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トネさんの言いつけを守り、外に出てなるべく日を浴びるようにした私は、高校に入る頃には体質が変わり性格まで積極的になりました。中学生までは積極的に人と関わるのが好きではなかったのですが、高校生からは進んで人と関わるようになり、男女関係なく交流を拡げました。そして身体を鍛えることが日課になり、部活で運動することが楽しくなりました。部活で偏った練習をしたからか、身体の鍛え方が偏っていたからか、高校2年生の時に右膝に水が溜まり、それから膝と腰が弱くなった感じがありました。整形外科では、膝は
りなさんに連絡をとると、治療院は10年前と同じ場所でした。りなさんとはたまにメールでやりとりをしていましたが、会うのは10年ぶりです。メールでは色々と相談に乗ってもらっていました。治療院のドアを開けると「久しぶり!」という酒焼けしたような声で元気に迎え入れてくれました。「だいぶ色々やってきたみたいだね!本当に10年色々探究したんだね、あなたなら10年で色々経験を積むと思ってたよ。そろそろ目ぼしいものがなくなったでしょ?私もそうだったからよくわかるよ。」実際、私は施術の世界に入り5
お知らせ私の同門が先生と治療セミナーを始めます。興味ある方はメッセージ下さい。ご案内します。—————————————————気功師の先生の元には相談を待っている人たちが沢山並んでいました。私の番が来ました。気功師の先生はじっと私を10秒くらい見つめたかと思うと、「あなたは凄いポテンシャルを持っている。それは、色んな人と会うことで開花していくようだ。そのまま、常にアンテナを貼っておくといいです。その時々で必要なものを受け取るだろうから。」私の人生をドンピシャで表現している
長期休暇の間、私は海外に短期留学していました。2ヶ月ぶりにゲンさんの治療院に向かうと、まず手書きの看板が外されて張り紙がしてあります。そこにはこう書かれていました。【◯◯は(ゲンさんの名前)2◯◯◯年x月x日、くも膜下出血で逝去されました。患者様につきましては、治療を続ける希望がある場合は弟子の◯◯が引き継ぎますので下記にご連絡下さい。090◯◯◯◯xxxx】。。絶句しました。私が短期留学している間に、ゲンさんはくも膜下出血で急死していたのです。短期留学なんか行ってなかったら少し
それからの私は、各種ヒーリング各種手技療法カイロプラクティックオステオパシー波動療法あらゆる治療法を修得、探究しました。片っ端から受けて、これはというものは納得がいくまで身に付けましたが、いつも頭をよぎるのはゲンさんの言葉でした。どの先生も、最後は「みえない力」がどう作用するのか、なぜその作用が起こるのかというところで感覚的な説明になってしまうのです。インドネシアの呪術を調査したことがありますが、最後は結局「精霊」が作用するというように、「気」でも「波動」でもそうですが、不可視
「昔は坊さんとか祈祷師が信者を得るためにこういった仕組みを知ってて使ってた。信者の方は仕組みを知らないから、魔法にしか見えないわけだ。今は坊さんも祈祷する側もこういった仕組みを知らないから、えいっと気合いかけると何か変わると思ってるんだから。えいっと気合いかけるだけだと何も起こらないよ。」ゲンさんは治療の時にえいっと気合いをかけてますが。。「えいっと気合いかける時に、現象を起こすには作用がなんで起こるかを知っていないとダメなんだよ。例えばこういった動作をして、こんな風にすれば。。」
話が長くなるからということで、場所は近くのカフェに移りました。話していると、気功師の先生はなんと85歳だと判明しました。どう見ても50代にしか見えないのです。非常に若々しいのです。「私は台湾で生まれ育った。小さい頃大病して、15歳までかなり病弱だった。親が気功や武術の達人と知り合いで、この達人が私の最初の師となり、毎日早朝、夜鍛錬に必死に通った。鍛錬を続けるうちに身体が変わっていく実感があり、自分の身体を自分で治癒する術を覚えた。30歳になり、師はもう教えることはないし自分で鍛錬を続