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~アロマセラピーと風水を融合させた世界初の開運メソッド「アロマ風水」~人気ブログランキングへブログランキングに参加しています。みなさまの応援が毎日の更新の励みになります<(__)>アロマ風水®創始者及び、運命学神道研究家の横井靖弘です。本日、6月5日は、今年最大の吉日ですね!・天赦日:天がなんでも許してくれる暦の最大吉日・神吉日:神事に吉…ということで、運勢的に見事に大吉日が揃っています(^^)v今日は、あなたの「運氣のお誕生日」にぜ
(神奈川県横須賀市長沢)天地も動かすばかり言の葉のまことの道をきわめてしがな明治天皇(あめつちもうごかすばかりことのはのまことのみちをきわめてしがな)強力な台風が近づいている。朝、早く眼が覚めたので投函がてら海を見に行った。遠く離れた三浦半島の海も、なにやら不気味な力を蓄えているようだ。上記の和歌は明治天皇の御製。世界を動かすほどの力強い言葉を使いこなすほどのまことの道を極めてみたいものだ。という意味。世界征服か?帝国主義か侵略の
雨は朝までのはずでしたが、お昼くらいまで降っていましたね。今年に入って急に明治神宮に行くように言われまして行ってきました。主祭神は明治天皇ですね。都心とは思えないほど豊かな自然です。何の用なんだろうとか思いましたが私に対しては「そろそろ腹を括りなさい。」と言われました。父や親戚、周りの人のことを考えると思い切ることができず先延ばしにしていますが、そろそろ時間切れのようです。理解してもらうことは諦めて自分の道を進んでいくときなんでしょうね。世の中の人々に伝えたいことはあります
今回からは京都御所の紹介です。2015年にも紹介したのですが、展示が少し変わっています。一般公開中の2024年12月1日に見学しました。今回は京都御所の歴史です。公家町でもあった京都御苑です。赤枠内が京都御所(内裏)です。御所は東西250m・南北450mの長方形です。内裏(だいり)とは、天皇の住まいである宮殿や皇居の古称で、禁中や禁裏、御所とも呼ばれます。天皇の私的な在所です。これは現在地にある案内板です。上図赤枠内の京都御所(内裏)は拡大すると京都御所
私の就学前後の2年間、秋田県由利郡直根村(ひたねむら、現,由利本荘市鳥海町)に住んでいました。住居には、真ん中に囲炉裏のある30畳程の板の間がありました。度々酒飲みの来客があり、この囲炉裏を囲んでドブロクを飲み、時事談義や拍子手を打ちながら皆で歌うのです。私は囲炉裏に掛かっている鉄鍋に一升瓶に入っているどぶろくを注ぎたすのが役目でしたので、否応なしに皆の話す時事談義が耳に入ってきました。その話の中で記憶にあるのは、明治天皇がすり替わったことと、大正天皇には子種が無く、昭和
明治37年御製産みなさぬものなしといふあらがねのつちはこの世の母にぞありけれ生み出さぬものはないと言われる大地は、この世の母である。(「あらがねの」は「土」にかかる枕詞)日本は古代から豊葦原の瑞穂の国と言われてきました。神嘗祭は大地の恵み(初穂)を神々に捧げ、新嘗祭は直会で共に食する場を設けることで神に感謝する神事です。特に新嘗祭は古代から天皇にのみ許された秘儀であり、宮中祭祀の中で最も重要な祭祀とされてきました。日本書紀には、三大神勅の記述があり
現在の日本で在日コリアンがマスメディアに出るなど、大きくその活躍の場を持っているが、その原因にあるのは明治維新である。実際のところあの明治維新とは、1860年代のその当時、日本に居てた在日朝鮮人が徳川幕府を斬って革命を引き起こしたが故に発生した出来事であるのだ。故に朝鮮人が日本人を斬って、日本の天皇に成り済ました為に、ここで朝鮮人が日本人のようになってしまい、地位が逆転したと言う訳なのだ。その次に、明治維新を行った朝鮮人よりも長い時間、日本に居る朝鮮人が、その初代明治天皇となった朝鮮人を
