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若い人の末期癌やお年寄りの急激な癌の進行など普通では考えにくい事象で亡くなっているのです「ひとの死」を最前線で見ている葬儀屋さんの実感コメント。若い人の末期癌、急死が「普通」になった異常な社会。https://t.co/KyXk3HbkDH—KAITO(@teteatete2021)February27,2023テレビは絶対に言いませんそりゃそーですよ、わかるわけがない、死が日常にある仕事の方以外は。その中でもS級の葬儀屋が言ってるんですよ。ワクチン始まって
フェンタニル静注から経皮テープに切り替え終了。痛みのコントロールは順調。普通に元気で、ご飯だってもりもり食べるしお散歩だって、重い荷物だって持つ。この人は本当に病気なのかなぁ?そんなことばかり考えてボーッとしてたらいきなり主人が抱きついて来た。まだ普通に元気なのに、末期癌なんて自分でもまだ受け入れられてないって言いながら。そうだよね。この先もずっと一緒にいれるんじゃないかって私も思うよ。ずっと一緒にいたい。だから一緒に頑張るよ。
父と母が泣きながら大失禁の片づけをしたと聞かされた時姉は「老々介護は無理だから病院に入院して。」と言ったそうです。父は「治療は受けたくないし自宅で臨終を迎えたい」と、母は「体力的に娘たちに頼るか入院してもらわないと無理。でも、爺ちゃんは自宅で死にたいと言ってるから可哀想・・」私は、やはり最後の最後は緩和病棟に入ってもらってプロの方々に身体のケアをお願いしたいと思っていました。訪問ドクターと看護師さんにも父は「一切治療はしたくない。」と宣言していたため、本来ならば週に2回
いよいよ、十二指腸ステント留置手術。前にも書きましたが、母の場合、十二指腸癌ですい臓肝臓に転移が見られるステージ4です。原因が十二指腸だったため腫瘍も十二指腸にあるものが一番大きくて。黄疸治療で内視鏡を入れた時に発覚したのですが、十二指腸がすごく狭くなってるとの事でした。そのため、ものを食べても消化が上手くできず嘔吐してしまうようになってしまう為十二指腸にステントを入れる手術です。簡単な手術だとは伝えられ、手術の時間は1時間から1時間半と言われていましたが、、。なん
父の「婆さん連れて一緒に死ぬから放っておいてくれ!」の言葉にぶち切れた私。あろうことに、死期が迫っている父に向って「ふざけないでよ!!なんで婆ちゃんを連れて死ぬの!?一人で死ねばいいでしょ!!」やら「家族の事を思っているなら緩和ケアに入るとか思わないの!?男らしく潔く決断してよ!!」などとまくし立て、看護師さんに「あらあらどうしたの?」と心配されてしまう始末。おそらくこの一件を真剣に受け止めてくださった看護師さんが、家族も疲れてると訪問ドクターに話をしてくれたよう
半ば強引に退院してきた父は食事とトイレ以外はベッドの上で過ごしていました。痛みはないものの、時々高熱を出すのでその度に時間に関係なく姉が呼び出されます。私も1週間毎に泊まりに行きました。しばらくすると食事もベッドの上で摂りたがるようになり、おまけに母に食べさせてもらうという甘ちゃん状態に。ショックだったのは💩をリハビリパンツ(紙パンツ)でさせてくれと言われた時です。「支えるからトイレに行って」と頼んでもベッドに寝たまま踏ん張り始めるのです。今まで、犬猫の💩と赤ちゃんの💩
主人と病室でたわいもない話をしていたら担当医が来室。今朝の採血で肝臓の数値が上がっていたと。これからエコーを取りたいと主人を連れて行った。末期癌と告知された日から、こうゆう1つ1つの主人の身体の変化がとても恐い。どうしようもない不安に押しつぶされそうになって泣きそうになる。でも主人の前では泣かない。って決めたんだから泣かない。
9時間の大手術を乗り越えて4ヶ月の入院生活を過ごした父は、リハビリを頑張り、私たちの心配をよそにボケることもなく、5月、晴れて退院することが出来ました。6月には姉夫婦、私と夫、孫たちを呼んで快気祝いをする程元気になり、7月には姉の反対を押し切り、夫婦で2泊3日の温泉旅行に行きました。その温泉旅行が父と母の最後の旅行になりました。旅行から帰ってきた夜に父が高熱を出し3度目の救急搬送に。胆管が詰まっているとのことで、8月2日再手術をしました。手術後は下血が続いたり、コロナ陽性に
