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ユニークな楽曲とミニの衣装、奇抜な振付、そしてミーちゃんケイちゃんの唯一無二の歌声と溌溂としたキャラクターで、日本中を虜にしたピンク・レディー。年に300本もの番組に出演するなど、テレビと歌謡曲の全盛期を象徴するスターだった。現在DVDなどで観ることができる当時の出演映像の中から、2人の活躍を振り返っている。今回は、昭和のアイドルが当たり前にこなしていた水着での歌唱映像をピックアップする。「SinglesPremium」DVDより引用(以下の画像も同じ)今回も前回と同じく、2011年にリリ
1977年のある時期から約2年ほどは、テレビでピンク・レディーを見ない日は、ほとんどなかった。歌番組もさることながら、とにかくコマーシャルへの出演が多かった。所属事務所T&Cの経営者、貫泰夫氏の著書によると、1年に約300本の番組出演に加えて、コマーシャル出演の年間契約を11もの企業と結んでいたという。貫氏は牛乳石鹸、松下電器、神州一味噌、雪印乳業、アサヒ玩具、日清食品、日本ハム、片倉工業、小西六写真、学習研究社、大日本除虫菊の名前を挙げているが、それ以外にも例えばグリコの「アーモンド・ダ
ピンク・レディーの大ヒット曲「UFO」について、現在DVDで視聴できるミーちゃんケイちゃん2人の歌唱映像を、テレビで放送された順番に鑑賞している。今回は1978年7月の映像を取り上げる。「UFO」のリリースは半年以上前の77年12月であり、この時期のピンク・レディーは歌番組では主に「モンスター」を歌っていたのだが、それでもメドレーを含めて3件の映像がある。いずれも特番で放送された映像である。78年7月27日放送「木曜スペシャル7万人大集合!ピンク・レディー真夏のジャンピングフェスティバル」(
ピンク・レディーのシングルB面曲について、取り止めもなく書いている。今回はシングル4作目にしてミリオンセラーとなった「渚のシンドバッド」のB面で、ある意味ピンク・レディー史上「最大の問題作(?)」かもしれないこの1曲を取り上げたい。<基本情報>タイトル:パパイヤ軍団作詞:阿久悠作曲・編曲:都倉俊一発売日:1977(昭和52)年6月10日A面曲:渚のシンドバッド前々回の記事で「りんごと歌謡曲は相性が良い」などと書いたが、さて今回はパパイヤである。『【B面deピンク・レディー】ピ
https://youtube.com/watch?v=MqiN4XJfF94&feature=share自身のデビューシングルとして、7インチレコードで1978年6月25日に発売。オリコン週間3位。ザ・ベストテン週間4位。本作のタイトルは、当時ヒットしていた沢田研二さんの「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」を「2つくっつけただけ」のものであると言われてきましたが、TBS系バラエティ番組『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱団」コーナーにあった、1977年から78年
寿桃スタッフです最近寿桃におもしろ宴会大好き女子が増えまして、おもしろ宴会好きな私としてはかなーり良い刺激をもらってます面接の時から全身タイツ、着るのが好きと言っていたひろみさん一緒に宴会におじゃまする日が楽しみです先日加入してくれた寿桃最年少じゅんちゃんピンクレディ渚のシンドバッド完コピももクロ怪盗少女二億四千万の瞳おもしろ合いの手などなどかなりいいネタもってますいまは田原俊彦抱きしめてトゥナイトの振り付けを覚えても
1977年6月27日の「夜ヒット」は、前回に続き「渚のシンドバッド」。レモンイエローの衣装は、ぎりぎり本番の1時間前に完成して届けられたのだとか。ピンク・レディーの衣装を手がけていた野口庸子さんのデザインと思われる。テレビは夢を売る世界。当時は歌番組も多く、いつも同じ格好という訳には行かないので、衣装作りも大変だっただろう。歌唱に入る前、司会の芳村・井上コンビはこの曲を「せっせっせ」と紹介した。曲の終わり、コーダの振り付けのことをさしているらしい。ミーちゃんケイちゃんが向かいあって、互いに両手
るそんべえです。1977年のレコード大賞、沢田研二の「勝手にしやがれ」。19枚めのシングルでのやっとの快挙でした。ジュリーは何度もノミネートされていて、前年まで残念な思いをしていたので、この時の受賞の喜びようは、本当に私の頭の中にも映像として残っています。歌の途中で帽子を投げる姿などは、私もライブでは帽子を被っていたので、マネしたくなる願望を抑えたこともありました。1つしかもっていたに帽子をそのまま持っていかれたらいやだなと思ったのと、ここで帽子を投げればカッコいいだろうなという気