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そうちゃんの最期は、とても悲しいのにとても温かくて、涙が出るのに笑顔にもなれて、とても不思議な穏やかな時間でした。寂しくてたまらないはずなのに、思い出すのは嬉しかった思い出ばかりで、心の中はただただありがとうでいっぱいでした。そうちゃんと過ごした8ヶ月と30日は、苦しいことや不安なことも沢山ありましたが、それを忘れてしまいそうになるくらいに沢山の幸せな時間を過ごしてきました。そして、毎日そうちゃんと充分すぎるくらいに向き合うことができたのは、そんな環境を整えてくださった病院の皆さんや家族が
父が亡くなったことの連絡は、関係が近い方には50日祭(仏教でいう四十九日)が終わったあと、年賀状のやりとりがあった方には12月に喪中欠礼はがきを出すつもりでいた。なぜなら父は海上自衛隊勤務で各地転勤してきたため、同期や一緒に働いたことのある方々が全国に散らばっており、いろいろ終わる前だと気を遣わせてしまうと母も私も思ったからだ。しかし、父は癌に罹患し体調が思わしくないことを身近な人にはメールで知らせており、12月ごろからスマホでのやりとりもキツくなってきたため、相手にそ
1ヶ月経過しましたが先月、妹が亡くなりました。10月の半ば過ぎから亡くなるまで仕事帰りに実家へ寄ってそばにいたから週単位に日単位にできなくなることを見てきて死が近いことがわかって本当に辛かったです。亡くなる前日いつもつま先だけ冷たかったのに足首の上の方まで冷たくて今日は随分足が冷たいねと言いながらクリームをぬってあげました。食事は母が用意した里芋と大根の煮物(味付けなし)に少し
この記事を読んでなるほどそうだったのか、とグリーフケアについて知りました。亡くなった我が子を抱きしめる…後悔しないためにできること(AERAdot.)亡くなった我が子を抱きしめる…後悔しないためにできること〈AERA〉赤ちゃんの誕生は喜びと慈しみに包まれる大きな幸せだ。だが、悲しい出産の現実もある。たとえ産声があげられなくても、長く生きられなくても、小さな命の輝きは、かけがえのないものだと知ってほしい。AERA2...dot.asahi.comなつみが息を引き取ったあの時、病
飲んでいいか聞くわたし。笑いいよって看護師さんも主治医の先生もゆってくれてこれは最期が近いから?とか色々考える。お母さんに頼んで買ってきてもらえるかなー。病院お酒売ってないし。色々考えたってなんにもならないのに色々考えちゃう。また看護師さんと話して号泣。緩和ケアってのがあるらしく、緩和ケア絶対してもらう。あー抗がん剤迷うけど迷うけどどうせ死ぬなら一回くらいやらないとなー。子どもたちにあいたいよう。
Hieveryone!お元気ですか?コメントやメッセージで励ましやお祈りの言葉をいただきまして、ありがとうございました。お返事も遅れています。ごめんなさい。更新も遅くなって多くの方にご心配をおかけしました。詳しくはまた落ち着いてからご報告させていただきますが、主人は今義父の待つ天国へ旅出そうとしています。今の願いは、できるだけ安らかに旅立って欲しい。ただそれだけです。Iloveyoutothemoonandback.取り急ぎご報告まで。では、お元気で。Hav
お母さんのこと考えてたら、いつのまにか年越してた。いつもなら、あけおめー!ってお母さんに電話して、福袋の話とかしてたな。正月早々に地震が起こった瞬間も、お母さん大丈夫かな?!電話しなきゃ!って咄嗟にいつもの感覚になってしまった。もういないんだった…って泣きそうになる瞬間。毎晩寝る前にお母さんのさいごに苦しんでた顔が思い浮かんできて、さいごに言った言葉がフラッシュバックしてきて胸が締め付けられて苦しくなる。息ができなくてもがき苦しんでる姿が何度も何度も蘇って来る。目の前で苦し
