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世界があって、自分がいて、、、と、思っていたけれど、同時、、、無為、、、天然自然の活動、、、自他、意味内容なく、、、、眼、耳、鼻、舌、身、意ありよう、、、万人に共通の事実、、、その働きのまま、、であれば、本当に平和、、、耳の働きのまま、、、眼の働きのまま、、、鼻の働きのまま、、、舌の働きのまま、、、身の働きのまま、、、そして、意の働きのまま、、、何を思えようと、、意の働きのまま、、心を付けないで、心をうつさない、、、心を制する、、、安心、満足、平和、、、尊く
23人目📸写真右名前:岸本一奈乃(きしもとひなの)学科:A類学校教育出身地:広島出身部活:バスケットボール部のマネージャー📸写真左から4番目ポジション:MG特技:たくさんおしゃべりして、たくさん寝ること班:かじ班📸写真前列右から2番目最後に一言!一生懸命頑張ります!〜無為〜
釈尊の真相、本当の悟りってどう言う事なんですか!?すでに私なく成り切っている事実、実物自体の事です。「ブーン」(車の音)私が右を向こうと心意識を働かせずにして、右を向いたら右の風景の内容の事実が現れて、自分が左を向こうと自分を立てて心を働かせずにして、左を向いたら、見ようとしてないのに、左の風景が見えちゃっていて、風景自体に成り切っちゃっていて、私が思おうとしてないのに、「つまん
ついついやりすぎてしまったり、よかれと思ってやったことが・・・“おせっかい”“いらんことしい”“ありがた迷惑”なんて言葉も。『荘子』内篇の「應帝王(おうていおう)」篇に出てくるお話。南海の帝王を儵(シュク)といい、北海の帝王を忽(コツ)といい、中央の帝王を渾沌(コントン)といった。シュクとコツとがあるときコントンのところで出会った。コントンはとても手厚く彼らをもてなした。シュクと
精神科医、野村総一郎氏の心に響く言葉より…「美しい、醜い」「正しい、正しくない」「勉強ができる、できない」「地位が高い、低い」など、どれも他人がいてはじめて成立する相対的な価値であって、たいしたことはない。なぜなら、状況が変わったり、運気が変わったりすれば、あっさりと変化してしまうものだからだ。昔から聖人と呼ばれる人は、そのような世俗の価値観にとらわれて、焦ったり、何かを企てたりせず、あえて「何もしない」という立場に身を置き、余計な言葉や概念を振り回し
縁覚点検、本当に、本当に、どうもありがとうございましたm(__)m何度も、何度も何度も声聞、、、心を制する、、、思考を事実と錯覚していたとハッキリし、いつのまにか、知らぬうちに、、明明たる本心に基づいている、事実自体、、、無為、、、自他なく、、、言葉に意味内容なく、、、生涯一点、、、どこにも行かぬ、ここにおる大安心、大満足、大平和、、、優しい、素晴らしい、事実そのもの、、、本当に、本当に、ありがたい、、、南無阿弥陀仏
引退ブログNo.6『かじ』こんにちは!部活動を引退して、もう一週間が過ぎました。リーグ戦が遠い記憶のように感じます。思えば、僕の東京での大学生活はほとんどラクロスの毎日でした。この引退ブログもなんだか梶原物語〜東京編〜とかになりそうですが、時間がある時にでも読んでいただけたらと思いながら、長々と書いていきます。といいつつ、まず部の関係者が見ているところではありますが、ラクロス部を引退するにあたって両親に感謝の気持ちを伝えたいと思います。リーグ戦で負けた時も、試合で活躍した時も、引退
引退ブログNo.7『じん』リーグ前のブログで、2本立てでお送りすることをお伝えしておりました。今回は「ラクロスと佐川尽」編です。最後までお付き合いください。3年生までを振り返ろうと思ったのですが、なんだかうまく書けないので特に記憶に残っていることを書いていこうと思います。俺の大学4年間の思い出はほとんどがラクロスで占められているのですごく長くなってしまいます。ラクロス部に入部したのは2020年4月29日でした。同期の中では一番早い入部で、だんだん増えてくのがうれしかったのを覚えてい
無我夢中の時って無我夢中ゆえにその時のこと覚えていないんですよね。で、「努力」「一生懸命」「無我夢中」とかいうキーワードみると、(いやぁ、自分はそういうの苦手だなぁ)とかいいつつ実はやってたじゃん、という。やろうと思ってやる、というのではなく知らない間にやっていた、という方が正しいでしょうか?自分のケースではないですが、国際離婚したママとはよくLINE電話でまくしたてて喧嘩してたのですが、ママはその喧嘩で日本語が上手になった。自分は自分で「無我夢中で」「一生懸命」喧嘩していたか
「ゴミを溜めとかない」は誰にもできることのうちで、結構重要なこと。住まう部屋、見渡す範疇(はんちゅう)に、ゴミや片付け損じがあるとき、視界を介して脳に届く情報は、「しまわれないものに囲まれて過ごしてる自分」というインプットがあるわけです。「なんにも起きてない」にしたがる脳内のスピン作用が実際は起こってて、「片付けられない人」ほど、この自己催眠みたいな「別になにか悪いわけなじゃないし」で済ませたがってしまう。言いたいのは、「そこで片付けにかかった」人とは、別の帰着点に至るんだけどなあ