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みなさんこんばんわこめたんは中畑清さんが初恋の人だけど、中畑さんよりかなり長く応援してきた選手が居るのであります27年間、恋い焦がれずっと・ずっと・ずっと応援していたのが山崎武司さんキャッチャー時代から大好きなの盗塁は全くと言っていいほど刺せなかったけどねイーグルスを応援するきっかけは武司さんが移籍したから今でも大好きなリアルジャイアンですモバイルニュース引用そんな武司さんが先日、お亡くなりになられた星野監督との事を回想している記事がありました中日のエースとして鳴らした
打倒大リーグボールのために来日したオズマしかしコーチが飛雄馬の実の父一徹と知りいきなり怒りが爆発更に一徹に「お前に大リーグボールは打てん」と言われたうえに、記者たちの飛雄馬の現状を聞かされついにブチギレ堪らず、巨人軍の多摩川グラウンドに押しかけるがもはや完全に腑抜けとなった飛雄馬を見て絶望してしまう「たっ・・・・大変ですっ、オズマが・・・オズマが急にアメリカに帰ると言い出しました!」「なっ・・・なんだってーーーーっ」ここは一徹の名古屋での宿舎チャ
●もう少し、生きていてくれたら・・今週から始まった亡くなった小林麻央さんの息子、勸玄ちゃんの七月大歌舞伎。ここで、勸玄ちゃんは、史上最年少での宙乗りを披露している。それを見たお客様の声や、テレビのコメンテーターが、口にするのが、「小林麻央さんに、見せたかったわねぇ。」という声。「もう少し、生きていてくれたらね。」という声も。でもね。違うんです。昭和22年。岡山県の倉敷市に一人の男の子が生
昨日(6/17)、第68回全日本大学野球選手権大会の決勝が行われ、明治大学が、佛教大学を6-1で破り、明治が38年振り6度目の大学日本一の座に就いた。明治の大学日本一は、1981(昭和56)年春、「御大」と称された、名将・島岡吉郎監督が率いていた時以来の快挙である。明治は、今年(2019年)春、東京六大学野球の春季リーグの優勝の立役者である、エースで主将の森下暢仁投手が中心となり、見事に38年振りの大学日本一の栄光を掴み取ったが、明治らしい、ソツの無い攻撃と、森下の危なげない投
あの人亡くなっちゃったのか・・・突然の訃報にただただ驚くのみだね( ̄ー ̄;1947年(昭和22年)1月22日岡山県倉敷市生まれ倉敷商業から明治大学を経て1968年(昭和43年)中日にドラフト1位で指名され入団通算500試合登板で146勝121敗34セーブ星野仙一と言えば、打倒巨人に異様に執念を燃やし「闘将」とか「燃える男」と呼ばれていた元々阪神ファンだった星野さんのとこに巨人のスカウトが訪れ、「1位で指名するから」と熱心な誘いを受け星野さんもその気になってドラフトの日
本日(10/12)は、今から46年前、1974(昭和49)年10月12日に、中日ドラゴンズが、初優勝した1954(昭和49)年以来、20年振り2度目の優勝を達成した日である。この年(1974年)は、「V10」(10連覇)を目指す巨人と、20年振りの優勝を目指す中日ドラゴンズが、激しい優勝争いを繰り広げていたが、最後は、ウォーリー与那嶺(与那嶺要)監督率いる中日ドラゴンズに凱歌が上がり、中日が巨人との激闘を制して、優勝を果たした(※70勝49敗11分勝率.588)。中日ドラゴンズは
これは土曜日のお話し父を病院へ定期点検に連れて行き待ち時間は走ってましたそして父のお気に入りの岡山老舗の中華そば屋一仙に行くことに岡山では仙系と松系というこの二つはほぼ同じ味なのですが一時代を築いたラーメンと言われてます??さて11時開店と同時に訪問父は普通に中華そば僕は岡山らしいトッピングをと思いとんかつハーフとワカメをそれがこいつです見た目美味しそうですよねでも思いませんか?麵が見えない(いつものことやね)ではなく
星野仙一さん死去=3球団で指揮、70歳-中日エース、楽天で日本一プロ野球中日のエースとして活躍し、引退後は中日、阪神、楽天の3球団と日本代表の監督を務めた星野仙..........≪続きを読む≫[アメーバニュース]朝食前に淹れたてのコーヒーを飲みながら新聞に目を通しつつテレビ或いはスマホでニュースをチェックするのが休日の朝の過ごし方となっています。速報だったので昨日の朝刊に掲載されている筈はなく、テレビのニュースでこの訃報を知った訳ですが、眠気眼の自分の目を一瞬疑いました。
2017年6月、ちょうど2年ほど前に浪速のDONである深江今朝夫氏が亡くなられた事をFacebookで投稿しました。ご子息である夏樹氏が会社を継ぎ、今度は夏樹氏が2018年の7月9日に亡くなりました。(公にはあまり発表されていません)まさかと耳を疑うような出来事です。どうしてこんなことに・・・・・。これも因果の法則なのでしょう。今朝夫氏はとても感が鋭く感情的な人であるがゆえ、まわりは理解するのが難しかったようです。ぱっとみてわかるように、正財と傷官があり帝王が付いて隣
今日は、仕事終わってから、今は亡き星野仙一さんの墓がある、瑞円寺(ずいえんじ)へと行ってきました。今回は、事前に連絡を取っていた事もあり、住職のご厚意により、会館を訪問してきました。お忙しい中とはいえ、星野さんの在り方を学ぶことができました。星野仙一さんがきっかけで、中日ドラゴンズファンになったが、吠える男、燃える男という闘将は伝説でした。星野さんは、倉敷商業高校から明治大学を経て、中日ドラゴンズの投手として活躍し、プロ通算146勝と活躍し、沢村賞などを受賞しました。監督として中日ドラゴン