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産休中の私は相変わらず引きこもっていました。ゴールデンウィークも予定は入れず夫と家でごろごろ過ごしていました。2018年5月14日ひなたがいなくなって1ヶ月たちました。5月、私の誕生日がありましたがあまりうれしくありませんでした。どうしてもどうしてももし、、、ひなたがおなかで育っていたら、今○週目だなぁおなかは大きくなっていたのかなぁって考えしまう。毎日見ていた赤ちゃんの数週がわかるアプリはそのままで手術の日以来開いていない。赤ちゃんのいない産休ってなんだよ!ひ
7月8日、受診から2日後に茶オリが少し出て、不安になりつつ、2日前に診察したからかなーと思って、とりあえず自分的に安静に過ごしていました。その後、茶オリはすぐにとまったので、大丈夫だーと思っていました。7月13日、一週間ぶりの検診🏥この日も心臓はしっかり動いてて、心音も聞かせてもらえて、嬉しさで涙がでましたが…子宮内に炎症があって、今のところは大丈夫だけど、ひどくなると流産につながる。円錐切除した場所にポリープもできている。どちらも流産に繋がりかねないから…と、流産予防にデュファス
祖母の告別式の次の日12月20日(日)で30週にはいりました。三日間の不規則な食事で、体重も2キロ増えてしまい、便秘もひどく、ヤバイ…と思っていると、ようやく便意が!でも、頑張ってしまい…まさかの痔。。。上の子たちの時も妊娠中はずっと痔がお友達状態でしたが、今回は痔にならないなーと思っていたら…まさかの過去最大な痛みと大きさでした。(汚い話で申し訳ないです…。)次の日もその次の日も痛くて、歩くのもぎこちないし、座るのもツラい…。。。仕事中もホッカイロで温めて、どうにか座っていました
8週目の検診の前々日。真っ赤な鮮血があり、不安になって病院へ。いつもより多かったけど赤ちゃんは無事でした。「余程量が多いとかダラダラ続かない限り心配しなくていいよ」そう言われて手渡されたエコーの赤ちゃんは後ろを向いていてかわいいなって思ったと同時に頭の形が少しへこんでる…?と思いましたが後ろを向いてるからエコーの角度の問題かもと余り気にしませんでした。次の検診までに母子手帳を貰いにいってと言われたので市役所に行き、これからの事や不安な事。期待を胸に母子手帳を受け取りまし
誕生日を無事一緒に過ごした次の日昼頃に病院に向かい、同意書を書いてそのまま入院になりました。入院前、看護婦さんに赤ちゃんの遺骨が残っても手元に置いとかない方が良い次に進めなくなるという話を聞いて凄く複雑な気分になりました。旦那さんと別れ、入院服に着替えてすぐ処置になりました。ダイラパンという子宮を広げる棒状のものを入れる処置で、事前にネットで調べて痛いというのを見ていたのですが入れる前に固定されるのも痛いし入れる時も異物感や刺されてる感覚。ガーゼで拭かれるのも気持ち悪
朝起きた時に胃が気持ち悪いわたしは胃が弱いのでわりとよくあるのだけれどおそらくつわりの初期症状のようなものはすでに始まっていた生理日から数えると6週目死産を経験して2年その間に家の近所に産婦人科ができたのでそこに行ってみることにした長男も長女も赤ちゃんも家から自転車で30分ほどの産院で産んだ幸せな思い出ももちろんあるけど悲しいことも思い出してしまう場所今回はせっかく近所にできたしということもあり新しい産婦人科に行ってみることにした自転車で10分もか
婆ちゃんの家に着くと、父母や伯父伯母、弟家族やイトコが来ていましたが、挨拶もそこそこに、婆ちゃんの寝ているところへ向かいました。すっかり冷たくなって、、、でも穏やかで寝ているような婆ちゃんの顔。ごめんねー、会いに来なくて…ごめんね。。。婆ちゃん…あのね、私、お腹に赤ちゃんいるんだよーー。でもねぇ、赤ちゃん、病気なんだぁーねぇ、婆ちゃん…聞いてる??声をかけても、返事なんてあるはずもなくて…ただただ涙が溢れてきて、その場からしばらく動けませんでした。やっと動けるようになって、台所
