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転倒からはじまった母の介護(そのお話はこちら)しばらくは遠距離介護をしていましたそんな母の遠距離介護に限界を感じ(そのお話はこちら)実家での同居介護をはじめて(そのお話はこちら)二ヶ月がたった頃...自宅で再び転倒し救急搬送された母そのまま入院し2度目の大腿骨骨折の手術をしました(そのお話はこちら)約3ヶ月の入院後ほぼ寝たきりになり退院しましたしばらくして実家を売却して(そのお話はこちら)父と母も連れて私の自宅に引っ越しまし
みなさん、こんにちは。5つのテーマで最期の迎え方をお伝えしていきます。ご自身、ご家族の最期の迎え方についてしっかりと向き合ってもらえればと思います。最期が近づいてきたときには以下のような選択を迫られます。1.最期を迎える場所は?2.心肺停止した時に、心肺蘇生を行うか?3.呼吸状態が悪くなった時に、人工呼吸器を装着するか?4.点滴が入らなくなった時にどうするか?5.食べられなくなった時にどうするか?心肺停止時に心肺蘇生をするかどうかという狭い意味での延
父が亡くなった後、書類のことでソーシャルワーカーの方が家を訪ねてくれました。在宅医療に切り替えてから、わずか4日目。父は静かにこの世を去りました。たった4日間のお付き合いだったにもかかわらず、「お父様はとても気丈な方でした」とその方はそう言ってくださいました。父は肺がんでした。コロナ禍で外に出なかったのではなく、本当は、苦しくて動けなかったのかもしれません。無口で、頑固で、弱音を吐かない人。そんな父でした。だからこそ――少しずつ具合が悪くなってい
29年前61歳で亡くなった父の話です。父の胃がん治療は胃全摘手術だけだった。術後、順調にいけば1ヶ月以内には退院予定だったが、腸閉塞を起こし再手術後に院内感染もあり、入院生活は半年近かった。主治医の治療方針と母の希望で抗がん剤はしなかった。副作用で体調不良になる事が無かったのは、不幸中の幸い。父は身体が動けるうちは旅行の企画をして、自ら運転をしてあちこちに飛び回っていた。抗がん剤治療をしていたら、こんなに自由に動けなかっただろう。父の場合は抗がん剤治療をしなかった方がメリットが大き
07:30呼吸が変わった。下顎呼吸?次兄から9:00頃来ると連絡あり。07:40次兄に連絡。やっぱり早目に来た方がいいと伝える。08:00体位交換に介護士さんが来た。今、この状態でやらなくていいと伝えるが、ちょっと上にあげた方がいいと母を動かす。あの若い子が今日の担当か、と思ったがもう一人ベテランの介護士さんが一緒についてくれて安心した。08:40父と兄達が到着。母の意識も反応も全くなく呼吸が荒い。10:00再び体位交換。呼吸が安定してきた。お母さん、頑張っている。す
前回の続きです👇『チュイルリー宮広場の戦いから☆』前回、パリ出動の際に衛兵隊二個中隊に同行していた、貴族の将校のみなさんについて書いたのですが、『衛兵隊の貴族たち☆』ちょっと余談ですが、現在夏…ameblo.jpチュイルリー宮広場での戦いでの最大の出来事は、アンドレが銃で撃たれて戦死を遂げてしまう🐎ベルばら史上もっとも悲しいシーンの一つであるあのシーンですねオスカルはこのシーンの直前、人生の一つの山場を迎えていて、
当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、筑肥線で運行されております103系1500番台電車は、現在も3両固定編成が西唐津・唐津~筑前前原間で運行されておりますが、上の画像の6両固定編成に関しましては平成27年3月改正直前に305系電車に置き換えられましたので、残念ながら全廃となっておりまして、現在は見る事はありません。筑肥線の103系1500番台電車は、かつては現在E12編成・E17編成で見られますスカイブルー塗装の6両固定編成のみが存在しておりまして、筑肥線~福岡市交通局