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夫と一緒に、先生からの卵管切除の話を受けましたが、私自身は「卵切はしない」方向で考えていました。卵切については、よんちゃん出産前に悩んでいました。その当時、かかりつけ医の助産師さんに相談したところ、助産師さんから「悩むくらいなら取らない方が良いよ」とアドバイスを受けていて、その時から自分の気持ちは変わっていませんでした。今回、担当医の説明も受け、先生からは卵切を勧められましたが、私としては◯そうは言っても、やっぱり、自分の中にある正常な生殖機能を失うことに喪失感や抵抗を感じること◯望ま
先生から休むことを勧められた私は、職場に電話連絡をしました。もう、復帰まで10日に迫っていました。職場からも了承を貰い、診断書を取るように指示されました。そもそも私は、育休で1年間休む予定であり、抜けた穴には新しい方もいらっしゃいました。職場への負担も無いわけで、私自身、申し訳無さもあまりありませんでした。みなさんも事情を知っているので、無理させようともしません。その点では、本当にありがたかったです。後日、再度かかりつけ医に行き、先生に診断書を書いてもらいました。先生はとりあえず
退院した私達は、みんなの待つ自宅に到着しました。車をとめると、中から長男と長女が裸足で飛び出してきました。ニコニコとしながら、子供たちが無邪気に言います。「お母さんお帰り!よんちゃんは?!」私は答えました。「ただいま、よんちゃんいるよ。」子供たちが後部座席に駆け寄ります。夫が後部座席を開けてあげました。よんちゃんと子供たちの初対面です。長男は「可愛い…」と言いました。長女も「可愛い!!」と言いました。ふたりでとても愛おしそうに見つめ、よんちゃんの頭を撫でていました。夫が「
めち子さん。手術、終わりますよ。私は目を覚ましました。終わった…やっと、この妊娠の全てが終わったんだ。前回妊娠は、妊娠37週で常位胎盤早期剥離を発症。赤ちゃんは亡くなり、私自身も産科DICとなり、大量の輸血をしてなんとか自分の生命だけは助かった。正直、また、土壇場で何かしらの問題が起きるのではないかと、最後の最後まで不安だった。良かった。本当に良かった。しかしながら、目覚めてからは身体がガタガタと震え、眠気も凄くて、必死にまぶたを開けなくてはならない状態でした。総合病院で帝
手術を終え、看護師さんに連れられた私達夫婦は、私の病室へと到着しました。夫は看護師さんと嬉しそうに会話をしています。一方、私はというと、相変わらず、眠気と震えにひたすら耐えていました。すると、NICUの看護師さんが、赤ちゃんを連れてきましたよー。と、言い、生まれたばかりの赤ちゃんを連れてきました。特に問題もなかったから、ここに連れてきてもらえたんだろうな。と、思い、私もホッとしました。しかし、私はもう本当に眠くて…麻酔の影響で身体も全く動かないし、赤ちゃんの方をしっかりと見ると
入院4日目の朝を迎えました。そして、今日でようやく妊娠37週です。ずっとずっと、この日を待ちわびていました。お腹の赤ちゃんは、1週間前の妊婦健診で、すでに想定体重は2,500グラム。週数も、体重も、いよいよ、いつ生まれても大丈夫です。無事に出産できたら、かかりつけ医に転院できる週数にもなりました。入院後の生活も今のところ順調。このまま、予定通り、明日には帝王切開をすることができそうです。昨夜は就寝前に、またまた目がチカチカする「眼華閃発」が始まってしまいました。看護師さんに伝え
よんちゃんと病院で過ごしたのは、ほんの数日でした。でも、よんちゃんは一回も泣かないから、私はなにもすることがありませんでした。産後はあまり目を使っちゃいけない。とか、聞くので、これまでの産後はできるだけスマホもいじらないようにし、赤ちゃんとゆっくりしていました。しかし今回ばかりは…常位胎盤早期剥離のことを調べたり、死産後のことを調べたり、あっという間に容量もオーバーです。入院時のお産セットに、無料プレゼントのハガキが入っていました。赤ちゃんの写真入り絵本と等身大ポスターのプレゼント