妊娠12週目の超音波検査で指摘を受けて、大学病院に紹介状を書いてもらいました。予約をとれたのは1週間後でした。夫婦で来てくださいと言われていたので、夫にも仕事を休んでもらって二人で行きました。大学病院の先生に、性能のいい超音波の機械で見てもらいました。「お母さんはここに横になってください」「お父さんはこちらで座って見てください」お母さん。お父さん。こう呼ばれたのが初めてなので、少しくすぐったくて、嬉しかったです。経腹エコーでゆっくりじっくり見てくれました。検査はそれだけ
今回の妊娠がわかったのは、2020年6月23日でした。この時期は、もう諦めてたので、基礎体温も測っていなかったのですが、なんとなく基礎体温を測っていた月でした。(不思議…。)この日の朝、あーー高温期14日目だな…。フライング…しちゃうか…。。。と、検査したら、ここ2年の中で一番濃い陽性に!!この濃さはやっっと育ってくれるんじゃない⁈と、旦那さんと期待しすぎずに、でも期待しよう!と話していました。それから一週間たって、7月1日に初受診しました!エコーするまでドキドキで、今度こそ胎嚢は
研修の次の日の昼過ぎに、仕事中にお手洗いに行くと、茶オリがあり…前々日の内診のせい⁇研修が終わってホッとしたから⁇と思いつつ不安で、帰宅後はなるべく横になって過ごしました。次の日も出血があったため、その日は仕事は休みをいただいて、病院に電話して、様子を見ることに。。。ひたすら寝転がって、まだダメよー‼︎と、声をかけながら過ごしていました。昼過ぎに、母からのLINEが鳴り…婆ちゃん、亡くなりました。と。。。え?婆ちゃん?亡くなった?意味わかんない。。。は??と呆然とし、母に
午前10時半赤ちゃんが生まれて旦那さんと3人での時間を過ごして手形、足形をとってもらって。そのあとも、赤ちゃんとお部屋で過ごしていた人は亡くなったあと、霊安室のような涼しい場所で過ごされるイメージで赤ちゃんは退院のとき葬儀屋さんにドライアイスを用意してもらうと聞いた暖房も切って窓を開けたずっと、離れたくないな入院前はただ悲しいだけのお産になるんだとそう思っていたでも、生まれてくれた今。少なくとも私にとってそうではなかった。我が子に会えるって嬉しい
かなり久しぶりの更新になってしまいました。何も変わらない日々を過ごしていましたが去年の夏ぐらいから生理前の気分の落ち込みが異常で何のやる気も起きず消えていなくなりたいどうしていいかわからないと、かなり気分の波が激しくて生理が来ると気分は落ち着くし生理が終わると別人のように元気な状態になっていました。先々週生理前の気分の落ち込みがつらくて仕事を休み仕事に行っても早退したりとボロボロで死んじゃいたいくらいつらくて頭痛も激しくて心の中の信号が黄色から赤に変わっ
退院前に、死産証書というものをもらった。赤ちゃんの体重、身長、性別死産の時間や住所死産の自然人工別人工死産の理由等を医師が記入したものわたしの場合は、人工死産の場合という欄に母体保護法によるもの疾患名身体虚弱で母体の健康を著しく害するおそれありという記載があった愛しい我が子の名誉が汚された気分でした書類上仕方がないのかもしれないけど『害する』という表現がたまらなかったこの用紙はA3サイズで、右半分が死産証書左半分が、死産届になっている死産届は
アクセスありがとうございます。初めましての方はこちらをご覧いただけると幸いです。『無頭蓋症って何?無脳症・無頭蓋症とは』妊娠12週目。妊娠12週を越えると、流産の確率が2%に減るという情報をネットで見てから、今日の検診で赤ちゃんが元気なら安心できるかなと、楽しみにしていた。ーー…ameblo.jp『無頭蓋症、無脳症で悲しむ方が一人でも減りますように。』アメトピに掲載していただいたようで、たくさんのブログがあるなか、アクセスしていただきありがとうございますわたしが無知だっただけなのですが、
*人工中絶手術についてふれています。読んで不快な気分になるかもしれないので嫌な方は飛ばしてください。同じ職場の人に1歳のお子さんを持つ方がいらっしゃって私が妊娠中だったときいろいろ相談に乗ってくれていました。なので、その方には赤ちゃんの頭の骨が育たなくて人工妊娠中絶手術をしたんですと、手術直後に本当のことをラインで言いました。その方から「残念なことになっちゃったんだね。悲しい。無理しないで、ゆっくり休んでね。」と、優しい言葉をいただきました。「私も中絶手術経験があるん
