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箱館旅3日目の続きです。さて、やっと松前に向けて出発法界寺明治元年11月、歳様率いる松前攻略軍との「福島の戦い」で、松前藩の本陣となっていました。戦火によって焼失し、明治6年に本堂と庫裡は復元。けれど昭和20年12月、火災で再び焼失。現在の本堂はその後再建されたものだそうです。毛利秀吉之墓彰義隊士です。この時の戦いで戦死。メッチャ美男子だったそうで、伊庭八郎さんとも馴染みのある吉原の花魁・小稲さんとも浮名を流していたとか。そのエピソードを、Sさま
▲松前藩戸切地陣屋跡北海道北斗市字野崎戸切地と書いてへきりちと読みますアイヌ語で清澄な・川を意味するペケレ・ペッが戸切地となったようです▲桜並木松前藩戸切地陣屋までの800mに太平洋戦争の勝利を祈願して函館の呉服商である岩船峯次郎が300本のソメイヨシノを植えたそうです岩船家は商売繁盛の恩返しのため現在の函館の香雪園に公衆トイレや芝生広場をつくって1927年(昭和2年)から市民に無料開放もしました香雪園の紅葉は北海道とは思えない美しさです🍁▲空堀▲馬
明日はジャポニスムアカデミーの講座です。前編は午前中でしたが、明日の後編は午後になります。お間違えのなきようにご参加の皆さま、宜しくお願い致しますm(__)mさて、何色の服を着て行こうかなぁウソです、もうとっくに決めていますこの時の旅でね。ということで、箱館旅の続きです美味しいお蕎麦とべこ餅のおやつを頂いたあと、再び史跡巡り。戸切地陣屋跡幕末、箱館開港にともない幕府が松前藩に築かせた陣屋。国内初の西洋形式星型要塞(四稜郭)で、6つの砲座と17棟の
秀吉さんのお墓参りのあとは、福島大神宮へ。創立年代不詳。本州からの渡海者が伊勢皇大神宮の大麻を奉じて「カムイナイ」(アイヌ語)という小沢に鎮座したと伝えられる。天正2年(1574)福島村常磐井家の遠祖常磐井治部大輔藤原武衡再建。更に慶安2年(1649)9月16日村中にて再建。時に3代祠官笹井(常磐井)今宮藤原道治斎主となり、第9代松前藩主松前高広の命により福山神明社より古神鏡を奉遷し遷座祭を斎行。文化4年(1807)社殿焼失し、現在の「鏡山」の地に社殿を遷座。明治9年福
松前に来たからには、やはり訪れないとね永倉新八居住地跡明治4年、新八っちゃん33才の時、藩医・杉村介庵(松柏)娘・よねさんと結婚し松前に居住。明治6年、長男義太郎さんが生まれ、小樽へ移ることになります。記念撮影さて、そろそろ箱館に戻りつつの史跡巡り。萩茶(砂)里古戦場跡(尻内町)この少し手前が一ノ渡古戦場跡があったはず松前進軍の時に、この辺で彰義隊と額兵隊の先陣争いがありましたよねぇ~(その時の記事はこちら☆)歩道橋の下を覗き