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記録用にインスタグラムへ★素晴らしい朝日を見た後はバスに乗って来宮神社さんへ大楠・おおくすは本州1位で樹齢が2100年超えだそうですよ★前回来たのは12年前また来ることが出来ましたその帰り道、江原啓之さんが熱海に住んでいるのは知っていたけどバス停前の看板で江原さんの茶寮が近くにある事を知りましてぜひ行ってみたい~と急遽寄る事に目指して歩いて行くとCAFESANTA江原さんがサンタという犬さんを飼っていた事を本で読んで知っていたのでここも絶対
ちょちょいのちょい!と、相変わらず意味不明な出だしから始まる奇人キッカさん。(・∀・)v本日、「江原啓之さんの新春講演会2026~目を覚ませ!以下省略(略すなw)」視聴させて頂きました。今年も江原さん、そしてなによりも霊界に感謝だね。(・∀・)bトークゲストのジョン&マキさんにも感謝!(話が自分にも関係することばかりで学びがたくさん!)皆さん本当にありがとうございました。
『島田秀平のお怪談巡り』に江原さんの話が出ていたのでご紹介します。彦麻呂さんの幽体離脱や金縛りの体験談もかなり怖かったです。“天国からの手紙”という番組はYouTubeにもたくさんあるので、まだ観たことがないという方はご視聴をお勧めします。じつは数十年前、まだ彦麻呂さんが若くてスリム体型だった頃に偶然見かけたことがあります。山手線に乗車中。向かい側の座席に疲れた感じで座っていて、他の乗客は気づいていない様子でしたが、確かに彦麻呂さんでした。『【初】彦麻呂SSS級👻絶対放送NG/江原さ
何度もこの動画を観ているが、時折目つきが険しくなる江原さんを見ると、江原さんご自身も視たくない場面だったりするのだろうなぁ~と思ったり。江原さんも辛いよね。もう年の瀬なので、最後はちょっと真面目に。こういう話題に興味がない方は申し訳ないです。でも僕は江原さんの霊視を生で観ているやつなので、真実は知っているのです。とにもかくにも、「病」というのが来年のキーワー
高市政権の減反も衝撃的でした。【2026年の予言】江原啓之が語る「生き残る人」の条件とは?江原啓之が授ける、健やかな生き方。2026年・幸せになるために「絶体絶」を切り抜けた先にあるのは「病み」。霊界から届いたキーワードとともに、2026年を幸せに生きる極意を江原啓之さんが教えてくれました。ananweb.jphttps://www.fujisan.co.jp/trends/lifestyle/66916/江原啓之さんに聞いた、2026年を幸せに生きるポイント
江原啓之さんの新春講演会アーカイブ配信、終わっちゃったねぇ~~。ギリギリまで見てたんだけどねwww、23時59分になった途端、一気にバン!でしたよwwwww。(´д`)「はい、見てるだけじゃダメですよ、さっさと実践しなさい!出て行け!」みたいな感じでねwww。って配信会社の人に謝れ!(ごめんなさいw)ということでどうも皆さんこんにちは。今年も暗く怖いことだらけだった新春講演会も幕を閉じるw。
島根県出雲市の山あい、須佐川のほとりに静かに鎮座する須佐神社(すさじんじゃ)。出雲大社から車で約40分、決してアクセスが良いとはいえないこの古社に、全国からスピリチュアル愛好家が絶えず訪れています。その理由は、この地がヤマタノオロチ退治で知られる英雄神・須佐之男命(すさのおのみこと)の御魂が鎮まる終焉の地と伝えられているからです。『出雲国風土記』には、各地を開拓した須佐之男命が最後にこの地を訪れ、「この国は小さいけれど良い国だ。自分の名前は岩や木ではなく、この土地につけよう」と言って「須佐
今週から東日本でも猛暑日か?と言われる昨今。火曜あたりが危ないらしい。(・д・)みなさんの死亡率がどんどん高まるやないの。(´д`)でもそれで亡くなるのであれば、こんなに世界戦争かつ物価高で生活苦を生き抜くよりは良いのか?w(・д・)って夢や希望もないこと言うのやめなさいよ!w(`Д´)ノということで、どうも皆さんこんにちは。リビングのエアコンリモコンの接触が悪くても、自分
九十九里浜の南端、千葉県一宮町。JR外房線の上総一ノ宮駅から歩いて10分ほどの場所に、黒漆塗りの荘厳な社殿を構える神社があります。上総国一之宮「玉前神社(たまさきじんじゃ)」です。御祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)。神武天皇の母君であり、海から上がってこの地に来られたと伝わる女神です。姉の豊玉姫命から託された鵜茅葺不合命を育て上げ、やがてその方と結ばれて神武天皇をお産みになりました。つまりこの神社は、日本の初代天皇を産み育てた女神をお祀りしているのです。縁結び、子授け、安産の御神
茨城県神栖市にある息栖神社(いきすじんじゃ)は、鹿島神宮・香取神宮とともに「東国三社(とうごくさんしゃ)」と呼ばれ、古くから篤い信仰を集めてきた神社です。創建は第15代応神天皇の御代と伝えられ、大同2年(807年)に藤原内麻呂によって現在の地に遷されました。江戸時代には「お伊勢参りの禊ぎの三社参り」と呼ばれ、伊勢神宮へお参りした人が帰りに東国三社を巡って身を清めるのが習わしだったといわれています。鹿島神宮・香取神宮に比べるとこぢんまりとした神社ですが、一の鳥居の両脇には日本三霊泉のひとつ「