転中で赤ちゃんを触れなかった旦那さんも1度、手のひらで抱っこ赤ちゃんをじっと、見つめていたそれを見て、また泣いてしまった産院で用意して頂いた、赤ちゃんが使っていたお布団代わりの小さなレースのハンカチと赤ちゃんのにおいを少しでもつけれたらと思って一緒に寝かせていたもう1組の帽子とお洋服「これ、ママにちょうだいね」と声をかけて用意していた封筒に入れて鞄にしまいはらぺこあおむしのミニタオルをお布団がわりにしました赤ちゃんのために
アクセスありがとうございます。初めましての方は、こちらをご覧いただけると幸いです。この場をお借りして、Amebaスタッフさんにも。アメトピに掲載頂きまして、ありがとうございます。『無頭蓋症、無脳症で悲しむ方が一人でも減りますように。』アメトピに掲載していただいたようで、たくさんのブログがあるなか、アクセスしていただきありがとうございますわたしが無知だっただけなのですが、知っていれば防げたの…ameblo.jp診断を受けた後、無頭蓋症や無脳症を検索し、同じ診断を受けたお母さん
赤ちゃんは女の子でした。うちの長女は、短い生涯を終え、天使になりました火葬後のドライブ後、家に帰ってからはじっくりと産後の体を休めました。産後は安静にしなければいけないので、1週間はほとんど動かず、その後も家事以外はせず、家でゆっくりと過ごしました。夫が家のこといろいろやってくれました。今まで家事は私に任せきりで、こんなに動いてくれること無かったのに。妊娠から死産後までの、この一件で、私は夫を見直し、愛情を感じることができました。夫婦仲の改善はきっと、赤ちゃんから
8月31日14w1d何も決まらないままの受診日。でも、聞きたいことはちゃんと聞こう!と、旦那と話をし、メモを書いて持って行きました。先生に、まだ決められないことを伝えると、「じゃー、妊婦検診をしようか!」と言ってくれて、母子手帳にも記入をしてくれました。できれば、母子手帳も書いてほしかったし、エコー写真も欲しかったので、すごく嬉しかったです。エコーも、旦那も一緒に見せてくれ、すごくすごく長い時間をかけて見せてくれました。頭を見ると「これねー、やっぱり形がねぇ…ベレー帽かぶっ
実は、人工死産時の絨毛を、染色体検査に出していました。その結果が出たとのことで、夫婦で聞きに行きました。娘は18トリソミーだったそうです。18番目の染色体が3本だということです。臍帯ヘルニアと無頭蓋症は、18トリソミーが原因の発育不全ということかな?そんな感じでした。先生がおっしゃるには、染色体異常は、たまたま赤ちゃんが選んだだけで、遺伝ではないそうです。だから次もそうなる確率は低いそうです。そうか...遺伝ではなく、葉酸不足や受動喫煙が原因でもなかったのですね。
次のブログを一旦の最後のブログにしようと思ってます。その前に本当に悩みましたが、私自身アメーバでエコー写真をみて「もしかしたら…」と思えたので、今後同じ診断をされた方や、経験しなくても知って貰いたいので載せようと思いました。頭の形が丸くない。頭の形が平べったい。頭の形がいびつと言われました。検索しても余り引っ掛からなかったのを覚えています。エコー写真なので嫌な方は戻って下さい。人によってはショックかも知れません。10wのエコーです。8wは後ろ姿でしたが、その時から
病院の続き⇩⇩⇩こうして病院は卒業したのですが診察が終わって職場に提出する書類を受け取りに受け取り場所へそこで事件がおきました書類は出産手当金の申請で働いていなかった期間の国からの補助金を受け取る為職場に提出するにあたり病院の証明が必要との事で病院側にお願いしておりました。言わば、息子が死んだという証明。わかっていたから、文書をささっと受け取ったらすぐに帰ろうと思っていたのですが受け取った文書を見てみるとそこには生産というところに丸がされていました。(横に
助産師の方とメッセージのやりとりをした次の日。旦那から「俺も…運命まかせ?っての…いいと思ってきたかも…。」と、言ってきました。ほぼ100%諦めてほしい。と言っていた旦那が、助産師の方のメッセージを見て、気持ちが揺れてきていました。なんだかんだで頑固だし、なかなか変わらないだろうな…と思っていた旦那さんの気持ちが動きはじめた瞬間でした…。。。もちろん、まだこの時点では、心が揺れているだけの旦那でしたが、この後から、どんどん気持ちが固まっていき、一週間もすると、「え?運命に任せるんで
遅くなりましたが、ご報告です。9日てんちゃん誕生10日永眠13日火葬と、昨日、火葬が終わりました。てんちゃんは…必死に生きて産まれ、ものすごく頑張って13時間生きてくれました。今は、まだ心が追いつかないため、また、落ち着いて、出産のことなど綴りたいと思います。たくさんの応援、奇跡の願い、本当にありがとうございました。
それから、3週間くらいは、とっても穏やかな気持ちで過ごすことができました。子どもたちに男の子報告をしたら、予想通り、エコー写真をみて大爆笑!私の体調もつわりが完璧に終わったのか、とても調子が良く、2回ほどすこーーし出血はありましたが、すぐに治り、受診することもなく…そして、胎動もはじまって、日々、お腹で生きてくれてるー❤️と実感することもできて、本当にすごく穏やかで幸せな毎日を過ごしていました。名前も、それぞれが考えて、たくさんの候補が出た中で、結婚十周年でできた子なので、十を英語にして
