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妻が亡くなって1年。正確にはもうすぐ1年2ヶ月になります。とてつもなく長いようであっという間に過ぎてしまった気もします。この時間の中、妻の笑顔を思い浮かべなかった日はありません。遺影の中で、最高の笑顔を見せてくれています。私は...心から楽しいと思えることが無くなりました。何をしても、最後には悲しい気持ちになってしまいます。どんなに笑顔を作っても、どんなに楽しく騒いでも、お酒の席で和気あいあいとしゃっべていても、それは現在の本当の私ではありません。同じ
自死遺族の会に義姉と一緒に行きました。私達の他には2名参加されておりました。ここで話したことは、外に出さないことになっておりますので書くことは出来ません。これから参加してみようと思っている人へは、自分にとってどんな人を亡くしたのかを伝え話を出来る人が話したいことを、思いを自由に話すという趣旨でしたとだけ。私は相変わらず、自分の思っている事をうまく伝えるのが苦手ですが精一杯話をしました。話を聞きました。自死遺族は、誰しもが自責の念を持っていると思い
妻が亡くなってすぐに眠れなくなった。夜の静寂に一人で耐える事が辛かった。ほとんど変化しない体重がすぐに-5kgになった。髪に白髪が大量に出てびっくりするくらいやつれた、らしい。布団に入ると、何度も何度も、妻が亡くなった時の行動を頭の中で繰り返した。想像するしかないが、何度も何度も頭の中で想像繰り返していた。涙が止まらなかった。それは今も変わらない。どうやって生きて行けばいいのか真剣にわからなかった。すがるように、線香を点けていた。1本燃え尽きる
”「辛い」という字がある。”もう少しで”【幸せ】になれそうな字である。-星野富弘ー幸せから棒を1本取ると辛いという字になるんですね。逆に、辛いという字に棒を1本足すだけで幸せという字になるんですよね。たった一つ足したり引くだけで、人の気持ちって幸せだったり辛かったりするんだろうな、って考えさせられる言葉でした。今日は胸が痛みます。身体は元気です。なんか、うまく気持ちを吐き出せないです。にほんブログ村
1年前、妻が亡くなった頃、誰とも会いたくない日々だった。ただ、とめどなく流れる涙と自責の思いにうまく身体も心も動かなかった。友人達は、弔問に来てくれた。ありがたかった。だけど、誰にも会いたくなかった。会うことがしんどかった。妻の死を受け止めることが出来なくてそんな時に妻の話が出来る友人が来ることはありがたかった。だけど、涙は出なかった。一人になったら泣いていた。求めている物とは違っていたんだろう。真の意味で気持ちを共感出来る相手を求めていた。経験した者で
先日、妻が亡くなってからの体調の変化。について少しふれました。↑(コレ)いつか普通に戻る時が来るのかな?と思うのが不眠についてです。全く寝れないわけではないです。浅い眠り・まどろみはありました。疲れて疲れて...っていう時も眠ってたと思います。なんで寝れないのか?布団に入って、暗くして、シーンとした空間に一人でいると、妻が亡くなるまでどんな行動をとったのか、どんな気持ちだったのか、なぜなのか、私が心をひとりぼっちにさせてしまったのか、キリがない
昨日、産業医と面談をして来ました。職場のストレスチェックテストにて、【高ストレス保持者】と診断されたからです。産業医と面談するかは、自分で選択することになっています。今までの私なら、面談をする選択は考えるまでもなく、頭の中には無かったでしょう。私の職場の事務所には、約40名くらいが常時います。その中で、私と同じ仕事をしている人(同じ部署の人)は、業務委託の人を含め3人だけです。他の人たちとは、全く異なる業務なので、会話をすることもございません。(寂しい話ですね
たまに近場の1000m級の低山登山に行っております。森林のマイナスイオン、小川のマイナスイオンがたっぷりとあります。身体も動かすし、【自分自身の心の癒し方】として、私には合っているのかなと思っております。ただ、無心で歩いてます。マイナスイオンは全身で吸収していても、周りの景色に見とれる余裕は出てきません。身体がしんどいわけではないのですが、ただ無心で歩いてます。いつか、心から楽しんで登山が出来たらいいな、と思っています。人それぞれの【自分自身の癒し方】があると思いま
性欲って人間の三大欲のひとつ持って生まれた性質のようにその強弱は決まっているのかな私は性欲が強い方かもしれない夫は性欲が弱い方かもしれないもちろん、これは年を経て変わってくるとは思うこのバランスって夫婦生活にとって大事だと思うのです夫婦におけるスキンシップの重要度は人により違うと思います生理的に受け付けないときはどうしようもないかもしれないけどそうでなければ、その意識は変えられるかもしれないあのね、私って性欲が強いんだと思う自慰行為してるって言ったよね?自分で
妻が亡くなって1年。この1年間は、毎週かかさず必ず週に1回はお墓参りに行っておりました。長時間滞在するわけではありませんが、常に綺麗なお花を活けていたかったのです。自分で勝手に決めたルールなのかも知れません。何かにすがりたい気持ちが、そうさせるのだと思います。幸いなことに、お墓が家から近いからということもあります。自責の念のやり場をお墓参りすることで、少しでも散らしたいと思っていたのかも知れません。妻の供養を願いつつ、私自身の為でもあったのだと思います。
私の読んだ本に書いてあったことです。”悲しい体験をした時、誰かに話を聞いてもらうことで”気持ちが楽になる、ということがよくあります。”しかしながら、誰でもいい、ということではありません。”誰もが理解してくれるとは限りません。”中には茶化すようなことを言ったり、厳しく叱ってくる心無い人も居るのです。”ですから、本当の意味で自分の気持ちを理解してくれる”優しい気持ちを持っている人を選ばなくてはいけません。”または、同じような体験をしている人です。”同じ体験をして
私の読んだ本の中に書いてあったことです。”「同じ境遇の人と話をする」ということが、悲しみを乗り越えるきっかけを与えてくれるケースがあります。”「自分だけじゃない。同じ思いで苦しみ、心を通わせることが出来る相手が身近にいる」”と気づかされたことで、生きて行く勇気が生まれました。”同じ境遇を持つ人を身近に探して話すのもいいでしょう。”また、そのような人たち同士で集まる会合もありますから、参加してみてもいいでしょう。_____________________________確