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菊田昇医師赤ちゃんあっせん事件(中編)1973(昭和48)年発覚この中編では、事件の背景についても知っていただきたいと思い、人工妊娠中絶をめぐって少し詳しく触れていきます。【堕胎罪と人工妊娠中絶の合法化】堕胎(だたい、人工妊娠中絶)やえい児(新生児)殺しの歴史は古くまでさかのぼりますが、日本で人工妊娠中絶が合法化されたのは、第二次大戦後の1948(昭和23)年に成立した優生保護法によってです。それまでは、明治維新以降の近代化の過程で、国力増強(富国強兵)の観点から
朝目が覚める。トイレ。やっぱりペーパーには血がついている。奇跡はおこらないか。赤ちゃんは3人とも心拍確認できる。150〜160しっかり動いてる。元気に生きてくれている。朝一で先生来てくれた。そして採血。先生からは「炎症が治まらないことには次のステップにはいけない」と説明があった。出血は続いている。昼前くらいに内診があった。内診から帰ってくると個室へ部屋移動。多分他の妊婦さん見ると辛くなるだろう。という配慮だったんだと思う。採血の結果と一緒に夫と話しを聞く
はじめての泌尿器科受診。10時頃に出掛けた夫は昼前に帰ってきました。市内とはいえ車で片道30分程度の場所にあることを考えると、待ち時間も少なく、診察にも時間はかからなかったのでしょう。以下、夫から聞いた話による再現です。受付で特に何も聞かれることなく問診票を渡され、素直に書く夫。院内はそれほど混んでおらず、割りとすぐに呼ばれたようです。医師は初老の男性で、気さくだけれどハッキリと物を言う印象を受けたとのこと。医師「パイプカット希望ね。色々と調べて来られたと思うけど、一度手術したら再