今日は、通院日。オプジーボも8回目。奏功しているのかどうか、明日のCT検査まで分からないけど、8クール目までできたことを、まず評価。ステージ4の癌で、ファーストラインの抗がん剤のあと、オプジーボに賭けるような人の場合、2~3回で終わってしまう人も多い中、痛みはあるものの、まだ元気で、働くこともできているのは奇跡だと思う痛みがあると、なにも食べられなくなるので、昨日もほとんどなにも口にできず、今日、病院で計った体重は74.7。ジーンズ履いてだから、実際は74kgジャストくらいかな?今日は
いつもちゃまを気にかけ応援して下さりありがとうございます。今日のちゃまはあ、いや、その前に昨夜から。備忘録として。昨夜そこそこご飯を食べ水も飲み5日ぶりの💩もしました。いつも太くて長い立派すぎる💩をするんだけど昨夜は最後の方だけユルユル。とうとうこれからは下痢気味になっていくのかな。胃腸があまり働かなくなってきてるのかな。ユルかったのは一時的なものでまた立派すぎる💩をして欲しい。水分が出たからか?昨夜から水をよく飲む。夜中も何度か「
20229月末期癌手術不可という診断ですが1回だけと治療を始めました治療の内容も細かくは質問せずあいまいに進んでいますが年寄りでも読み逃げだけでなく自分のことも書いてみようと思いました頑張る方の参考にはなりませんがこんな考え方も知っていただければ幸いですよろしくお願いします婆の余命はがんばる皆さまのために
我が家は全国型転勤族。お盆に帰省中、主人の病気が分かりそのまま地元の病院にずっとお世話になっている。だから本来私たち家族が居るべきお家は放置。住民票も向こう。末期癌そう主人が上司へ伝えたら、支店の人が動き、私たちの地元の支店への異動を話をつけてくれた。本社も今までお世話になった支店もこれからお世話になる支店もみんな主人が治療に専念できるように動いてくれた。引っ越しも私たち家族はなにもしなくていいと、支店の方で全部するから。そう言ってもらえた。感謝しかなくて、主人とふたりで泣いた。
もうすぐお迎えがくるころだろう。吐き気が止めどなくやってくる…休日ということもあり、古い古い邦画が流れている。たまたまだが、地方公務員が公園を建てる話だ。(調べたところ、黒澤明監督の「生きる」だった)私の父は公務員、町内の公園を設立していたがそんな篩話はどうでもいい。そして、医者の見立てでは、そろそろおむかえがくるころなのだ。そうだね、担当医の悲しげな顔を見てから、3年くらい経つのだもの。何故だか腹の底から笑いがでるくらい、辛いのが、滑稽なのだ。そう、腹の底から気持ち悪い癖に
まず用意するもの。1番上に有るのが、廃棄テープ用の廃棄シートです。左にあるのがフェントステープ2mgが2枚です。左にあるのが透明防水保護シールです。オキシコンチンが合わない方はだいたい、フェントステープに変わります。私の場合、オキシコンチンが身体に合わなかった。皮膚からジワジワ効いてきます。これが無いと激痛で発作を起こしている。私の命の恩人でもあります。廃棄シートにいれた証明が入ります。マジで。医療用麻薬は普通に焼却できる。病院の薬剤部が管理している。使わずに横長しし
治療?ではないですね💦痛みの軽減や少しのやる気を出すお薬で日々過ごしています痛みどめとステロイド長生きを願うより痛みと怠さをとってあげたいあっ!それと下剤!これは欠かせない!一応、トイレまでは歩けるのですが自分では中々難しいのよ毎回トイレでお湯を流しながら綺麗に結構、腰にきます!寝た状態の方が私は楽なんですけど自尊心を大切に今日はYouTubeを観ながら歌を歌っていたので少し痛みがないのかなあ、、、
日本人の血管がアブナイ・・・ガンも治すか!松葉の効果松葉エキスサラサラ血流で脳梗塞など奇跡的に改善船瀬俊介■肉食で血管が詰まる・・・!アメリカ人の6割は肥満という。哀れ、二人に一人は確実に心臓マヒでポックリ死ぬ運命にある。その”肥満大国”を後追いしているのが日本である。軍事路線だけでなく"肥満路線″でも後を追っかけているのだ。なんとも情けないかぎりだ。「日本では心臓疾患はアメリカに比べてはるかに少ない。しかし、日本人がアメリカに住んで、アメリカ式の食事をするとどうなるか?彼らの心
「死に様は生き様」大河ドラマの「真田丸」上杉景勝の言葉です。S様の最期に、そんな言葉が思われました。_(_´ω`)__10連休2日目、夜勤者との交代時間に、お看取りがありました。、( ̄人 ̄)12日に79歳になったばかりの方で、ホーム内では若い入居者様でした。「死に様は生き様」の言葉通り、最期の日まで、凛としていた方でした。元会社経営の女性で、はっきりしたもの言いで、ヘルパーさんにズバズバ指摘して、恐れられていた方でした。