今日、告別式を終えママの遺骨と一緒に家に帰ってきた。本当に、お疲れ様。最期の一分まで、頑張って生きてきたね。6月13日(土)22時すぎ、夜間ヘルパーのFさんといつもの様にママの体勢を整える。唾液の吸引をジェスチャーで求めるので、バイパップを止めマスクを上げて吸引カテーテルを手渡すと、どうにか動く右手で口の中にカテーテルを入れて唾液を吸引する。左向きで寝るママに、よっこらしょと私とFさんでママの腰を縦にし、足を左向きにセットする。ここからが大変で、左手のポジション、腰の位置、足の位
お久しぶりです(*ˊᵕˋ*)੭ੈKooのブログ転載から1ヶ月・・・我が家ではバタバタといろんなことがありましたまず、宣言通りゴボのスーツを買いに行きました通勤スーツ➕礼服も揃えまして・・・いやはや、給料1ヶ月分が飛んでゆきました仕方ねぇ・・・そうや、これはお祝いやからなめでてぇやないかいな、いっちゃんお昼寝ちう。偶然の同じポーズその後ゴボはいくつかの卒業旅行に忙しくバイトで貯めた小遣いをじゃんじゃん放出しておりました「なぁ、お母さん。やっぱ3
去年の10月から、書いてなかったんだね〜いっぱい、色々あったコメントいただいて、ホント、そう思いたい。脳外科のドラマ、始まりましたね。言葉、言葉に、気持ちに突き刺さるものあるんだけどなんで、ああ最後はハッピーエンド?風に終わるのだろうまあ、TVドラマだからしょうがないか…ね
【問題】遊佐長教の最期の説明として、正しいものは次のうちどれか?【選択肢】刺客に暗殺された99歳で大往生を遂げた犬追物中に落馬した辰市合戦で戦死した【正解】刺客に暗殺された【解説】遊佐長教(ゆさながのり)は、三好長慶と結託して大きな力を持っていたが、刺客に襲われて落命した。暗殺された場所や黒幕については諸説あり判然としない。
職場で、内示がありました「あの人、やっと居なくなる」って言われる人もいれば「あの人、居なくなっちゃうんだ。」って言われる人もいます人が生きていく中でどんな暮らしをしていたか…日常でどんな行動やどんな言動だったのか…その人の人間性が感じられる瞬間だと思いました不倫ってできるか…できないか…不倫をするか…しないか…やっぱりその人の人間性なのかもしれない居なくなる瞬間に残された人は、どう思うか…不倫…言葉の重みを感じました夫が居なくなった時に私は前者?そ
本日7月14日、午前9時3分にUは永眠いたしました。私とパパと2人揃って、Uのそばで最期を看取ることができました。詳しくはまた後日まとめたいと思っています。取り急ぎご報告でした。
こんにちは。人間より動物好きの獣医シワ神シワ男です。LINE@のご質問が続きますが、これはよくあることなので、お答えしますね。「獣医さんに怒られる」これ、飼主さんとしてはあるあるだよね。当院に転院されてくる方もよく言われる「先生に怒られるんです」ってやつ。他の先生と自分は全く考えが違うからどっちがいいとか悪いとかじゃなくって変な考え方をする獣医もいるぐらいに思って。エビデンスも無視してるし、治療も無視した考え
私は朝起きてコーヒーを飲みながら新聞に目を通すんですが、「認知症」という文字を地域版や広告の部分などで目にすることが多いと、ここ最近感じています。それだけ認知症の患者が増えているということなんでしょうか…。「認知症にならないためには」というタイトルの著書、予防法として食べる食材などを紹介している記事、頭を鍛える脳トレのおすすめなども書いてありました。私個人の意見として言わせてもらえれば、書いてある内容はどれも舅が実践してやっていたことなんですよね。舅はもともと地頭が良い人だからいろ
