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前回までのあらすじ般若寺に行って黒歴史を思い出す。お前国宝の横で何しとんねんさて、旅行も観光最終日。奈良に宿を取りながら京都観光。京都の市バス一日乗車券が廃止になり、地下鉄とバス乗り放題1100円チケットに変更。JRで奈良から京都経由で山科(JR)に行くよりも、JR奈良から六地蔵まで行き、そこから東西線で山科に行った方がお得。労力より値段。地下鉄山科駅を出て数秒。迷う何故我らは無印にいるの
花巻に泊まり朝いちは丹内山神社へ巨石胎内石の中をくぐりました触れないでくぐるのは不可能でしたがなんとかくぐれました地元の子供さんが蜂がいるよと教えてくれ気をつけながらまわりました三熊野神社毘沙門天を見学https://mikumanojinja.com/成島三熊野神社・毘沙門堂|木造日本一の毘沙門天と泣き相撲の宮成島三熊野神社・毘沙門堂は、千二百年の歴史を誇る神社です。宝物殿に納められている毘沙門天立像は高さ日本一を誇り、坂上田村麻呂が奉ったと
【東大門】重要文化財仁王像門の両脇には仁王像が祀られています。鎌倉時代の仏師運慶・湛慶の作と伝わり歴史を感じさせる古さを伴って威厳と風格を備えています。小学生の頃この東大門を背景にクラス写真を撮影したと思われる写真の記憶しかないワタシ大人になり訪れた初めて尽くしの体験はとても楽しい時間でした山門入って直ぐ右手側に牛車が置いてありました動いている御所車は京都の御祭りで観た程度https://www.instagram.com/reel/C7nNG-MPlfp/?igsh
山科毘沙門堂京都山科毘沙門堂youtu.be山科の毘沙門堂にお参りしてきました動画よろしければご覧になってください京都はちょっと静かな時間をもとうと思うとこんな良い場所にいけてよいですね
阿闍梨【外伝】【止観明静】しかんみょうじょう天台宗の高僧による令和六年の『筆蹟カレンダー』から四月をご紹介します。京都毘沙門堂門跡門主今出川行雲大僧正「止観」とは天台宗で一切の妄念を止め、静かな心で対象を観照することをいい、「明」は、明るくする意があり「観」のことを指す。「静」とは、精神が統一され静まっている様で「止」を指している。庶那、止観という言葉があり、天台で密教に対する一方の学問修行を指し、止観の中に坐禅が含まれる。今出川行雲大僧正毘沙門堂天台宗護法
ここは、骨寺村荘園交流館。近くに骨寺村荘園休憩所というのもあって、気になる名前、骨寺村・ほねでらむら。かつて骨寺村と呼ばれた荘園時は12世紀。平安浄土の国づくりを理想にかかげた藤原清衡は、自らの発願による紺紙金銀字交書一切経(国宝)の完成に功のあった自在房蓮光を、そのお経を納める中尊寺経蔵の初代の別当に任命。そこで蓮光は私領であった骨寺村を経蔵に寄進し、経蔵の維持のための費用をまかなう土地(荘園)として、あらためてそれを清衡から認められた。これが中尊寺経蔵別当領骨寺村のはじまり。
今日の米沢晴れ14℃今日のお散歩6793歩今日の朝活5時20分起床塩井町にある毘沙門堂そこで行われている毘沙門朝市に毎週日曜日6時から開催されて大勢のお客さんで賑わってますここで食材の購入お手頃ですこまちのキッチンカーも来てました前回は食べなかったけど今回は朝ラー、メンマチャーシュートッピングで500円旨いですねぇさすが老舗の米沢ラーメン店食った後はカロリー消費かみさんは車で帰りますが私は散歩で帰りま
6月14日浦佐毘沙門堂普光寺でお参りして素敵な御朱印をいただきました。普光寺(ふこうじ)は、新潟県南魚沼市浦佐にある真言宗豊山派の寺院です。本尊は(金剛界の)大日如来。歴史普光寺は、もとは毘沙門天を祀るお堂の別当寺として建てられたと見られ、毘沙門堂は807年(大同2年)に坂上田村麻呂の開基により創建されたという。戦国時代には、上杉謙信や上杉景勝が訪れ、彼らの文書が残されている。江戸時代には、この地の領主の帰依を得て寺領を与えられ、江戸幕府からは朱印状を与えられていた。なお、江戸
きょうは初夏の清々しい晴れですね〜。新潟県南魚沼市へ↓浦佐毘沙門堂の入口のすぐそば、雪国おくにじまん会館の1階にある「西山cafe」へランチしに。令和5年に「びしゃもん市&西山Cafe」として新装オープン、毘沙門様(普光寺)を参拝の後にお立ち寄り↓「おにぎりランチ肉セット」980円↓美味しい塩おにぎり↓豆腐入りヘルシーハンバーグ、ふきのとうトマトソースでした↓さつまいもの下にはコンニャク↓わぁ~苦手なカボチャに甘味↓素敵な厚いお盆↓ご馳走様でございました最近手首の腱鞘
こんばんわ〜今回のブログは、前回の続きとなります。⛩丹内山神社から急いで⛩盛岡八幡宮へ向かわなきゃいけないのに、途中Uターンしてまで立ち寄った(呼ばれちゃった💕)毘沙門天を祀っている場所のご紹介です⛩丹内山神社を後にして国道へと向かっていた道中、道路脇ののぼり旗や標識に毘沙門天の名が目に入ったんです最近になって毘沙門天とご縁がある私国道へと向かい、曲がった道をUターンして探した先にこの大きな看板例大祭ののぼり旗が派手にたなびいていました🏳️(例大祭は9月19日、私
この記事は「東北自然歩道岩手№14賢治文学散歩のみち」の続きです。『東北自然歩道岩手№14賢治文学散歩のみち22.10.29』ツートンのリハビリを兼ねて東北自然歩道を歩いてきました。今回は花巻市街地を巡る「賢治文学散歩のみち」と旧東和町内の「毘沙門天のみち」をつないで挑戦しています。…ameblo.jp続いて「毘沙門天のみち」を歩きに向かう。宮沢賢治記念館の横を通過し南下していく。このあたりは繋ぎの区間で自然歩道ではないが長閑な田舎の景色を見ながら歩くことができる。道路標
令和4年5月21日参拝広尾駅から徒歩5分くらいだと思います。この日はヤボ用で南麻布に行くのに天現寺橋というバス停で降りたんですね。寺号が停車場や地名に採用されてるお寺はなるべく行っておきたいと思うんだよね。その前に、高所恐怖症のわたしがこの長〜い歩道橋を渡ってきたのほめてほしいよ〜‥ヒー早く歩道橋撤去してーっ天現寺は臨済宗大徳寺派の寺院で本尊は毘沙門天です。小日向箪笥町にあった普明寺が前身で、享保4年(1719)現在地へ移転してきました。火消し組合の設置に伴う移転か?聖徳