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まだ父が亡くなってから5日。自宅の祭壇の父の遺影には、毎日何回も話しかけまくっている(笑)「お父さん、あの時~~~だったねー。あ、あんパン食べてる?もうとっくに食べたよね?」とかなんとか話しかけていると心が安らぐ気がする。あんパンは最後まで食べたがっていたから、亡くなってからは毎日食べてもらいたい!もう麻痺からも嚥下障害からも解放されているはずの父は、きっと両手でパンを頬張っているに違いない!先ほど炊きたてのご飯も備えてきた。※パンを入院中の父の口に入れる真似だけした話は、過去の
「最後の博徒」(1985)東映実録映画の晩年の作品をU-NEXTで観ました。監督は山下耕作。予告編はコチラ。昭和52年4月。北陸最大のヤクザ組織、川名組組長が福井県で射殺されると、実行犯とは別に殺人教唆の黒幕として逮捕されたのが荒谷政之(松方弘樹)で、懲役二十年の判決が下ります。ここから話は荒谷の幼少時に。舞台は広島県呉市。戦前の少年時代からヤンチャな暴れん坊。ただし、スジが通ってない他人の行動に憤りを感じる正義感を重んじるタイプ。戦後、一本気な性格を見込まれて、地元の親分
①江夏豊(投手/1967~1984/阪神→南海→広島→日本ハム→西武)②落合博満(内野手/1979~1998/ロッテ→中日→巨人→日本ハム)③工藤公康(投手/1982~2010/西武→ダイエー→巨人→横浜→西武)④加藤秀司(内野手/1969~1987/阪急→広島→近鉄→巨人→南海)⑤中村紀洋(内野手/1992~2014/近鉄→MLB→オリックス→中日→楽天→横浜)⑥高橋直樹(投手/1969~1986/日本ハム→広島→西武→巨人)⑦木田優夫(投手/1987~2012/巨人
プロ野球には珍しい記録が数多くありますが、その中で投手にまつわる珍しい記録を取り上げます。①対戦打者0人勝利プロ野球で「1人の打者とも対戦せずに勝利投手」が記録されたことは2例あります。1例目は2000年7月2日、千葉ロッテの小林雅英投手です。同点で迎えた8回裏の2死1塁の場面で登板すると2球目を暴投、この時に3塁を狙った1塁走者のオリックスのイチロー選手をアウトにしてチェンジ、9回表にチームが勝ち越したために勝利投手が記録されました。2例目は2013年5月3日、東京ヤ
DeadbyDaylight【公式日本版】-PS4【CEROレーティング「Z」】Amazon(アマゾン)5,380〜20,000円さてオフシーズンドラフト阿部慎之助(救世主)谷沢健一(ギリ使えそう)今津重樹(伊良部?)キャッチャーに不安があったので阿部慎之助の名前を見た瞬間獲りました。あとはまぁ取り敢えずサブ要員かな。そしてシーズンinトレード山川芳男⇅沢渡祐司(遊撃手)広川勝司⇅大磯昌哉(捕手)高井雄平、長田秀一郎⇅永田均(外野手)久々の活発な
仁義なき戦いの面々が東京にカチコミに訪れた時の写真じゃないですよ昭和の時代の広島東洋カープの主力選手が東京遠征で旅客機から降りて来る場面ですしかし、こうして見ると、まさに本物にしか見えませんな~(笑)昭和の時代のプロ野球選手は野球ファンの子供たちの憧れだったが実は相当ヤンチャな人も多く数々の武勇伝を残してる人も少なくないそりゃ若くして大金稼いで人気もあるんだから天狗にもなりますよ選手としては「走・攻・守」の三拍子が揃った人が名選手の証だったがあの頃のプロ野球選手は所謂「呑む
さて外野手にコンバートされた吾郎。真夜中の暗闇の中での外野ノック。当然ボールなんか見えませんが…打球があがった瞬間の音と角度で落下点を予測してそこまで突っ走る、簡単そうに聞こえますがやっぱ難しいプレーではあるねん…そして夢島生活もついに半年、ついに終了検定の試合。だけどもみんな試合の勝ち負けには興味無し。とにかく自分の役割をこなして検定に合格したいんです。そんな中エラーを連発しちゃった国分。落ち込む国分を救ったのはライト吾郎のファインプレー!えー言葉やね。だからこそチームスポーツは面白
1972(昭和47)年のシーズンオフ、「東映フライヤーズ」の経営権を買収した「日拓ホーム」は、1973(昭和48)年のシーズン、「日拓ホームフライヤーズ」として活動したが、僅か1年足らずで、球団経営に行き詰まった。その「日拓」に救いの手を差し伸べ、球団経営権を買ったのが、「日本ハム」であった。という事で、今回は「日本ハム」が球界に参入して以降、「日本ハムファイターズ」の歴史を、「日本ハムファイターズ」のマスコットやペットマークなどを中心に、振り返ってみる事としたい。なお、日本ハ