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今迄何度かこのテーマを取り上げたが、今回は新潮社の太宰治担当編集者の野崎一夫が生前書いたエピソードを紹介したい。今から78年前の1947年1月26日、野崎一夫が38歳の太宰治と40歳の文芸評論家の亀井勝一郎を囲んで、編集者や文学好きの学生等総勢10人の会食を設定した。22歳の三島由紀夫も呼ばれた、当時三島は既に、川端康成が1946年創刊の文芸雑誌『人間』に”煙草”を発表、文壇にデビューしていた。【1909年生まれの太宰治と、1925年生ま
2023年5月4日(木)宝塚バウホールにて花組『舞姫』を観劇しました。5月3日(水)が初日で、5月14日(日)が千秋楽。バウ公演は短いよね…箱もコンパクトですし。GW期間なので、多くの方にとって休日が多い日程。観やすい日程でしょうか。それとも、家族と過ごすため出にくい期間かな。『舞姫』は花組にて、2007年6月バウホール初演。2008年3月、日本青年館で東上公演として再演。原作:森鷗外脚色・演出:植田景子主演:愛音羽麗(83期・当時研11)ヒロイン:野々すみ
1910(明治43)年、鷗外58歳時の刊行。表紙の作品説明にあるとおり、「漱石の『三四郎』と並称される」、青春小説。『三四郎』は2年前の1908年の刊。私には、「並称」というより、かなり『三四郎』を意識(対抗?)して描かれているような気がする。というのも、両作とも、田舎から上京した世間知らずの若者が年上の女性に一方的に恋い焦がれるが、大人の男の存在を知って、失恋を知るというストーリー。『青年』には、漱石と思われる小説家が演壇に立つ場面に加えて、『三四郎』のシーンの一つの再
1909(明治42)年、鷗外47歳の時に発表。鷗外少年期~青年期の明治初期(1870年代~)を回想して書いたもの。vitasexualisはラテン語で、性欲的生活の意。書籍は発売禁止、鷗外は懲戒処分を受けた、異色の作品として有名だが、これまで読む機会がなかった。「ヰ」は、今では「ウヰスキー」に使うケースがあるくらいで、殆ど目にすることがなくなった。ヰ=ゐ=wiであって、ワ行は「わ・ゐ・う・ゑ・を」だってこと、今でも学校で習うのかしら?さて、本題。初端から↓こんな滅茶苦
「小日向から音羽へ降りる鼠坂ねずみざかと云う坂がある。鼠でなくては上がり降りが出来ないと云う意味で附けた名だそうだ。」森鷗外の「鼠坂」という短編の冒頭の一節である。この狭く急な坂の上に建ったお屋敷の新築祝いの場。満州で一儲けして帰ってきた屋敷の主人深淵氏が招いたのは新聞記者の小川、元通訳の平山。酒を飲みながら深淵氏は大陸で小川が美しい中国人の娘に性的暴行を行い、死に至らしめた話を、嫌がる小川の目の前で平山にする。その夜、中国娘の幻を見た小川は脳溢血で命を落とす。この話は怪談に括られること