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きぬかけの路を歩くの後編です。嵐電(京福)の御室仁和寺駅です。望遠レンズで撮影した御室仁和寺駅です。妙心寺の北総門です。日本最大の禅寺|京都花園臨済宗大本山妙心寺公式サイト臨済宗妙心寺派の大本山です。広大な敷地には46の塔頭寺院が立ち並び「雲竜図・日本最古の名梵鐘・明智風呂」など、多数の見所があります。www.myoshinji.or.jp妙心寺の仏殿です。妙心寺の経蔵です。妙心寺の山門です。妙心寺の南総門です。JRの花園駅です。
法金剛院(ほうこんごういん)は、平安初期の天長の頃(830年)に右大臣・清原夏野が山荘を建て、死後に寺として双丘寺(ならびがおかでら)と称し、嵯峨、淳和、仁明天皇の行幸を仰いだ。次いで、文徳天皇が天安二年(858年)に伽藍を建て、定額寺に列し天安寺とされた。その後、平安末期の、大治五年(1130年)に鳥羽天皇の中宮・待賢門院(たいけんもんいん)が天安寺を復興し、法金剛院と改めた。そして、弘安二年(1279年)に円覚により再興され、律宗に改められた。当初は、池の西に西御堂、南に南御堂、東に女院の
この作者の仏師は誰か?右京の花園にある法金剛院は、平安初期に右大臣・清原夏野の山荘をその死後に寺に改めたのが前身であるが、大治5年に待賢門院が再興した。この時、造立されたのが現存する像高2.2m・丈六の阿弥陀如来坐像。制作したのは平安後期の仏師・院覚(インカク)。仏像の和様化を果たした定朝から3代後の院派(インパ)の仏師で、穏やかな面立ちの典型的な定朝様式を示す。