2022年11月30日AM7時58分3352gの男の子を出産致しました!予定日を3日過ぎての出産となりました。かかった時間は12時間2分で、初産にしては少しだけ早めのようです。前日の夜20時頃から規則的な痛みを感じ、22時に入院。翌朝5時頃に高位破水を確認し子宮口5cm、そこから進みが速くなり、朝7時頃に8cm→あっという間に全開→出産でした。やはり娘のときの陣痛より痛みは強かったですが、陣痛が始まってからも入院が決まってからも全く緊張することなく、最後まで落ち着いて出産に臨むこと
昨日に引き続き、産婦人科へ有名な病院のエコー専門の先生の診察そんなものがこのクリニックで受けられたとは知らなかった診察の結果やっぱり、羊水は少ないこうやって羊水の量がはかりやすいところを探さなきゃいけない時点で少ないということと、言われたそして、逆子なので推定体重が少し小さめには出るが正常より2週間分くらいは体重が少ないこのクリニックで産むことはできるけどここにはNICUがないから何かあった時とかに赤ちゃんだけ救急車とかになってもいやでしょ?と言われる
祖母の告別式の次の日12月20日(日)で30週にはいりました。三日間の不規則な食事で、体重も2キロ増えてしまい、便秘もひどく、ヤバイ…と思っていると、ようやく便意が!でも、頑張ってしまい…まさかの痔。。。上の子たちの時も妊娠中はずっと痔がお友達状態でしたが、今回は痔にならないなーと思っていたら…まさかの過去最大な痛みと大きさでした。(汚い話で申し訳ないです…。)次の日もその次の日も痛くて、歩くのもぎこちないし、座るのもツラい…。。。仕事中もホッカイロで温めて、どうにか座っていました
12週目の検診。エコー室に入って先生2人でエコーを確認。「エコー見ながら説明しますか?」そう言われたけど女性の先生が「座りながらゆっくり説明しようと思ってて…」と言われたので一旦診察室へ戻った。「あのね、検索したら出てくるんだけど。無脳症という病気です。赤ちゃんのね、頭蓋骨が作られてないのよ。もしあれならセカンドオピニオンも出来るからね」先程のエコー写真でふよふよ浮くような脳を見ているし、8週で検索してる。事前に把握していても聞いてるのがつらくて目を逸らしてしまった。
研修の次の日の昼過ぎに、仕事中にお手洗いに行くと、茶オリがあり…前々日の内診のせい⁇研修が終わってホッとしたから⁇と思いつつ不安で、帰宅後はなるべく横になって過ごしました。次の日も出血があったため、その日は仕事は休みをいただいて、病院に電話して、様子を見ることに。。。ひたすら寝転がって、まだダメよー‼︎と、声をかけながら過ごしていました。昼過ぎに、母からのLINEが鳴り…婆ちゃん、亡くなりました。と。。。え?婆ちゃん?亡くなった?意味わかんない。。。は??と呆然とし、母に
インターネットで中期人工中絶は保険適応となることがあると読んだ事務の若い女性スタッフさんが会計を担当していて死産証書を持ってきてくれたときに素朴な疑問で聞いてみた聞かなきゃ良かったとあとで後悔したのだけれど。返ってきた答えはこのような感じだった「赤ちゃんがお腹の中で亡くなっている場合は保険適応になります。ですが、妊婦さんの希望で中絶になった場合は適応外になるので、今回の場合は保険適応外ですね。」深い意味はない何の意図もないであろうその言葉の中の"妊婦さん
今回の妊娠がわかったのは、2020年6月23日でした。この時期は、もう諦めてたので、基礎体温も測っていなかったのですが、なんとなく基礎体温を測っていた月でした。(不思議…。)この日の朝、あーー高温期14日目だな…。フライング…しちゃうか…。。。と、検査したら、ここ2年の中で一番濃い陽性に!!この濃さはやっっと育ってくれるんじゃない⁈と、旦那さんと期待しすぎずに、でも期待しよう!と話していました。それから一週間たって、7月1日に初受診しました!エコーするまでドキドキで、今度こそ胎嚢は
ようやく、リアルタイムに追いつく事ができました!ブログを始めて2ヶ月半ちょっと。。。まさか、5000人ものフォロワーさんができるとは思わず…とても驚いています。1000人を超えた辺りから…正直怖くなり、ブログはやめようかとも思いました。でも、こんな私のことでも、記録することで、少しでも、今後、無脳症の子を妊娠された方への救けになれば…と思い、続けてきました。(私自身、本当に検索魔になり、ブログなど読ませていただいて、いろいろな事を考えることができたので…)自分自身の記録でもあるため
あくまでも私の場合です。めったにしない入院をしてしたくない手術を受けたので医療保険に問い合わせてみましたわたしは東京海上日動グループのウィルネクストという保険に入ってます仕事先の、団体で入れるもので年額もそんなに高くありませんなので、参考になるかわからないのですが。問い合わせてみたところ返答は概ね、このような感じでした手術代が、保険適応の場合は保険金申請の適応となる手術代が自費の場合は保険金申請の適応とならない傷病名が保険をかけている母親自身につくのであれ
入院して出産するまでに赤ちゃんの洋服と頭が寒くないように赤ちゃんの帽子を縫わせてもらえました。産院では死産の患者さんのために何種類もの布や、赤ちゃんの大きさ別の型紙バイアステープ、リボン、裁縫セットなどを用意してくれていたのです。赤ちゃんが生まれて旦那さんと一緒にお洋服を着せて一緒に過ごした初めての夜その日の夜に思いました。赤ちゃんが着ている帽子もお洋服も火葬で燃えてしまうそれは悲しい。朝4時頃目が覚めるとそれに気づいた担当の助産師さんがあまり眠れませ