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俺達のプロレスラーDX第147回彼がいた時代~血の一滴になっても俺はプロレスラーだ!~/福田雅一最近ふと思うのだ。そう言えば私は子供の頃、何になりたかったんだろう。どんな人に、私はなりたかったんだろう。最近こうも思うのだ。例えばもし、今日私が突然死んだら、どうなるんだろうか。でも、私が死んでこの世界からいなくなって、いったい誰が困るんだろうか。多分家族は泣くだろう。他にも、涙を流してくれる人は何人かはいるはずだ。でも仕事なんて、ちょっと困るのはせいぜい二、三日だ。この席に違
1993年1.4東京ドーム。マサ斎藤、橋本真也VSスコット・ノートン、ダスティ・ローデス・ジュニアのタッグマッチ。ノートンが「カモン!」と仁王立ち。橋本がノートンの分厚い胸板にミドルキック、ハイキック、ミドルキックを連打するがノートンは倒れない。橋本がロープに飛んでフライングニールキックを交わしたノートンがラリアット!ショルダータックル!ノートンがロープに飛ばしてラリアットを交わした橋本がロープに飛ぶがノートンがショルダータックル!橋本がロープに飛ばしてショルダー
2004年2月29日、両国国技館でWJプロレスの長州力とZERO-ONEの橋本真也がシングルマッチで激突した。この前年、2003年11月18日、橋本がゼロワンの道場で記者会見を開いているところへ、私服姿の長州が現れたので、一瞬にして緊張した空気に変わった。橋本も立ち上がり、長州と向かい合う。そして、あの「またぐな事件」と並ぶプロレスサイドストーリーの傑作「タコこら問答」が勃発。長州が怖い顔でいきなり怒鳴りまくった。「何がやりたいんだこらあ、紙面飾ってこらあ!何がや
2018年5/29(火)📺おかあさんといっしょ※5月8日の再放送OP:茶つみ🎵あいうえおにぎり🎵どんどらどんどんどらやき🎵とまと🎵いるよ▽ガラピコぷ~:キラキラシール争奪じゃんけん大会・プロレスネタ祭り。長いので別記事▽パント:ロープ▽すりかえかめん・カボチャの馬車・「甘いものにめがねぇ」・馬車の車輪を眼鏡にすり替えたのだ~▽はみがき▽調整フレンズ:かぴばら▽フラミンゴ📺2355▽1minuteGallery:PeLang▽日めくり:魔女と鏡🎵さらば、
藤波さん、YouTube「ドラゴンちゃんねる」で「ドラゴン・ストップ」を語りました。■特報■藤波さん、YouTube「ドラゴンちゃんねる」で真相を語りました。あの「ドラゴン・ストップ」を来る12月1日代々木で棚橋選手と一騎打ちで話題騒然の藤波さんですが、突然、藤波さんのチャンネル。「ドラゴンチャンネル」で、「ドラゴン・ストップ!」について真相を告白!?【今だから言える】プロレス史上世紀の珍事件!?ドラゴンストップの真相を本人が明かす!「我々は、◯し合い
完全検証橋本vs小川全ストーリー第1戦1997.4.12東京ドーム○小川直也(9分52秒スリーパーホールド)橋本真也×元柔道世界一の小川がプロ転向宣言。明治大学の先輩である坂口が社長を務める新日本プロレスに入門するかと思われたが、猪木に弟子入りしてプロ格闘家を目指すことになった。橋本はIWGP王者で、闘魂伝承をテーマに掲げ、猪木イズムの後継者として認められていた。そんな2人の初対決は、予定されていた橋本対ウエイン・シャムロック戦が中止となり、その代替カードとして行われた
どーも、あのハラこと【原聡】です。漢字が二文字しかないけど、これでフルネームです。はらさとしっす!!学生の時から好きなプロレス大好きな選手は前回も書いたように→武藤敬司編今回はその武藤の化身【グレート・ムタ】です。そんなこんなで今回も勝手に『グレート・ムタベストバウト3』×グレート・ムタvsアントニオ猪木○1994.5.1福岡ドーム“平成の悪魔”と”昭和の鬼”が大激突した。猪木の格闘技生活の集大成ファイナルカ
橋本真也、ビッグマッチ用「爆勝宣言」の前奏部分のテーマ曲。この曲は、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの原曲「ウエルカム・トゥ・ザ・プレジャードーム」を、映画『トイズ」』でインストルメンタル(IntoTheBattleMix)にアレンジしたもの。元々は新日本プロレスの福岡ドーム大会で使われるテーマ曲だったが、故橋本真也が気に入り、ビックマッチの前奏に使用。この前奏部分のテーマ曲は、それ以前には異なる、映画『ザ・ラストエンペラー』の「OPENTHEDOOR」も使用された。自分にとっ
2001年5.5福岡ドームのメインは、長州力、中西学VS小川直也、村上和成。ついに禁断の交わりが実現した。先に入場したのは小川と村上だが、何と謎の白覆面が一緒に入場して来た。身長と体形からいってアントニオ猪木ではない。そして、劇的なパワーホールで堂々と花道を歩いて来る長州と中西。二人は並んで歩いて来た。睨み合う4人。小川の目が危ない。長州を鋭い眼光というか、殺意の目で睨みつけている。あの99年1.4の時に、長州に顔面を殴られたことを小川は忘れていない。タ
先日、プロレス界最大の謎のひとつともされたあの「1999.1.4」の真相が、遂に小川直也自身により告白された。大方の予想通り、アントニオ猪木直々の指令であったという事だったのであるが、色々憶測を読んだだけあって、いざ真相を語られてしまうとなんとなく拍子抜けしてしまった感もある。個人的には、常に会社の方針に楯突く姿勢、そして長州力との不仲により、元より橋本を好まなかった猪木との利害が一致したため、という見方もしていたのであるが、さすがに当時最強で売っていた橋本の商品価値を落とさせるような事ま
ゼロワンは崩壊した。なんともあっけなく。橋本が欠場してからわずか3ヶ月のことであった。その間団体内部で燻っていた橋本不信が取り返しのつかない形で表面化してしまい、結果的に大谷らと袂を別つ格好で一人ぼっちになってしまった。さらにリングや練習機材、試合用設備一式もZERO-ONEMAXに譲渡と…何もかも失ってしまった橋本。あと残ったものといえば巨額の負債である。天下取りならず。そういえば橋本はよく「天下」という言葉を好んでいたが、長州力もこの言葉を使ったことがある。「…永田!よく上がってきたな
2005年7月11日あれは確か昼過ぎぐらいのことだった。普段は聞き流す程度のお昼のニュースに突然目を奪われた。それは、橋本の死を伝えるニュースだった。…ウソだろ⁉︎半信半疑というか茫然自失の状態で、ただキャスターの声に耳を傾ける。そういえば橋本がリングを遠ざかって以来あまり熱心にプロレスを見てこなかっただけに(正直橋本のことも忘れかけていた)この話題は強烈過ぎた。ここで比較すべきではないと思うが、かつてジャイアント馬場が突然この世を去ったときも驚いたものだったが、橋本のそれは馬場さんの