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母の手は毎日の家事で、ボロボロだった。しかしその手で毎日作ってくれるお弁当は、まるで絵本を開いた時と同じようなワクワクが詰まっていた。あの当時は、キャラ弁なんて言葉は存在せず、色とりどりに盛り付ける事に世のお母さん達は奮闘していた。そんな中、母のお弁当は色もさることながら、海苔で名前や顔を描いたり、野菜でお花を散りばめたり、飾りフルーツを盛り付けては、私だけでなくクラスのみんなも楽しみにしていたくらい手のこんだものだった。恥ずかしい半面、自慢でもあった。今、自分が毎日作れと言われたら、
少彦名様は、医薬の神様という一面をお持ちです。だから、ものすごく的確に体と心の状態を教えてくれます。青森県黒石市の中野不動尊の摂社に、少彦名命様がいらっしゃいます。私にはこういう格好に見えます。カタブ...いえ!とっても真面目な方です!以前参拝した折、少彦名命様が隣にいた母を見て「手のことは聞かなくていいのか?」と言いました。手?何のことだ?母の手を見ると、荒れて所々血が出ています。「どうしたの?!」びっくりして尋ねると、「2ヶ月くらい前から急に、手がかぶれるようになった
オープンハートの海景。(みかげ)です☆行ってきました〜どこから見ても惚れ惚れする太陽の塔後ろ姿がまた、たまらん今、太陽の塔では1970年の大阪万博以来48年ぶりに内部公開をしています。当時、私は6歳でした。弟をおぶった母に手を引かれて、太陽の塔の暗い内部に入って行き、エスカレーターに乗って大きな恐竜を恐る恐る見上げていたのをハッキリと覚えています。そのエスカレーターがあったところは今は全て階段になっていますが、その階段を上がりながら48年という年月の重さをしみじみ感じ
こんにちはゆらりエステ結びです以前に投稿したことがあるのですが私は小学生のとき予防接種でアナフィラキシーショックになり目の前が砂の嵐の映像にあの記憶は鮮明に覚えています放課後の教室で暫く動けなくて夕方遅くにやっと帰宅しました帰れて良かった、夜の学校とか怖くて居られないそれだけでなくお腹もよく壊す😂いわゆるピーピーにもよくなりました😵でも注射の一件があってから多少の不調なら薬は拒んでいつも痛いところに手を当ててお腹さんごめんなさい(心の中で)痛いの痛いの治りますよ