第234話こんにちは菊水千鳳です先日、スピ友(スピリチュアル友達)4人で京都へ参拝ツアーに行きました。参拝場所に選んだ一社が【白峯(しらみね)神宮】でした。崇徳天皇さまが祀られています。参拝ツアーを終えて帰宅後の9月17日の朝でした。崇徳天皇さまが再び俺の部屋にいらしたのです。ちょうどニュースで北朝鮮の核問題が話題になっていました。崇徳天皇さまからのメッセージは以下の内容です。【(白峯神宮の参拝客は)変わりなく続いておるぞ(お主らは)よくぞここまで本
明治37年御製大空にそびえて見ゆる高嶺にものぼれば登る道はありけり明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「大空に高くそびえ立っている険しい峰々にも、意を決し登ろうとすれば、登り得る道はあるものである」「やまと心明治天皇御製謹註」(佐佐木信綱著)では、「いかに困難なる事業にも志だにあらば成功すべき手段は必ずあるべきよしをたとへ宣へるなり」ロシアとの戦争では、戦費の調達にも苦労し、まさに総力戦の様相になりました。諦めることなく
いい天気の元旦、桃山をゆっくりと歩きます。桓武天皇陵への、鳥たちがさえずる道。今年もお見守りください。東に向かうと、伏見城跡地。天守閣に、かつての遊園地を思い出します。巳年でヘビに注意とは、これいかに。広い公園に、冬の風が吹き抜けていきます。北に向かうと、伏見北堀公園。気持ちがいい、東西に続く道。冬の花にほっこり。公園を抜けると、遠く北の山々が。神妙に、明治天皇陵に向かいます。
昨年の冬至は、蝶子ちゃんの突然の危篤で看取りをした大変な冬至でした。今年は気分を一新して、明治神宮まで久しぶりのお散歩&参拝をして来ました。参拝が終わって振り向くと、グッドタイミングで花嫁さんの行列が歩んで来るところに出会えました♪幸せ絶頂のめでたき日のお裾分けをいただけて嬉しい☺️明治神宮ミュージアムでは、「明治天皇と宮中の文化」が開催されていました。校祖である下田歌子先生と深い繋がりがあった明治天皇様、昭憲皇后様には親近感がありますし、この時代に想いを馳せることができる催しは大好き
本当それ。日本人にも当てはまります。日本人が日本人を殺すわけがない。日本の政府が日本人を殺すわけない。日本の医者は日本人を殺すわけない。世界のWHOや厚生労働省が日本人を殺すわけない。ビル・ゲイツは、マイクロソフトの創業者で悪いことするわけない。…それは間違いです。日本は、戦争に負けたんです。アメリカの属国です。日本は嵌められて戦争で負けてます。顔が似ている韓国人を大量に入れて…韓国は中国の属国らしいです。アメリカと手を組んで、寄生してます。英国もアメリカの上に立って
日本の歴史上の何等かの過度期、過度期…の度に神と直結召される天皇がお生まれに成られると言います。そして、其の時代、時代に於ける祖国日本の難関を切り抜けられて来たと言う訳です。例え因縁的に、天皇が直接天津神と繋がって居られるとは言え、文字通り神と繋がって居ても、全ての天皇が直に天津神と結ばれて居たとは言え無かったと言う事ですね。天皇家の様に、長く続いて居る家系と言うものは、勿論一般の家でも其れは同様なのですが、当主の行う事の第一は《祖先の祀り》なのです。其れが仕事に成るのです。日本的な大
「黒書院の六兵衛」「黒書院の六兵衛」予告編2018年7月22日から8月26日まで毎週日曜22時-23時にWOWOWプライムの「連続ドラマW」で放送された。全6話。主演は吉川晃司。キャスト:的矢家的矢六兵衛-吉川晃司:将軍直属の警護隊・御書院番の番士。江戸城に無言で居座り続ける。的矢六兵衛の妻-若村麻由美的矢清右衛門-田中泯:的屋六兵衛の父。的矢六兵衛の母-三星登史子的矢六兵衛(初代)-桑原良二:身代を持ち崩して旗本株を売った。的
