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大歓声と大ブーイングが交錯する横浜アリーナ。1995年9月23日。長州力はパートナーを元力士の安田忠夫にするか、アマレスで実績のある永田裕志にするか迷った。そして、永田を選んだ。永田は大舞台に立ち、やる気満々の笑顔だ。怒号を浴び、渋い顔の中野龍雄と、ブーイングがエネルギーとばかり不敵な笑みを浮かべる安生洋二。新日本プロレス対UWFインターナショナルの対抗戦第1弾、45分1本勝負。最初は永田と安生だ。いきなり張り手合戦、キック合戦。永田は捕まえた瞬間にフロントスープレ
2002年2月16日、IWGPヘビー級王座決定トーナメントで見事に優勝したのは安田忠夫だった。安田は第30代IWGPヘビー級チャンピオンになり、悲願を達成。しかし安田は4月5日、東京武道館で永田裕志に敗れ、王座転落。第31代IWGPヘビー級王者となった永田は、5月2日の東京ドームで初防衛戦を行う。挑戦者は高山善廣。相手にとって不足はない。永田と高山が1ミリの至近距離で睨み合う。ゴングが鳴った。激しい差し合い。ロープ際、永田がヘッドバット連打!怒った高山がエル
あの谷津嘉章がPRIDEに参戦すると聞いたアントニオ猪木は、笑顔で語った。「谷津は面白いよ。だって強いもん」しかし相手が悪かった。PRIDEの番人、剛腕ゲーリー・グッドリッジだ。結局谷津はグッドリッジに2連敗することになるが、あのハードパンチャーに何度顎を殴られても倒れない谷津は、さすがプロレスラーだ。小原道由も果敢に挑んだが、ヘンゾ・グレイシーに判定で敗れた。日本のヒーロー桜庭和志も、強豪のヴァンダレイ・シウバに敗北。試合中に左肩を負傷する不運に遭い
2003年の大晦日に開催された「INOKIBM-BA-YE馬鹿になれ夢を持て」最大の注目カードは永田裕志VSエメリヤーエンコ・ヒョードルだ。このカードが決まるまでに舞台裏では多くの関係者が東奔西走して大変だったようだ。永田に話が来たのが何と12月10日。大晦日が本番だというのに、これはあまりにも急過ぎる。しかも対戦相手がヒョードルかノゲイラか決まっていないというから、永田は断ったがスタッフは引かない。最初の予定は高山善廣VSミルコ・クロコップだったが、ミルコの怪
2004年1.4東京ドーム第8試合は危険過ぎる闘い。永田裕志VS佐々木健介のシングルマッチ30分1本勝負。ゴング前から永田が健介を蹴る!永田の目が危ない。新日本プロレスが一番大変な時に離脱した健介。しかしWJプロレスが崩壊すると、新日本プロレスに禁断の出戻り。会社が復帰を認めても永田は認めていなかった。ゴングが鳴るといきなり感情剥き出しの蹴り合い、張り手合戦、エルボー合戦、壮絶な張り手合戦。健介がロープに飛ぶと永田が腕にキックを叩き込み、ハイキック、ローキッ
2004年10月9日、両国国技館で事件が起きた。WJ崩壊で今後の進路が注目されていた長州力がリングに上がった。2002年5月、新日本プロレスを裏切り、アントニオ猪木のことを散々批判して離脱した長州。普通はブーイングが起きてもおかしくないが、ファンは大歓声で熱烈歓迎した。長州も右拳を高々と上げて声援に応える。そしてマイクを持って叫んだ。「テメーらこの状態が今、何を求めてんのかわかるか?俺はこの新日本プロレスのど真ん中に立っているんだぞ今!」ファンの大歓声