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私の軍跡探索の中心は山の中や島嶼部にある砲台/見張所ですが、5月~9月は遺構が草木に覆われるため探索はシーズンオフとなりますので、この期間は「山口県の戦争遺跡」を紹介していきます。なおこのカテゴリーで扱う戦争遺跡とは、山口県下に残る軍関係の施設(砲台/見張所は別カテゴリーで紹介)、忠魂碑を除く日清戦争以降の記念碑や銅像および関連物、記念館/博物館の展示物などが対象となります。それでは昨年11月以来となる「山口県の戦争遺跡」カテゴリー再開の一発目は、萩市の椿八幡宮に奉納されている日本海海戦
前回から続き(9月2日のこと)です入り口を入って行くと、板塀が見えてきました旧東郷邸(舞鶴地方総監部会議所)住所・京都府舞鶴市余部下1200公開日・基本第1日曜日のみ(違う日もあるのでご注意ください)入場料・無料駐車場・なし歴史など明治34(1901)年10月1日に舞鶴鎮守府が開庁東郷平八郎中将(当時55歳)が初代司令長官として親補される明治36(1903)年10月19日、常備艦隊司令長官になるまでの2年間を過ごした官邸以来、歴代長官の官邸として大東亜戦争終結時まで使用さ
去年の秋に東京行きが決まった時、漠然と“原宿でクレープが食べたい!”と思ったRieruです★え〜と・・・アナタの年齢、40代半ばですよね?しかも原宿へは1人で行くのにクレープ?イテテ(いや、だから漠然と)念願叶って?美味しいクレープを頬張っていると、『東郷神社』と書かれた看板が目に入ってきました。この“東郷”って、どう考えても東郷平八郎の東郷よね?前日靖国神社に参ったばかりだから、それ以外の“東郷”は思い浮かびません。幸せな気分でムシャムシャとクレープを食べていましたが、その看板の後
将之と絵里加さんは無事にロンドンに到着して練習&レッスンの日々に突入できたようでホッとしております。風邪を引かず、怪我もせず、無事に過ごせますように🙏将之がフライト✈️した日に、恒例の東郷神社へ初詣に行きました。私たちが結婚式を挙げたご縁のある東郷様なので頼りにしています。「東郷は運の良い男です」ということで聯合艦隊の司令長官になってバルチック艦隊に勝利した方です。あそこで負けていたら日本🇯🇵は存続していなかったと思うので心底尊敬しています🩷今年初めて、ご祈願を込めて幟を寄進して勝利祈
世には見えない世界霊の世界などスピリチュアルに興味をもつ人が沢山おりますが昔私の修行の師がよく言っていたことでございますがスピリチュアルに興味をもつ人は波動が頗る高い人つまり精神が頗る高い人波動が頗る低い人つまり精神が頗る低い人とに極端に分かれると言っておりました私もそのように感じていますスピリチュアルに興味をもつ人のなかで波動が高い人は全体で1割程度しかいないといわれていますスピリチュアルに興味をもつ人がスピリチュア
第372話おはようございます菊水千鳳です🍉度々でホントにすみません💦今回から京都での体験を書く予定でしたが、急遽靖国神社の英霊さんたちが来られて、大切ななメッセージをくださったので、予定を変更してお届けしていきます。英霊さんたちから、日本国への重要なメッセージが含まれています。今回の英霊さんたちのご訪問…事の始まりはC君とSさん(C君とSさんは親子です)が、自宅でテレビ東京の人気番組『緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦』6月24日放送分を録画したのを観ていて、番組の中で東郷神
東郷平八郎の言葉に感動昨年よりNHKで再放送されているドラマ「坂の上の雲」に今夢中になってますその中で少し感動した言葉があったので忘れないように書き留めておきたいと思います。場面は、日清戦争において自分の命令で部下を死なせてしまったと自信を失っていた秋山真之(本木雅弘さん)が東郷平八郎(渡哲也さん)に質問するシーン。秋山真之「よき指揮官とはなんでしょうか?あしにはようわからんのです。少尉はご自分の出した命令を後悔したことはありませんか?」東郷平八郎「おいも人間じ
第374話こんばんは菊水千鳳です前回の日記(英霊たちに呼ばれて靖国神社参拝2今の世に伝えたい彼らの思い)の続きです。拝殿を後にし、《参集殿》と呼ばれる場所で正式参拝の手続きをしました。中に入ると『明るくて心地良いなー』と感じていたら、耳元近くで英霊さん【(ここでの御祈祷は)ㅤこうみえてもㅤ厄を払い清める力はあるぞこの土地そのものに力があるぞ】と、アピールしていました。正式参拝を待つ間、座席に案内され、靖国神社をご紹介している映像を観ていました。映像の
予習ができたところで、見学の始まりです。皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ皇国(日本)が盛えるか滅びるかこの一戦で決まるから、みんな全力尽くして頑張れ!!の意味として使われた、Z旗が掲げられていました。本来は、タグボートを要請するときに使われるそうです。Z旗といえば、海の進軍。海の進軍日本軍歌~海の進軍作詞:海老沼正男作曲:古関裕而www.youtube.comまずは上甲板。