明治神宮外苑聖徳記念絵画館℡)03-3401-5179往訪日:2023年5月21日所在地:東京都新宿区霞ヶ丘町1-1開館時間:(水曜休館)10時~16時30分参観料:500円アクセス:JR中央線・信濃町駅より徒歩約5分駐車場:396台(1600円/日)国指定重要文化財(2011年)※館内の撮影はNGです《東南アジアの遺跡のようだ》ひつぞうです。銀座ライオン往訪の翌日。天気も回復したので、再び街歩きに出ました。訪ねたのは明治天皇と昭憲皇太后の御聖徳を記念した聖徳
この動画の内容を、2023年の長崎に原爆が、投下された日にブログの記事にするつもりでした。でも、1年前は、さっすがにここまで!という気持ちもあり、一旦お蔵入りさせたのです。あれから1年。やはり、この世の中はおかしいですし、無駄に人の命が削られています。戦争中ではないのに、空襲があったわけではないのに、尋常じゃない数の人口が減っています。そして、これから秋接種、毒接種が始まるので、さらに、犠牲者が増える予定です。このYouTubeは、突拍子もない内容
pic.twitter.com/rHtC1eJ11q🚨バチカン図書館完全非公開100万冊デクラス🚨幕末開国の準備のため、また国体維持のため、計略実行のため欧州皇統から密かに帰国された天皇。バチカンは日本の「王子を貰った」と言ってます。孝明天皇は裏天皇に明治天皇は堀川誓約で入れ替わり表天皇になる…—橋広バロン幸之助🇯🇵MJGA💫(@hasibiro_maga)2025年1月2日
林真理子さんが描く、皇室小説。この本、面白かったなー!短編になっていて、一つ一つはわりと短いです。スルスル読めます。明治・大正期の皇族のお話がゴシップ的に書かれていて、なんだか現代の雑誌「女性ナントカ」の明治大正バージョンみたい。こんなこと書いていいのかね、失礼には当たらないのかな?っていうノリだった・・・高貴な方々も人間ですからねえ。お血筋は高貴なんでしょうけれど、中身はダメ人間な御方もいらしたよ徳川幕府の世の中で皇族たちは貧乏に喘ぎながら、生活のためもあって子供を次
🇯🇵pic.twitter.com/7yznndpsEN—橘(@KyO3wTachibana)2025年1月5日
報恩講の準備に。1月16日親鸞聖人御命日法要いわゆる報恩講の準備である。毎年ご門徒様方、地区ごとに当番が入れ替わって。今日はお供えのお餅つきから。自坊では1月15日日曜日に。コロナ禍ということで、今年も午前午後2部制で。伝統を伝えてこられた先人たちのご苦労が、一段と身に沁みる今年の報恩講である。続いて、明治天皇第十皇女の貞宮多喜子内親王の遥拝式に。御養育係であった楫取素彦男爵の玄孫である楫取能彦氏も来防されてご挨拶。防府天満宮内の遥拝所。毎年、寒さが厳しい遥拝式。今日は
2024年05月29日(水)12時13分29秒の記事を復刻過去にデマわってたこの情報さぁ、完全なるデマなんですけど、まだ信じてる人達が一定数いるでしょ。勘弁してほしいんですけど。それ、例のクソデマ「田布施システム」あたりから発祥してるんじゃねえの?だって、大体があの「明治天皇すり替え説」を本気にしてる人達がこういったデマを言ってたんだからさ。明子さん報告ありがとう(・∀・)ゞこれ、既に突っ込まれてますよ。総理になれるのはほぼ朝鮮人!官報でも確認できる事実?【ファクト
今日で『華麗なる明治ー宮廷文化のエッセンスー』展が閉幕したんですね!令和への御代がわりに関する展覧会も、これで一旦、一区切りなんでしょうかね…。この展覧会では御裳捧持者のことにチラッと触れていてくれたのが良かったですね〜。明治宮殿の存続と命運を共にした制度なのに、これまでは、あまり触れられることがなかったですから…。『宮内省内豎、舎人、馭者、配膳人、玄関番、仕人等ノ服制ヲ定ム』明治21.10.01.内閣行政文書、国立公文書館それと今回の展覧会に合わせて『いざ、明治宮殿へ』と題し
明治37年の御製です。あさみどりすみわたりたる大空の広きを己が心ともがな明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「さわやかな浅みどり色に澄みわたった大空の、その果てしない広さを、わが身の心としたいものである。」一貫して平和を望まれた陛下の大御心。世の中は感情的な勢いに呑まれ、戦争へと突き進もうとしていました。皆が心を鎮め、冷静になって、もう一度平和への道を模索してほしいと願われたことでしょう。日露戦争を避けたかった陛下、この御製