ようやく、リアルタイムに追いつく事ができました!ブログを始めて2ヶ月半ちょっと。。。まさか、5000人ものフォロワーさんができるとは思わず…とても驚いています。1000人を超えた辺りから…正直怖くなり、ブログはやめようかとも思いました。でも、こんな私のことでも、記録することで、少しでも、今後、無脳症の子を妊娠された方への救けになれば…と思い、続けてきました。(私自身、本当に検索魔になり、ブログなど読ませていただいて、いろいろな事を考えることができたので…)自分自身の記録でもあるため
入院した後、処置の前にもう1度、エコーを確認してくださるとのことだった。位置的に見えづらかっただけであれ?あ、頭蓋骨あったね良かったそんなことにならないかな何度も思った。無頭蓋症の診断となった日の夜泣いたところなんて見たことない旦那さんが静かに泣いていてああ、夢じゃないんだこれは、現実で。とても悲しいことが私たちに起こってしまったんだと、実感した入院の流れを説明してくださった助産師さんはとてもいい人で、わたしは絶望の中にいながらも彼女の言葉にど
診断されてからもされる前もずっとネットで調べてました。継続する場合の事や十月十日で産まれた子。そしてお別れした方のブログ。調べて調べて、それでも継続するという選択が私には出来ませんでした。とても酷いことかも知れないしそれが正解だったのか今だに分かりません。ただ、お腹の赤ちゃんの事は愛しているしかわいい我が子なのでつらかったし毎日毎日泣いていました。お別れを選択した次の日は私の誕生日だったのでその日一日過ごしてから病院にいこうと思って予約を入れました。すると病院から折
こんにちは※私のものではないのですが、下にエコー写真が出てきます。苦手な方やご気分が悪くなる方は引き返してください。すみません。サムネ対策に。雨の日のスタバにて。この前主人が私のお腹を撫でた後、「ちび〜」と言いながら空中に向かって手を伸ばして頭を撫でる動作をしてました。生きてる子にも亡くなってしまった子にも同じようにしてくれるのが、すごく嬉しいです。それから、私がちびに話しかけたり、泣いてたりすると、お腹の子がポコポコ動いて、まるで一緒に話しているような、「お姉ちゃんのこと知ってるよ
昨日に引き続き、産婦人科へ有名な病院のエコー専門の先生の診察そんなものがこのクリニックで受けられたとは知らなかった診察の結果やっぱり、羊水は少ないこうやって羊水の量がはかりやすいところを探さなきゃいけない時点で少ないということと、言われたそして、逆子なので推定体重が少し小さめには出るが正常より2週間分くらいは体重が少ないこのクリニックで産むことはできるけどここにはNICUがないから何かあった時とかに赤ちゃんだけ救急車とかになってもいやでしょ?と言われる
不妊治療継続中の身ではありますが、1歳4ヶ月の長女がいます。『妖精サイズの赤ちゃん』※この記録は自分がこの日のことを忘れないようにという思いと、私の経験が誰かの役に立つかもしれないという思いで書いております。「産まれたよ」と、LINEで連絡し…ameblo.jp親バカながら、可愛い一人娘です。結婚5周年の記念日に、家族3人で旅行に行きました。キャンプして、動物園に行きました。娘が入ったリュック型のマザーズバックを、前向きに抱えてると、まるで本当に生きてる赤ちゃんを抱っこしてる
これまで聞いたこともなかった病名。私なりに色々とネットで調べました。無脳症(無頭蓋症)妊娠4~5週までにおこる神経管閉鎖障害・神経学的奇形症の一つで、赤ちゃんが生まれながらに脳を持たない症状。日本での無脳症の発症率は約1,000に1人。そのうち75%が死産となり、無事に出生する確率は25%、1週間以内の生存率はさらにそのなかのごくわずかだそうです。赤ちゃんが無脳症であるとわかるのは早くても妊娠8週目で妊娠4か月以降に診断が確定し決断が求められ、たくさんの障害の中でも