私たち夫婦は、入院バックを部屋に運んでから、再び、子ども達の待つ駐車場へと戻りました。子ども達とはあと数日、お別れです。とはいえ、赤ちゃんと会えた嬉しさや、総合病院と違ってちょこっと会えるようにもなったので、子ども達も以前ほどの寂しさを感じなくなっているようでした。3人共、ニコニコしながら自宅へと帰っていきました。病室に戻り、ひとりでソワソワと過ごしていると、看護師さんが赤ちゃんを連れて帰ってきました。看護師さんは笑顔でお帰りー!本当に良かったね。みんなでめち子さんが帰って来るのを
なぜ、今回のことが起こったのか、手術が終わって2日目に産科の先生より説明を受けました。結論から言えば、早期胎盤剥離というものです。胎盤が剥がれかけて血腫が6センチほど出来ていたそうです。でも最初に診てもらったとき大丈夫だったのに、5〜10分で剥離が進むものなのか、、と疑問を医師に伝えてみたが、いきなり進むこともあるとのことで、ほんとにおそろしいものなんだと実感。私が朝の違和感から早く病院に来ていたら状況は変わっていたのだろうか、、それも聞いてみました。遅かれ早かれ胎盤剥離にはな
妊娠33週のある日。就寝前、ベッドでゴロゴロしてスマホを見ていました。あれ。待って…なんだか、お腹の左側が痛い。ずっと痛い。この日も、夕食後からとにかくお腹がガスでパンパン。立ちあがるともう、はち切れそう。これが「張り」なのかは良くわからないけど。お腹がギューっと収縮する張りは分かる。でも、この、パンパンも「張り」なのかが分からない。そして、なんか、ずっとお腹が痛くて。多分、まだ、痛みは20〜30分なんだけど…胎動も、あるんだけど…よんちゃんの時も、「なんか痛い」が、
今回の死産。私は何人かの友人に報告をしていました。そのうちのひとり。学生時代からの大事な友人。彼女が大学に行ってからは、本当に数えるほどしか会っていません。ライン等のやりとりも殆ど皆無。でも、とても大事な友人です。彼女には、手紙でよんちゃんの事を伝えました。元々あまりマメではない友人。(ごめんね。笑)そんな彼女から直ぐに郵便が届きました。中を開けると手紙と本が一冊。手紙を読むと、私のことを本当に心配してくれていて、子供のことも一緒に悲しんでくれていて。そして、こんな時
少しのスイッチですぐに涙が溢れてしまう。そんな日々もあっという間に過ぎました。長かったような早かったような。記憶の中から、あの出来事がスッポリと抜けているようです。あれは、夢だったんじゃないか?そんな気持ちさえします。5月のカレンダーには「38週」とか「妊娠検診」とか「赤ちゃんのお誕生日(予定帝王切開だっため)」とか「退院予定日」が記載されていました。これを書いていたころの私は、とても幸せだった。会える日が指折りとなり、ワクワクしていた。あれはどうしよう、これはどうしようと考え
夫とふたりきりで出かけたのは久々でした。実は、出産予定前のゴールデンウィーク中、1日だけ実家に子ども3人を預けて出かける予定でした。車内で「ふたりきりは久々だね。デート行かずじまいだったね。」とか「夜中は渋滞もないし病院もすぐ着くね。」とか、他愛もない話をしていました。ナビ画面に流れるテレビ番組の内容に突っ込んだりしながら、楽しく向かいました。お腹の痛みは、相変わらず、まぁ痛いなぁ、くらいでした。当初予定していた誕生日より早まったけど、もうすぐ会えるんだなぁ、このまま帝王切開、腹をくく
こちらの病院に入院してから24時間が経過しました。昨夜は、就寝前に夜勤の看護師さんが交代の挨拶に来られました。夜勤担当は、先日、入院説明をしてくださった方でした。看護師さんは私に対して、もし、お腹の張りとか痛み。赤ちゃんの胎動とか、気になることがあったら、いつでも言って下さいね。ここは24時間、すぐに対応できるし。モニターもここにあるから。(モニターは各ベッドに1台ずつ、常に置いてある状態でした。)と、言ってくださいました。すごくホッとして…もう消灯前で部屋が暗かったから良
妊娠8ヶ月腰の痛みも増して、さらに恥骨が痛むような一人目の時にはなかった違和感が出始めました。トコちゃんベルトなしでは過ごせないくらいに。このトコちゃんベルトはこっこちゃんの妊娠時代から使っていたので、もうマジックテープはヨレヨレ歩いているとたまにマジックテープがズルっと取れてしまっていました後にこのトコちゃんベルトは出産時の出血で血まみれになり、捨てることに。この頃の胎動。今思えばですが、目でわかるくらいの胎動が全くありませんでした。お腹の中でぐーーっと伸びているような胎動や
