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ようやく、これからは家族でゆっくりと過ごせると思った矢先、夫が、うつ病になりました。この話、ブログに書こうかどうしようか迷ったけど。妊娠、出産を巡るあれこれは、女性だけでなく、パートナーや子どもにも何かしらの影響を与えるのだろうとも思い。あまり詳しく書くと趣旨がずれそうなので、少し、書くことにします。夫がうつ病となった主たる原因は、仕事です。正直、私は妊娠前から辞めて欲しかった。ずっと「早く辞めないと、心か身体が壊れちゃうよ。」と、言っていた。でも、夫は優しくて、真面目だったから。
夫とふたりきりで出かけたのは久々でした。実は、出産予定前のゴールデンウィーク中、1日だけ実家に子ども3人を預けて出かける予定でした。車内で「ふたりきりは久々だね。デート行かずじまいだったね。」とか「夜中は渋滞もないし病院もすぐ着くね。」とか、他愛もない話をしていました。ナビ画面に流れるテレビ番組の内容に突っ込んだりしながら、楽しく向かいました。お腹の痛みは、相変わらず、まぁ痛いなぁ、くらいでした。当初予定していた誕生日より早まったけど、もうすぐ会えるんだなぁ、このまま帝王切開、腹をくく
今回の妊娠、出産を経て分かった私の子宮の状態。担当医の先生が開腹して確認した結果。これ以上の妊娠は危険だとの指摘を受けた。子宮の上側は薄く、下側は硬く。きっと、下側は何度も切っているから、治癒する度に硬くなっていったのだと思う。子宮は付近の様々な臓器と癒着もしていた。膀胱と癒着し、筋膜とも癒着していて、執刀した担当医は癒着部分の区別が難しく、筋膜を誤って損傷したと話していた。癒着に関しては、個人差があることも知っている。しかしながら私は、元々の体質としては癒着もし難い方だと思って
手術室を出ると、産婦人科の看護師さんが待ち構えていたしました。この看護師さんは、総合病院で一番親しくしている方でした。看護師さんが、良かったですね。本当に頑張りましたね。と、声をかけてくださいました。私もホッとして返事をしました。すると、麻酔科の看護師さんが、向こうに旦那さんもいらっしゃいますよ。と言いました。夫がいるらしい方向を見ました。夫に向かって、担当医の先生がスタスタと歩いていくのが見えました。先生が夫に話しかけました。私のベッドを運んでいた看護師さん達も、その
私は、頭の中で何度も思いました。まだ生まれてなかったし、夫と、上の子3人の生活に変わりはない。ただ、元の生活に戻っただけなのだ。何度も何度も、そう考えました。そう考えないと、心がおかしくなってしまいそうでした。真正面から、受け入れられなかったのだと思います。よんちゃんの命が絶えたと分かってから、少しだけ、医療スタッフの動きも緩やかになったように感じました。たぶん、もう緊急に取り出す必要がなくなったからなのだろうと悟りました。夫は、かかりつけ医から車で駆けつけました。夫は、ポロポ
夫とは10年ほど前に出会いました。結婚してからずっと、子どもは4人欲しいねと話していました。それから男の子、女の子、女の子…と、トントン生まれ、最後はまた男の子を妊娠しました。第1子の長男は、とても大喜びでした。一緒に妊娠週数を数えたり、お腹に話しかけたりしていました。生まれたら何をしたいとか話していました。ちょうど今年度は長男の小学校進学の年でもありました。育休で家にいれることもありがたかったです。家族や親戚一同、大喜びの妊娠でした。子ども達も毎日、お腹の赤ちゃんに声をかけ
こんにちは、助産師のちえみです。助産師として最後の砦のような病院勤務を経験、自身の流産・天使ママの女性たちとの出逢いから現在はフリーで女性の笑顔のために活動中です。(詳細はこちらから)個別相談受付中です。『【6月ご予約受付中】オンライン個別相談〜いのちの癒しと気づきをご提供します』いのちの癒しと気づきに繋がるオンライン個別相談(6月)のお知らせ※5月のご予約は締め切りましたあの時の妊娠のこと、お産のこと、その後のこと、これからのこと・…ameblo.jp命