2019年1月5日お酒が大好きな父は、肝硬変から肝臓癌と、腎臓まで患って透析まで受けていました。酒で死ねるなら本望だ!が、口癖でしたが、死ぬまではお酒は吞み続ける事はできませんでした。私は40を超えた頃位から、本当のお酒の味が分かったようで、父親に「頼むから週に1回は休肝日を作ってくれや!」と、言われるくらい私は毎日お酒を呑んでおりました。父は日本酒一辺倒。私は日本酒とワインと芋焼酎以外は何でも好き。全て吞めるのですが、日本酒は必ず翌日残りしんどい。ワインは渋い。芋焼酎は
こんにちはまあこです。夫がステージ4bの胃がん余命3ヶ月と言われてからの闘病記を綴っています。タイトル通りですが4月1日朝夫が息を引き取りました。私は横のソファで寝てしまい朝、目を覚ましたらもう呼吸はなく、脈も触れずすぐに訪看さん、医師を呼んで死亡確認しました。実は、最期の日は娘が「お父さんの横に寝てもいい?」と初めて介護ベッドで一緒に寝ていました😊最初で最期の添い寝夫も嬉しかったかな。でも。。。
いっちゃんの記録そして卒業CT検査室に着くと、いっちゃんの酸素マスクが一旦外された。じっといっちゃんを観察するU先生。大丈夫、大丈夫だから。U先生は、被曝を避けるためのオレンジ色のベストを着ながら私に話しかけてくださった。「お母さんはここで待っててください。大丈夫です!!少し弱いけどちゃんと自発呼吸も出来てますし、がんばってますよ!急いで撮ってきますから。彼の頭の中で何が起こってるのか、これでしっかり見れるはずですから。」先生・・・・・先
今朝、ヘルパーさんが来て、おむつ交換をしてくれたとき、尿が出ていませんでした。あー。このときがきたかー。と思いました。死期が近づくと、尿がでなくなると聞いていたので、いよいよかー、と思ったのです。そして、その後も何時間経っても尿がでないし、夜になると無呼吸の回数が増えてきたので、こんやは義父のそばで見守りたいなーと思っています。ヨメ
2019年12月10日家族に見守られ、最期は苦しまずに一粒の涙を流して安らかに眠りにつきました。こんなに早い別れになってしまうとは、、、。35歳。まだまだこれからたくさんやりたい事あったはずなのに。辛い闘病生活よく頑張ったね。旅立ちまでの経過は落ち着いたら書きます。
今日は、とても風が強い家の最寄り駅の隣に大きなソメイヨシノがありホームに立ってたら桜吹雪🌸この頃、何を見ても主人の最期の時に繋げてしまうまだ、主人、存命です。でも、昨年11月に再発と知り術後からは、歩けなくなり自分で何も出来なくなり話せなくもなりもう、脳は半分なくもう、寝たきりの骨と皮しかない身体になり緩和ケアに入りました意識レベルも、どんなものか昏睡ではなく、昏迷状態と聞きましたがこちらの声はわかってるのかも、手を触ってもわかっているのかも、何も返事はなく
お母さんお母さーん何度呼んでも目を開けてくれなかった。ごーごーといびきをかいて寝てる。もともといびきがすごく大きくて、入院中も同じ病室の人からクレームあったくらい(笑)なので、ホントに普通に家で寝てる時と変わらないので不思議な感じだった。いつもと同じように寝てる。ただ呼んでも起きないだけ。そのうちパッと起きそうなそんな感じだった。ダンナさんと末っ子と娘がきてくれて、末っ子と娘がずっと手を握ってた。時々声掛けながらお母さんの話をしながら、涙流しながら4人でお母さんとの時間を過ごした
