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今回は、自宅側からバスに揺られて20分練馬にあります正覚院に参拝です。さざれ石多宝塔観音堂弘法大師像本堂正覚院由緒正覚院は真言宗豊山派の寺院で、山号を天満山といい、豊島八十八ヶ所霊場第7番札所です。寺伝によると太田道灌が長禄年間(1457-60)江戸城築城の際、ここ中荒井の陣屋にあった道灌崇敬の天満宮を守るため別当寺として創建したのが当寺で、市ヶ谷から立退かせた一農家を開基檀徒としたといわれます。隣の豊玉氷川神社は境内社の天満が最も古いという伝承もこのことを
伊丹七福神巡りの後編です。昆陽寺(こんようじ・こやでら)の次の寺院からです。伊丹七福神巡り(後編)のコースです。伊丹七福神の4カ所目の遍照院(大黒天)です。遍照院の大黒天像です。遍照院は高野山真言宗の寺院(昆陽寺の塔頭)です。伊丹七福神の5カ所目の一乗院(弁財天)です。一乗院の本堂です。一乗院も、昆陽寺の塔頭のため高野山真言宗の寺院です。伊丹七福神の6カ所目の正覚院(毘沙門天)です。ここは、山門が閉まっており入山することができませんでした。この正覚
裸の大将山下清画伯の墓参りです。山下清とは画家。小学校に入学するも知的障害のため級友にいじめられ、何度か刃物を振回すなどの行動を起したため1934年に知的障害者擁護施設八幡学園に入る。ここで張り絵を習得し画才を発揮、精神科医師でゴッホ研究家の式場隆三郎らの紹介で39年に銀座の画廊で展覧会を開き、世に認められた。記録的な観覧者数で、会場の床が抜け落ちたというほどの盛況ぶりだった。翌年、徴兵されることを恐れて突然施設を抜け出し年の間各地を放浪。この間に記した『放浪日記』が56年に出版
須磨寺part2だぁ〰️須磨寺以外のお寺を巡りまぁ〰️すまずは正覚院(しょうかくいん)です大正十四年失火により焼失…昭和十三年に現在地に再建本尊は愛染明王で、大日如来を本地とし、衆生済度のため三目六臂の身を現じ、知恵の弓、方便の矢を御手に執持し、貧窮・飢渇・疾病・災難等の苦厄を払い、幸運をひらき、無量の福徳、愛敬を授けるとか霊験あらたかなこの明王信仰の効力により、商売を業となす人や芸を以って世に立つ人、また愛敬を肝要とする婦人の参詣が絶えないんやって尚、仁王門前の放生池のほとりに
2016年7月24日国宝の高岡山瑞龍寺へ来ています。境内の真ん中に鎮座している仏殿も国宝なのです。大きいですね~。総欅造りで、万治二年(1656)に建立されたようです。屋根は鉛板をもって葺かれています。ここ以外では金沢城の石川門にあるだけの貴重な建造物だとか。御本尊として祀られているのは、中国明代の釈迦・文殊・普賢の三尊です。御本尊の周りにも、いろんな方が祀られていました。さらに奥にある、法堂です。これ