昼過ぎ、部屋の移動がありました。産婦人科病棟の一番奥、個室の、静かな部屋でした。いろいろな配慮があっての事だと思います。夫も、昼過ぎに来てくれました。夫とよんちゃんと、3人で過ごします。助産師さんの提案で、手形足形を取ったり、沐浴や授乳をすることになりました。手形足形は、病院にキットがあったようで、それを使わせていただきました。夫が、ビデオを持ってきたので、その様子を撮影しました。手が真っ赤っ赤だねー。なんて、話しながら撮影しました。手と足が真っ赤になったよんちゃん。今度は
出産から2週間が経過しました。今回の妊娠、出産に関して励まして下さった皆さん。本当にありがとうございました。お陰様で、お腹にいた赤ちゃんは今日も元気に過ごしています。しばらく、テレビやSNS等のメディアから離れた生活をしていました。その間に新しい年も明けました。そして、世の中では悲しい災害や事故が起きました。ブログを読んでくださっている方々の中には、実際、被害に遭われた方や大事な人が巻き込まれてしまった方もいらっしゃるかもしれません。身も心も、生活も。一刻も早く平穏な日々が戻っ
実は、よんちゃんのお父さんは医療従事者です。周産期医療センターも入っている大きな病院に勤めています。夫は、同僚である医療従事者の方に、よんちゃんが常位胎盤早期剥離で亡くなったことを伝えていました。その中には、産婦人科やNICUで働く看護師さん達が何人もいたそうです。そして、その方達はだいたい「えー!早剥!!早剥はねぇ…」という感じで、言葉を失う。夫の勤めている病院では、年に4、5件くらい、常位胎盤早期剥離があるそうです。この症状を訴える妊婦の受診があると、医療スタッフも軽くパニッ
火葬場には予約時間の30分前に着く必要がありました。火葬場に着くと、私達の親族が待っていました。静かな火葬場に、見慣れた顔が並びます。皆、喪服を着て、悲しそうな顔をしています。よんちゃん。あなたのお父さんお母さん、お兄ちゃんにお姉ちゃん。ひいおばあちゃんにおじいちゃんおばあちゃん、おじさんもおばさんも、みんな生きてるんだよ?なんで、最初に逝ってしまったのですか?また涙が溢れてきました。たまらなく、つらくて苦しかった。よんちゃんをみんなに抱っこしてもらい、手続きに入ります。中
30w4d昨日は、携帯での連絡のやり取りや、やらなければならないことが多くて、数時間それに費やし、目が疲れて頭痛もあり、ブログの更新を忘れてしまった。昨日はそんなこんなで、お腹も結構張り、1時間で5.6回の張りが続いたけど、夜にはおさまったので、途切れて途切れに合計4.5時間くらい眠れた。今日の朝のモニターでは、30分の間に4回くらい張り、少し張り気味だから落ち着いたら午後にシャワーを浴びてもいいかな!と助産師さんに言われたけれど、私は午後になるとお腹が更に張り、トイレに行く
よんちゃんを常位胎盤早期剥離で亡くしてから、ずっとずっと考えていた問題。いったい、あとどれくらい早くいけばあの子は助かったのか。ネットや本、同じように辛い経験をされた方の体験記等をたくさん読みました。私はお医者さんでも医療従事者でもなんでもありません。ただの一経験者です。だからこれが本当なのかも分からないし、程度によって個人差があると思います。でも、私が感じた感覚として…『腹痛を訴えてから分娩までの経過時間』○約1時間後に出生で脳性まひという方を拝見しました。お辛かったと思いま
よんちゃんが亡くなってから、2年以上が経ち、子ども達もそれぞれに成長しました。今でもよんちゃんの事は覚えている。そしてまた、新たな生命を授かり、今回は、無事に赤ちゃんが生まれた。赤ちゃんが生まれたことで、子ども達にとって、よんちゃんの存在はどうなるのかなぁと、ずっと気になっていたのですが、彼、彼女らの中には、しっかりと「5人兄弟」として存在しているようです。戸籍上には載っていない、よんちゃん。でも、子ども達は、当然、戸籍のことなんて知らない。よんちゃんがこの世に存在した、その事実だけ
私にはプロのカメラマンである友人がいます。夫婦そろって学生時代からずっと交流があり、妊娠中もよく連絡を取っていたので、今回の件も報告していました。すると、向こうからラインがあり、亡くなった人をキレイに写真撮影するポイントを教えてくれました。○蛍光灯を切り、窓際で自然光を利用して撮る。○可能であれば朝日がキレイ。○使い捨てカメラ等のフィルムもいい。荒かったり暗かったりするが、光を通して写すからまた違って感じられる。ということでした。本当は駆けつけたかったとのメッセージも添えられて
