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朝から定額減税に振り回されてますわーん先月、税理士先生に聞いたけど、、、またしても???な事が出て来たいい加減、自分の頭の悪さに嫌気がさすわーて、事で現実逃避でコインランドリーに行ってブログを書くとりあえず、無い頭を働かせても仕方がないので税理士先生にアポとりのメールしました会社を継ぐようになって知らない事だらけでもちろん、経理の事なんて社員達も知らないなんとか、自力でいろいろ調べたりもしたけれど1番確実で早いのは専門家に聞く事!これに尽きるわかない事をわからないと
母のがんがわかってから今まで母を介護して看取って来て、この日の夜ほど悲しく辛かった日はありませんでしたずっと、意識が戻らなかった母が9日の夜になってやっと意識を取り戻し目を開けました❗私はものすごく嬉しくて、母にO先生のことなどを色々と話しかけましたところが、母は私の呼びかけに答えようとするかのようにしきりに口をモグモグするのに、どうしても言葉が出てこないのです。私は衝撃を受けながらも「何❔何か言いたいの❔」と母に盛んに話しかけましたが、母はなん
へそくりで投資を頑張るRurun☆です。パーティー。皆さま、昨日のブログの昨日の最後の言葉に、引っ掛かりませんでしたか?『2024/05/24寂しい優待消化と、今日の取り引き』へそくりで投資を頑張るRurun☆です。今日はとても良い天気なので、家のことをパパッっと済ませてMACCHAHOUSEへGO!💨今日の目的は、優待消化です…ameblo.jpRurun、実はパーティーを開くんですよ今、その準備で大忙し!!また終わりましたらこちらでご報告しますねお楽しみに~!
妻が昨年12月28日に末期がんで亡くなった。末期がんと診断確定がなされてからわずか一か月半ほどでだ。医師の話では、「数か月ですぐどうこうということではない」「ただ、治療はできるだけ早くされた方がいいですよ」と言っていたのに、それからわずか一か月半。医師の想定よりも進行が早かったのか本当にあっという間だった。妻は告知を受けてからも最後まで生きる望みを捨てなかった。だから遺言めいたものも何一つ残さなかった。最後の言葉のようなものも一切なかった。私も、妻は必ず生還する
目が覚めた母は、黒目の色素が薄くなってなぜかハシバミ色になった目をパッチリと開けて、真上を見ていました。母の目は全然濁っていなくてとても澄んでいて、綺麗だなぁ…と私は思いました。顔を動かせなくなり足を動かせなくなり手を動かせなくなりして、体の機能が少しずつ失われていくほど、薬を飲まないのに、不思議なことに母は痛みや苦しみを感じなくなっていきました。そしてまた不思議なことに、母が少しずつ何も出来なくなるほど、私と妹には母の事がまるで自分が産んだ赤
この頃の母の体調はまるでジェットコースターのように乱高下していました。呼びかけに全く反応せず一日中眠り続ける日があるかと思うと、何事もなかったかのように穏やかに喋り続ける日があったり血圧が下がり、嘔吐もあった日曜の後二日程は体調の良い日が続き迎えた水曜日は兄との二回目の面会日でした。昨晩見舞いに行くと言っていた旦那休みの日はたいてい10時すぎまで起きてきません。大学生かーーー(-_-メ)私はバタバタとたまった掃除
最後にLINEやり取りして2ヶ月…会ったのが2ヶ月前だからね。頭の中でぐるぐる「また、連絡するわ」って言ってくれたその言葉こんな終わり方しないでよ。ずっとブロックしてないし。これ、時間が経って急に連絡くるパターン?けど、やっぱこんな彼と付き合い続けるのはしんどいよ。ちょっと気使ってた部分もあるしな…号泣するとか、そんなのはありません。ただただ謎。私なら関わりたくなかったらブロックする。ブロックしないままってなに?けど、少しずつだけど思い出しても胸がぎゅうってなることが減ってきた。良
『母が膵臓癌になりました52』『母が膵臓癌になりました51』『母が膵臓癌になりました50』『母が膵臓癌になりました49』『母が膵臓癌になりました48』『母が膵臓癌になりました47』『母が膵…ameblo.jp今まで母の膵臓癌関連のblogを読んでくださったりイイね👍してくださったり励ましてくださった皆様へ(念をおくってくださってたかたも)母は8月18日の朝永眠しました。享年71歳です。17日に家族全員集合した際父に助けを求めたり口がカサカサで氷水を欲しがったり(妹が冷
実家から数メートル先の駐車場にパパが車を取りに行き実家の玄関先で車を停めてくれるのがいつもの帰宅パターン数分待っても来ない・・外に出て車がやって来る方向を見るが来ない・・私の妹が見に行ってくれた嫌な胸騒ぎがしたのを覚えている見に行ってくれた妹が遠くから私の方に向かって叫んでいる『パパが』その一言で私は普通じゃない何かが起こっていることを理解した猛ダッシュして停まっている車に行くとパパが運転席で座っている・・助手席の方に顔を向
常に薄暗い部屋。あれだけ嫌がっていたベットに何も言わずに横になっている来望。仕事を終えてから病院に向かい奥様と交代をします。全く眠って居ない様子の奥様。来望の状況を聞くのですが、特に良くなる訳でも無く、目線は遠くなるし、特に会話をする訳でもなく。という事。とにかく気を付けて家で帰るように見送り、病室に戻ります。来望に話かけても、残念ながらなにか伝えようとしても反応はありません。目線は常に遠くを見つめているし何処を見ているのかすら解から
パパがくれたバックを袋に戻し早速準備に取り掛かる帰宅時間を皆で決めてた理由は順位を競い合いながらのカードゲームを家族8人でするためこれもお正月のお決まり夕食を挟み21時ごろゲーム終了その後は息子企画の毎年グレードアップしていく閉会式昨年の東京オリンピックのメダル授与時のBGMを流しながらパソコンを繋げた先には大きなテレビに映し出される3位から1位までの該当者の1人アップ写真。100均の金銀銅メダルを大会委員長である私の父がそ