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先日、「京都の恋」を演奏したことについては、一つ前で投稿しましたが、この曲を日本語詞で歌い大ヒットさせた渚ゆう子さんについては、実のところ自分はほとんど知りませんでした。ところが最近、偶然にも渚ゆう子さんに関する記事を読み、彼女の驚くべき人生を知ることになったのです。渚ゆう子さんは、1965年に作曲家・浜口庫之助氏に師事し、ハワイアン音楽を学びました。そして1967年、ハワイアン歌謡でデビューを果たしますが、デビュー後の3年間はなかなか芽が出ず、当時交際していた男性との結婚を決意し、それを
思い出話を一つ。私が初めて入手したレコードは渚ゆう子の大ヒット曲「京都の恋」のシングル盤でした。小学生の頃の話で、自分でお金を出して買ったものではありません。町内会が主催する運動会で一等賞をとった際に賞品として頂いたものです。小さな町内会でしたけれども、同級生が10人くらいいましたから、少子化の昨今と比べれると雲泥の差ですね。それでもこのレコードを始め、競技に出場すれば何らかの賞品がもらえたものですから、学校の運動会とは全く異なるモチベーションで頑張りました。しかし、なぜこのレコードが
「あまた存在していたGSのなかで、おそらく唯一、ギター不在というめずらしい編成であることに加え、クニ河内の作る多様な楽曲に対応する、その底知れず奥深い演奏能力が、GS仲間たちからも一目置かれていた、ザ・ハプニングスフォー(+1)の再結成アルバム(2005年1月発売)。メンバーはクニ河内(Key)、チト河内(Dr)、ペペ吉弘(B)、トメ北川(Vo)、篠原信彦(Key)。全12曲のうち、前半の6曲は、セミプロ時代の音楽仲間である渚ゆう子やペドロ梅村らをゲストに