人生初となる、子宮頚管問題。切迫早産は、周りの妊婦さんからも聞くことが多かったけど。まさか、ついに、自分もかぁー…やっと出血による切迫流産、前置胎盤疑い、と、壁を乗り越え。少しは家事育児もできると思ったのに。夫や子ども達にも申し訳ない。まだ妊娠22週。ちょうど、流産から早産に切り替わる。でも、ここで生まれたら大変。赤ちゃんにたくさんのリスクを背負わせることになる。今回の妊娠は、安静に過ごしてばかりだから、SNSに目を通す時間がとても多くて。同じ時期に同じ週数を迎える多くの妊
出血から約3週間。妊娠13週の終わりごろ。ようやく、出血は落ち着きました。出血を見なくて済む。それだけで気持ちも穏やかになり。リハビリがてら、少しだけ家事も再開したり、動ける時間が増えました。そして妊娠14週。私は妊婦健診に向かいました。先生に、出血は一週間程前に止まったことを伝えました。先生が腹部エコーを開始します。しばらくして先生が、めち子さん、どこに住んでるっけ?と、尋ねてきたので、また世間話かなぁなんて軽く考えながら住んでいる場所を伝えました。先生は、私とこの様
子ども達4人を乗せた賑やかな車が、我が家に到着しました。よんちゃんのお骨が眠る、我が家に。夫が、赤ちゃんを連れて自宅に入りました。その周りを3人の子ども達がまとわりついていました。私は、少しの荷物を抱えてゆっくりと自宅に入りました。久しぶりの自宅。10日前に、大きなお腹で自宅を出た。あの時、お腹の中にいた赤ちゃんは、今、私たち家族に抱かれている。よんちゃんの時は、妊娠37週でお別れしたから。最後の最後まで、不安で不安でたまらなかった。だから、本当に、良かった。そう思い、久し
退院した私達は、みんなの待つ自宅に到着しました。車をとめると、中から長男と長女が裸足で飛び出してきました。ニコニコとしながら、子供たちが無邪気に言います。「お母さんお帰り!よんちゃんは?!」私は答えました。「ただいま、よんちゃんいるよ。」子供たちが後部座席に駆け寄ります。夫が後部座席を開けてあげました。よんちゃんと子供たちの初対面です。長男は「可愛い…」と言いました。長女も「可愛い!!」と言いました。ふたりでとても愛おしそうに見つめ、よんちゃんの頭を撫でていました。夫が「
かかりつけ医では、毎日、助産師さんや看護師さんが来てくれ、よんちゃんの事もたくさん話しました。戸籍に残っていないよんちゃん。私たち家族の周りにいる沢山の人々も、よんちゃんの話をする人はごく僅かで。だから、こうやって、よんちゃんがこの世に存在したことを当たり前のように話せたことが、私はとても嬉しかったのです。かかりつけ医入院中の、ある日。病室にやって来た看護師さんから、赤ちゃん、亡くなったお兄ちゃんに似てますね。めち子さん、2年前の入院中にたくさん写真撮ってましたよね。あれから、ち
火葬時の職員が、私達の控室にやって来て火葬が終わったことを告げました。火葬を始めてから1時間が経過したころでした。小さいため、通常より早く終わったようです。そのころには私も、少しだけ気持ちが落ち着きつつありました。子どもと手を繋いで、よんちゃんの元に向かいます。案内されたお部屋には、まだ熱をもった台がありました。そしてそこには、小さなお骨がありました。どこがなんの骨か、良くわかるほどキレイに残っていました。私達はそれを、ひとつひとつ丁寧に取り上げました。ハッキリと分かる骨が無く
午前5時過ぎ、救急病院に到着しました。バタバタと担架で担ぎ込まれます。担架で運ばれる最中、看護師から「PCRしますね」と言われました。私は、運ばれながら鼻に綿棒を差し込まれました。私の周りを医師や看護師が走り回ります。口々に「緊急です。急いで!」と言っています。こんなにも緊急なのか。ただただ、呆然と見ていました。緊急です、緊急です…看護師がバタバタと手術の準備を進めます。一緒に来てくれたかかりつけの先生と救急病院の先生が「エコー!」と言いました。看護師からエコーを受け取り、
