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富木謙治「柔道原理と剣道原理」(1972)に以下の記述がある。柔術の伝書の多くが、大陸伝来の経穴経路の生理的急所を図解し、殺傷力の効果を強調している。だが、その後の歴史に、「当身技」は、形としても、また、練習法としても、その内容が乏しく、見るべきものが伝承されていない。大正12年(1923)沖縄という特殊な歴史的背景の中で発達した「空手」が内地に伝来するまでは、ほとんど忘れられていた。ここで一つの疑問に遭遇する。江戸時代に流行したという「当身技」に、はたして沖縄空手にみるような威力や、「
本部直樹これまで、アメブロで本部流並びに空手・古武道の歴史ついての考察記事を、日本語、英語で書いてきました。また海外の有志の方々による英語、フランス語、ポルトガル語の翻訳記事も発信してきました。ただアメブロは外国語での記事発信を想定しておらず、タイトルを含め様々な制約がありました。従いまして、今後は外国語記事はMediumと呼ばれるアメリカの同様のプラットホームに移行して発信していこうと思います。併せて、日本語の記事も今後はnoteで発信していく予定です。また、過去の記事も順次
渡嘉敷唯賢『沖縄伝統空手道那覇手(剛柔流)・泊手(松茂良派)二大流派の血脈を探る』(2017)に、義村御殿の義村朝義が刀を構える写真が掲載されている。以前紹介したように、義村御殿の家譜には、琉球国王から刀や槍を拝領したとの記載がある。乾隆四十三年八月廿二日蒙賜殿宅二十五日移徒因蒙恩賜刀大小二腰鑓一本現代語訳1778年8月22日。義村王子朝宜は、国王から邸宅を賜った。彼は25日に転居した。国王から大・小の刀を二腰、および槍一本も賜った。また、義村は松村宗棍から棒術と