火葬場から帰宅しました。今までは物置と化し、全く仏間として機能していなかった我が家の仏間。不要な物を片付けて、ひとまずよんちゃんの骨壺を置きました。よんちゃん、帰ってきたよ。おかえりなさい。病院から処方された母乳を止める薬を飲みます。たった1錠。小さな粒のお薬。卒乳のたび、毎回おっぱいの張り等と戦っていた。それをたった1錠で終わらせてしまう薬。なんだか、怖くもありました。今までの卒乳は、それぞれに思い出がありました。長い長い授乳期間を経ての終わり。可愛い子ども達とのコミ
家事の手伝いをしてくれた母も帰宅し、家族6人になりました。よんちゃんと過ごす事ができる、最後の夜です。まだまだ産後3日で傷の癒えない私を除き、夫と子供たち4人でお風呂に入りました。私はビデオ担当です。病院から帰宅してからは、クーラーの無い空間にいたためか、よんちゃんはうんちがドンドン出るようになっていました。夫はお風呂に入る前によんちゃんの肛門にガーゼをあててから絆創膏をつけていました。あまり長時間の入浴はよんちゃんに良くないと考え、先に上の子を洗ってからよんちゃんも入ります。夫は
天使パパである夫は、私とよんちゃんを連れて帰ったあと、長男を連れて骨壺を買いに出かけました。骨壺は、病院の方から赤ちゃん用のコーナーを設けてある葬儀屋を教えていただきました。(後日、仏具店にもあることに気づきました。今までは全く気にしたこともなかったので…)夫は車内で長男に「よんちゃんは亡くなってしまったから、明日の10時にはお空に帰らないといけないんだよ。だから、新しいおうちを買いに行こうね。」と伝えたそうです。長男は車内でずっと「イヤだ、よんちゃんが飛んでいかないようにずっと捕まえて
妊娠34週の妊婦健診は、夜間受診の翌日でした。なんだか気まずさも感じつつ病院へ。受付を済ませ、待合室で診察を待っていると、助産師さんがやってきて、私が座っていた一人掛け用椅子の隣の席に座りました。助産師さんの手には、入院前のチェック事項が沢山書いてある用紙がありました。助産師さんは簡単な自己紹介の後、私に対して、◯お産セット準備の進捗状況の確認◯ネイルのチェック◯入院中、子ども達は誰が見るのか◯食事、間食の状況◯アレルギーや副作用の経験有無◯現在の体調◯おっぱいマッサージの
直属の上司に相談した翌日。早速、所属のナンバー2(幹部面接にいらっしゃった)と直属の上司、私の3人で、今後のことについて話し合うこととなりました。私は現状として、今はまだ妊娠検査薬で陽性確認のみの段階であること。今、病院受診をしても週数が早くて赤ちゃんの確認が取れない可能性があるので、受診は一週間後を予定していること。私は妊娠をすると、毎回、悪阻で体調を崩すので、ご迷惑をおかけすることが予想されること。予定していた出張についても、迷惑をかけないためにも、早めにキャンセルしたいこと。
オペ室に向かいながら、私は看護師さんに卵管切除、同意しなかったから。先生、機嫌悪くなったりしてないといいんですけど…と、胸の内を漏らすと、看護師さんはそこは心配しなくていいと思いますよ。自分で決めたことですし、大丈夫ですよ。と、言ってくれました。オペ室の入口に到着しました。夫は家族待合室で待機です。夫に「行ってくるね。」と伝えてオペ室に入ります。オペ室入口で、昨日、説明に来てくれた麻酔科の先生と看護師さん達が出迎えてくれました。皆さんとってもアットホームな雰囲気で。奥に見
妊娠6ヶ月21週病院で予約を取って、胎児超音波スクリーニング検査をしてもらいました。これは通常のエコー検査とは違い、さらに詳しい検査ができるもので希望する妊婦さん(20〜23週の人)が受けられる検査でした。費用は自費でうちの産院では5400円でした。臓器を詳細に観察することで、心疾患・脊椎の異常・口唇口蓋裂など、目に見える形態異常があるかを確認することができるそうです。お腹の我が子のこともっと詳しく知れる機会があるならばという気持ちであまり難しく考えずに予約を取りました。名前を呼