赤ちゃんが加わった、新しい生活が始まりました。赤ちゃんが生まれても、よんちゃんを失った悲しみは消えなかった。でも、それは、私の中で、やっぱり、よんちゃんはよんちゃんで。生まれてきた赤ちゃんは、赤ちゃんなんだ。ということが、ハッキリしたというか。上の3人の子ども達も含め。私にとってはどの子も大事な存在なんだなぁと、改めて感じました。赤ちゃんが生まれたことで、やっぱり、よんちゃんは帰って来ないのだと、現実を突きつけられ、悲しくなった。でも、それも再認識することが、結果的に、またひと
めち子さん。手術、終わりますよ。私は目を覚ましました。終わった…やっと、この妊娠の全てが終わったんだ。前回妊娠は、妊娠37週で常位胎盤早期剥離を発症。赤ちゃんは亡くなり、私自身も産科DICとなり、大量の輸血をしてなんとか自分の生命だけは助かった。正直、また、土壇場で何かしらの問題が起きるのではないかと、最後の最後まで不安だった。良かった。本当に良かった。しかしながら、目覚めてからは身体がガタガタと震え、眠気も凄くて、必死にまぶたを開けなくてはならない状態でした。総合病院で帝
妊娠8ヶ月腰の痛みも増して、さらに恥骨が痛むような一人目の時にはなかった違和感が出始めました。トコちゃんベルトなしでは過ごせないくらいに。このトコちゃんベルトはこっこちゃんの妊娠時代から使っていたので、もうマジックテープはヨレヨレ歩いているとたまにマジックテープがズルっと取れてしまっていました後にこのトコちゃんベルトは出産時の出血で血まみれになり、捨てることに。この頃の胎動。今思えばですが、目でわかるくらいの胎動が全くありませんでした。お腹の中でぐーーっと伸びているような胎動や
妊娠37週。よんちゃんの命が絶えました。その4日後には、姿かたちも消えてしまいました。今は、ポツリと骨壺の中です。よんちゃんが亡くなってから梅雨に入りました。私の心を映すかのように、毎日、毎日、雨が振り続けます。ザーザーと降り続く雨。それを見て、なんだか癒やされていました。今は、ずっと雨でいい。悲しみにくれる私。私の身体は、37週間かけて赤ちゃんを育てる為に少しずつ変化していました。母乳も出るようになっていました。身体も骨盤が開いたり、下半身にたくさんのお肉がついていまし
よんちゃんが生まれた翌日、病院から死産届を受け取りました。火葬の日程も決まったので、いろいろと手続きをしなければなりません。この多くの手続きは、天使パパである夫がしてくれました。お住まいの地域で違いはあると思いますが、我が家の例を紹介します。ちょうどこの時、大型連休に入っていました。役場に問い合わせたところ、当直で対応可能とのことでした。夫はひとりで、役場の戸籍課に死産届を提出しました。その時、記念に死産届のコピーをとりました。出生ではなく、死産。悲しいけど、でも、よんちゃんが
オペ室に向かいながら、私は看護師さんに卵管切除、同意しなかったから。先生、機嫌悪くなったりしてないといいんですけど…と、胸の内を漏らすと、看護師さんはそこは心配しなくていいと思いますよ。自分で決めたことですし、大丈夫ですよ。と、言ってくれました。オペ室の入口に到着しました。夫は家族待合室で待機です。夫に「行ってくるね。」と伝えてオペ室に入ります。オペ室入口で、昨日、説明に来てくれた麻酔科の先生と看護師さん達が出迎えてくれました。皆さんとってもアットホームな雰囲気で。奥に見
常位胎盤早期剥離既往がある場合の妊娠。再発の可能性は、既往歴がない場合の10倍だと聞きます。あっという間に赤ちゃんの生命を奪う。母体も一気に状態が悪化。亡くなるケースもある。やっぱり、こんなに残酷な経験をした後の妊娠はいろいろと覚悟が必要だった。妊娠してからは毎日、毎日。1分、1秒たりとも気が抜けなくてずっと苦しかった。前回、死産をして直ぐに当時の担当医から「次の妊娠では管理入院」との説明を受けていたから、きっと、それなら大丈夫だと思うことができた。でも、結局、私の場合は管
38週1日目となる4月23日20時46分に2150gの小さめベビーの女の子を出産しました前日の38週0日の健診で、赤ちゃん降りてくる気配ないし、まだ1週間くらいはかかるかなと思って余裕で過ごしていましただけど、翌日に事態は突然動きだし、気持ちが追いつかないまま出産の流れに結果的に、これが一番のベストなタイミングであり、奇跡であり、母子ともに助けられたなと、鍼灸、安産祈願、漢方、整体、そして何よりも6年前に息子が作ってくれていた産道のおかげで、出産することができました記録として4月23