第373話こんにちは菊水千鳳です前回の日記(日露戦争の大将軍東郷平八郎さん他名だたる英霊たちの日本国へのメッセージ)の続きになります。8月7日、この日は運良く俺とSさんとC君の3人の休みが重なったので、靖国神社に呼ばれていることもあり、参拝に伺ってきました。車で向かっている途中、コンビニに寄りました。2人より先に一息ついていたら、目の前に靖国神社から来られた英霊さんが数人並んでいました。英霊さんの一人が言いました。【間もなく終戦記念日…時が過ぎ去っても(世の中
dayOFF本日は、早朝から都内へ非常に遅れましたが、初詣です(笑)何度か訪れている、東郷平八郎を祀る「東郷神社」勝利の神様とも言われていて、3月に試合も控えていることもあり、ある意味良いタイミングで来れました。毎回、神社でお参りをする時は、神様に祈るというよりは、怪我しない。毎日積み上げる。確実に成長していく。と自分への決意的な言葉で拝みます。そうすると、気持ちが引き締まります。遅れた初詣ではありましたが、やはり神社は心を整えてくれる気がします。改めて、2025年、毎日を
筑前国一之宮の筥崎宮(はこざきぐう)です。大分の宇佐(うさ)神宮や京都の岩清水(いわしみず)八幡宮とともに三大八幡宮の1社だともいいます。八幡宮(はちまんぐう)というからには、八幡大神こと、第15代・応神(おうじん)天皇が祀られています。創建は921年、醍醐(だいご)天皇によって、大分(だいぶ)八幡宮より遷座したとあります。しかしここはもとより、神功(じんぐう)皇后が子の応神天皇の胞衣(えな)を入れた筥を埋めた聖地のようです。「筥」とは円筒形の箱
ちょいよしNO.2655私は海軍士官候補生のとき、私の前を通った偉大な提督東郷の姿をみて全身が震えるほど興奮をおぼえた。そして、いつの日かあのような偉大な提督になりたいと思った今日のちょいよし本東郷平八郎―近代日本をおこした明治の気概1,944円Amazon平成9年8月10日第2刷発行Amazon紹介日本海海戦において空前絶後の大勝を遂げ、日露戦争の勝利を決定づけた英雄・東郷平八郎。大東亜戦争後、不当に冷遇視されてきた東郷の生涯を正しく記録した一代記。
教育参考観昭和11年(1936年)に海軍士官や財界等の寄付金によって建てられました。白亜のギリシャ神殿風の建物です。約1万6千点の資料を所蔵している。終戦時には進駐軍の没収を避けるために厳島神社や大山祇神社に預けられた経緯があります。内部は撮影禁止です。入り口を入って正面の階段を上がったところに遺髪室があります。東郷平八郎の遺髪が納められている。(確認はできなかったがネルソン、山本五十六の遺髪も納められているらしい。)横山大観自身が寄贈した大きな富士山の絵もありました。な
本日は、神社の参拝です👏まず明治神宮今年は鎮座百年のため拝殿に向かう道すがら、展示物も沢山あり見応えがあります!鎮座百年祭記念「心願成就みのり守」自分で願い事を書く珍しい御守りです今年の明治神宮は必見です❗️しかし御朱印は並びます本日1時間位かな~ここは気合が必要です。次に歩いて数分の東郷神社へ…でもお腹が空いたので、ふらっと沖縄料理屋さんでランチ*携帯見ずに酒を飲め*コレステロールなんか怖くない*飲んでも二足歩行で歩けのようなお店の確言的な張り紙が面白いお店でした
前回、戦艦三笠について書きましたが、そこにでてきた丁字戦法。この戦術が成功したことで、連合艦隊はバルチック艦隊に勝利しました。でも、丁字戦法ってどんなもの?ということで、分かり易く説明しているブログを発見。あとりえ極星堂さんのブログを引用させていただき記載します。丁字戦法とは?味方艦隊と敵艦隊が、空から見て「丁(T)字」に見えるため丁字戦法と呼ばれました。この戦い方は、「丁」の横が有利で縦が不利。縦に並
2017年1月5日初詣へ「酉年」にちなんで千葉県香取市にある「香取神宮」へ行ってきました香取神宮下総国(千葉県北部)の一宮(旧国地域で最も格式の高い神社)で、全国約400社の香取神社の総本社。鹿島神宮・息栖神社とともに東国三社の一社で鹿島神宮とペアで関東の東を護る、地域全体の守護神。霞ヶ浦・北浦・利根川の水の流れがパワーの源泉になっており、千葉県最強の霊力といわれているそうです「神宮」と名のつく神社は今ではいくつもありますが、平安時代から伊勢の他に神宮と呼ばれたのは、鹿島神宮
秋山真之司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読み終わった。飛ばし読みの部分もあるが3度目の通読となった。沢山の資料を調べた著者の努力には驚くばかりである。読後の感想文がわりに、主人公のひとり秋山真之が起草したとされる「連合艦隊解散の辞」を日記に残すことにした。秋山真之は正岡子規とは同年配で二人とも伊予松山城下に生まれ育った。上京して大学予備門に仲良く通っていたが諸般の事情により子規と別れて海軍兵学校に入る。優秀にして首席で卒業し軍人となった。日露戦争の日本海大海戦は東郷平八郎の下の参謀として
東郷平八郎皇國の荒廃この一戦にあり各軍一層奮闘せよ