<第8代大隈重信>(1898.6.30~1898.11.8)(第1次大隈内閣)隈板内閣〔板垣退助・入閣〕初の政党内閣。明治天皇「伊藤、正気か?」伊藤博文「大隈は大蔵時代、私の上司でした」
先日、市長のお宅に伺った際に興味深い話を聞きました。市長のお名前は今井竜五さん。この今井家の先祖は、木曽義仲の四天王の一人、今井四郎兼平と言われているそうです。そのため屋号を、きそや(木曽屋?木曽家?)としていたそうです。ところが参勤交代で御休憩された尾張の殿様が、この今井家の杉林を大変に愛でられ、「この後は屋号を杉森館(すぎもりかん)とせよ!」との一言で屋号が変わった逸話があるそうです。その杉林がコチラ↓確かに立派な杉林です!歴史ある今井家、今でも住んでいるとは凄い
先日から過去の記事を読み返しているのですが、2013年10月8日の『明治宮殿の暮らし』の中で使わなかった画像が沢山、画像フォルダ内に残っていたので、明治宮殿の画像をこの機会に公開しておこうと思います。1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で桜田門外の参謀本部が爆撃され、その火の粉が風に乗って飛び火し、明治宮殿は全焼しました…。そんなワケで、在りし日の明治宮殿を個人的に振り返りたいと思います…。明治宮殿は、旧・江戸城西の丸の跡地に建設されることが決定しました。1884(明治17
2023年02月16日(木)17時47分38秒の記事を復刻いや~、面白い!!笑える!!これとっくにバラされてるのにwwwそして時間差で攻撃するのは楽しい♪明子さん通報ありがとね!ヾ(o´∀`o)ノワァーィ♪え~、明治天皇すり替え説を信じてる人達が使っているこの写真ありますよね。すっごいボケボケですよね。もうお察しですねwこんな画質の悪いものを使うのって印象操作の手法の一つですから。この中央の少年を明治天皇の幼少期とか書いてる記事、よく見かけませんでしたか?こん
おはようございます~。今日も旅行記を。ま、軽くなんで見て行ってくださいませ♪色々と歩き回ったのち、次の目的地である相生に行くため津山駅まで戻ってきました。現在15時20分くらい。相生までの経路を調べてみると直近では26分発のがある。(失礼ですが)田舎の列車は1本逃すとヤバいことになるので絶対に逃すことはできない!!そう思ってみどりの窓口に並ぶと前の人が特急券の払い戻し手続き?かなにかをやっていてモタついている。焦る焦る・・・・・・切符を手に入れたのは24分。急いでホー
アロハLani代表の開運師つむぎです現代レイキ法の協会が発行している明治天皇御製の和歌を紹介しています。臼井先生が選りすぐりの125首をお弟子さん達に紹介して日々の糧にするように伝えたそうです。明治天皇はたくさんの和歌を残されており、その言霊にとてもパワーがあるので読者のみなさんにも触れていただけたら嬉しいです※明治天皇は優れた霊力もお持ちだったそうです。オラクルカード風に今日の一首を目を閉じて選びます。手ならひ
いつまでも若い靖国神社の銀杏並木黄金色に輝いてとても美しい20歳であろうが80歳であろうが、学ぶことを止めてしまった人は年老いる。学び続ける人はいつまでも若い靖國神社は、明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社しょうこんしゃがはじまりです。明治7年(1874)1月27日、明治天皇が初めて招魂社しょうこんしゃに御親拝の折にお詠みになられた「我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき」の御製からも知ることができるように、国家