【問題】蠣崎舜広は若くして亡くなったが、次のうちどのような最期だったとされるか?【選択肢】家臣に誤射された姉に毒殺された嵐で船が転覆した秀吉に処刑された【正解】姉に毒殺された【解説】蠣崎舜広(かきざきとしひろ)は、蝦夷の戦国大名・蠣崎季広の嫡男として生まれた。一説に、22歳の時、重臣・南条広継に嫁いだ長姉により毒殺されたという。
2020.7.11父が亡くなって丸2年今日は父の三回忌法要でした。宗派は全く違うものの、お経を聞いているとココロが落ち着きます。父とそうちゃんは同じ年に天国に行きました。あと5ヶ月したら、そうちゃんの三回忌…そうちゃんのお誕生日7月8日を待って、11日に旅立った父。お誕生日は、とてもとても喜んでくれた。ホッとしたのかな。最期息を引き取る時もちゃんと立ち会えて、最期のケアも看護師さんと一緒にしました。ポロポロ流れ落ちる涙で父の服がべちゃべちゃになっちゃって…父さん、お疲
病室に入っておはようと声かけると、お母さんが目を開けていた!え?目開いてる!お母さん??お母さん!!ダンナさんが、おかーちゃん!わかる?わかったら目パチパチして!って言うとパチパチと2回瞬きした。聞こえてる!わかってるわ!お母さん!お母さん!わかったら目パチパチして!って私も声掛けたらパチパチと2回瞬きした。娘もあーちゃん!私わかる?パチパチしてって言うとパチパチと2回瞬きした。呼吸は相変わらずゴーゴーいびきみたいな呼吸してるけど間違いなく私たちの言葉を理解し、応答してくれた。
当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、筑肥線で運行されております103系1500番台電車は、現在も3両固定編成が西唐津・唐津~筑前前原間で運行されておりますが、上の画像の6両固定編成に関しましては平成27年3月改正直前に305系電車に置き換えられましたので、残念ながら全廃となっておりまして、現在は見る事はありません。筑肥線の103系1500番台電車は、かつては現在E12編成で見られますスカイブルー塗装の6両固定編成のみが存在しておりまして、筑肥線~福岡市交通局(福岡市地下
人の最期だけは優しくあれ鬱憤晴らしは死後でいい
岳:がっくん6歳風:ふぅ11ヶ月雷:らい11ヶ月お空組くぅさん2022.2.10(14歳11ヶ月)りっくん2022.7.16(13歳9ヶ月)いつもご訪問ありがとうございます≧(´▽`)≦たまねぎによる愛犬と愛孫溺愛ブログです♪犬バカ孫バカすぎてごめんなさい~(*´ェ`*)はじめましての方はこちらを見てね♪・黒白豆白自己紹介★ご質問が多い関連記事のご紹※犬や赤ちゃんについて思うこと・赤ちゃんとわんこの生活・犬と暮らすと言うこと※
人助けをテーマに活動されているYouTuberデンジャラス赤鬼のなきまさん路上生活者に温かいごはんを提供していく中で喉の痛みを訴えていたおじちゃんに出会いました。病院に連れて行き告げられた病名は舌がん余命も告げられていましたが、なきまさんたちがサポートし、元気に過ごされていましたが病気は進行していました。徐々に体調も悪くなり、それでもおじちゃんは自分の身の回りのことは自分でやりたいという意向で最期まで入院はしませんでした。人助けをテーマに活動をされているとはいえ身内でもない
エンゼルケアご遺体を美しく整えることエンゼルメイクご遺体の顔を美しく整えること(一般的に死化粧)エンゼルネイル=最期のネイルご遺体の爪を美しく整えることエンゼルケアは病院や施設などで看護師さんがやってくれたり、納棺師さんがやってくれたりがありますが……エンゼルメイクは必ずやっているものだと思ったら…実は知らない方も多いらしい……エンゼルネイルはもちろん知られていません私が調べた中では出てきませんでしたそこまで必要とされていないのかもしれないけれど最期のそのひと時が残された人