2018年6月1日四十九日を迎えました。特に何かするわけでもないですがかわいいお花を買いました!そして、四十九日を迎える前にかわいい骨壷を購入しました。真鍮製でフタがしっかりしまるものにしました。下のステージは、仏具屋さんで1万くらいで売っていて高いなーと思ったら仏具屋さんからDIYで作る方もいらっしゃるとお聞きしたので、木製のまな板をアクリル絵具で色を塗りました!まな板に見えないですよね?笑お花屋さんでくまのぬいぐるみ付きの花束があったのですが、ぬいぐるみに棒が
今日は、退院の日わたしが入院した産院では、お会計は通常1階の受付で行われるだが、ここには、産科や小児科を受診する患者さんたちがたくさんいるお腹の大きな妊婦さん生まれたばかりの赤ちゃんを連れたお母さんがいるということわたしは、「あ、大丈夫です。今後も赤ちゃんに会う機会はたくさんあると思うので。(慣れないと)」と伝えたけれど気をつかっていただいてお会計は部屋でということになった同じ理由で正面入り口ではなく裏口からの退院となったなんだかこそこそしてるみたいで
アメトピに掲載していただいたようで、たくさんのブログがあるなか、アクセスしていただきありがとうございますわたしが無知だっただけなのですが、知っていれば防げたのではないかとやはり何度も後悔してしまいます無頭蓋症、無脳症のこわいところの1つは妊娠に気づく前から気をつけなければいけないことかなと思っていますわたしは、生理予定日4日前に耳鼻科を受診しました問診票で妊娠の可能性が少しでもあるのなら、「妊娠していない」ではなく「妊娠中」にマルをつけていれば良かった
今日は朝食のあとの座薬は出なかったラミナリアを抜いて陣痛促進剤を入れるからだろういよいよ出産あともう少し頑張ろうと気合いを入れて診察室へ向かったが、なぜか今日は先生がラミナリアを抜こうとしてもなかなか抜けないカーテンの仕切りで先生の手元は見えないから音と子宮の感覚だけのイメージだけど、おそらくピンセットのようなものを使って、ラミナリアを1本掴んで引き抜こうとしているしかしギッチギチに詰まっているせいで1本だけ引き抜こうとしても周りのラミナリアが全部付いてきてしまっている状態(多分)
1月5日6日私と娘が発熱し、二人でインフルエンザとコロナの抗原検査を受け、無事陰性で一安心。。。1月11日また少量の出血あり。と、年が明けて落ち着かない日々を過ごして、ようやく検診の日になりました。1月12日33w2dまずは内診から始まりました。「出血…は少しあるねー。頸管は、しっかりありそうだけど、お腹を押すと30ミリを切りそうだけど…33週だから問題ないね!」と言われ、一安心!その後、腹部エコーをしました。相変わらず元気いっぱいのてんちゃんを、可愛いなぁー❤️と見つ
15時に火葬場へ向かった。父と合流して座敷へと通された。そこで色んな話をして、15分後くらいに「用意ができました」と呼ばれた。行きたくない。身体が重い。どうして出産してここに立っているのか。この子は本来ならまだお腹にいて、7月に生まれて、それで。頭の中で色んな感情がぐるぐる渦巻いた。「線香をあげて下さい」旦那さんが一歩前に出て線香をあげる。高校からの付き合いで火葬の経験なんてなかったのを知ってる。なのに一番最初の火葬が自分の子。もうダメだった。自分の番なのに足が動
3月8日先生に言われた通り再診。ゆっくり話がしたいからとの事で午前の1番最後に診察することに。診察室呼ばれてすぐ経膣エコー。やっぱり赤ちゃん元気に動いてた。だけど頭の半分以上が黒いまま。なんなら2日前より大きくなってる気もする。先生の見解は水頭症かもしれないとのこと。エコー終了してお話することに。先生からの提案は3つ。一つ、このまま妊娠継続して様子見。(ほぼ確実に異常を持った子が産まれる)二つ、もっと大きい病院で診察して判断する。(田舎の病院だったため胎児異常の経験が
病院で心拍の確認ができた後、やっと母子手帳を市役所にもらってきてくださいとのことで2018年3月27日母子手帳をもらいに市役所へ行きました。アンケートのような問診表?と言ったら良いのでしょうか。ー今回の妊娠を知ってうれしかったですか?ー生活習慣ー産後協力してくれる家族はいますか?など、書いてその答えをもとに職員さんの面談をしました。そして、母子手帳をゲット!マタニティマークのキーホルダーもゲット!妊婦さんじゃーん♪(いや、その前から妊婦さんだわ)と、自分でツッコミしつつ