火葬時の職員が、私達の控室にやって来て火葬が終わったことを告げました。火葬を始めてから1時間が経過したころでした。小さいため、通常より早く終わったようです。そのころには私も、少しだけ気持ちが落ち着きつつありました。子どもと手を繋いで、よんちゃんの元に向かいます。案内されたお部屋には、まだ熱をもった台がありました。そしてそこには、小さなお骨がありました。どこがなんの骨か、良くわかるほどキレイに残っていました。私達はそれを、ひとつひとつ丁寧に取り上げました。ハッキリと分かる骨が無く
よんちゃんとの予定。ついに最後の火葬のみとなりました。朝のピクニックを終えた私たち6人は、家に帰ってからそれぞれの髪の毛と爪を切りました。爪は、夫がお父さん指、私がお母さん指、長男がお兄さん指、長女、次女がお姉さん指です。地域によって風習があるそうですが(私の住む地域にもその風習はなく、したことはありませんでした。)『亡くなった方が淋しくないように』という意味があると聞いたので、私たち家族はすることにしました。そして代わりに、よんちゃんの爪と髪の毛を切って胎毛箱に入れました。ちなみに
夫同伴で、担当医からの帝王切開説明を受けた私は、夫と解散後、手術前検査を受けるため、ひとり、待合室に残りました。すると、看護師さんが、めち子さん。入院の説明をしたいので、お時間よろしいですか?と、声をかけてきました。看護師さんと2人で、個室に入ります。まずは病棟内の説明をするとの事で、総合病院産婦人科病棟での過ごし方に関するビデオを視聴しました。そして、出産・入院中の補足説明として、◯入院開始日は13時半までに1階でPCR検査を受け、陰性確認後に入院手続きに入ること◯帝王切開時
妊娠9ヶ月も終盤を迎え、お腹の張りを感じることが増えた気します。でも、その時に痛みは伴わないし。なんというか、生理的なものだというのは何となく分かっていて、張っても「あ、張ってるなぁー」と、思う程度の精神状態には落ち着いてきました。張りのないお腹の痛みもたまにあるけど。特に、夕食のころに感じるけど。NST以降、心のゆとりができたのもあって、とりあえず安静にしていると治まってくるのでホッとしています。ここ最近は、妊娠前から感じていた、癒着したと思われる場所の痛みも出たりしています。た
よんちゃんが生まれた翌日、病院から死産届を受け取りました。火葬の日程も決まったので、いろいろと手続きをしなければなりません。この多くの手続きは、天使パパである夫がしてくれました。お住まいの地域で違いはあると思いますが、我が家の例を紹介します。ちょうどこの時、大型連休に入っていました。役場に問い合わせたところ、当直で対応可能とのことでした。夫はひとりで、役場の戸籍課に死産届を提出しました。その時、記念に死産届のコピーをとりました。出生ではなく、死産。悲しいけど、でも、よんちゃんが
常位胎盤早期剥離での死産を経験して、しばらくはその事で頭がいっぱいでした。私は医療従事者ではないので、詳しいことは分かりませんが、自分なりにいろいろと、この病気について調べたりしました。その中で、よんちゃん妊娠期間の私の症状として気になったのが、妊娠高血圧症候群でした。私は元々、血圧は低めの体質で、上100台/下60台くらいを推移しています。(特に低い時は上が80台)よんちゃん妊娠期間も、高い時でも上が110くらいでした。なので、血圧自体は高くありませんでした。尿検査の
うちの娘ふたりは、自宅近くの認定こども園に通っています。とてもアットホームで、家族の様に接してくれます。今回の死産をご報告した際も、一緒に悲しんで下さいました。よんちゃんにと、お花もいただきました。お花には「天国でお友達をたくさん作ってくださいね。」と、書かれてありました。その優しさに涙が出ました。認定こども園を管理する市役所から、こども園に連絡があり「そろそろ出産予定日だから、生まれたら出生届の写しを提出するように」と、指示をされたそうです。そこでこども園の方が、今回、死産とな
よんちゃんが生まれてから3日目。親子で退院しました。祝日の、とても良いお天気でした。助産師さんや看護師さんに病棟で見送っていただきました。入院中は、先生や助産師さん、看護師さんに本当に助けられました。救急車で運ばれてから、懸命な処置を昼夜問わずして下さいました。悲しみや孤独感でいっぱいだった私に、優しく寄り添って下さいました。よんちゃんのこともすごく可愛がって下さいました。本当に本当に、ありがとうございました。親子3人で会計手続きを済まし、人も少なかったので正面玄関から出ました