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去る、2023年12月7日5時57分、兄のりが永眠致しました。応援してくださっていた方々へ、お伝えするのがよいのか迷いましたが、更新がないなかで、今も変わらず応援してくださる皆様からの言葉を見て、最期まで闘った兄の事を伝えたいと思い、報告しています。このブログは、兄の友人達も知らず、以前本人がお伝えしていた通り、身内も限られた者しか知りませんでした。同じような病の人に「少しでも、何かの役に立ちたい」と始めたこのブログですが、皆様からコメントをいただくことで、兄自身も支えられて、ここまでがん
木曜から何も食べなくなって金曜には水を飲むのも嫌がって土曜の朝に旅立ちました。一般的には食べなくなってから1週間くらいが目安。準備しようとしていた矢先に先を越されてしまった。苦深夜3時にジタバタが止まらなくて、イーケプラも効かない、グリセリンは飲みたくない、アセプロマジンなんか絶対飲めない。この苦しいのは何とかしてあげないとーと最後の御守りミダゾラムを鼻から噴霧。寝たのは1時間くらいかなぁ。明け方にはまたヒンヒン鼻を鳴らしては寝て、を繰り返し。こちらも寝てしまっ
人との別れより動物との別れの方が悲しいの話をアニマルコミュニケーターの横尾美香さんがリブログしてくれたその中で動物はかわいいから離れたくない姿がないことを受け入れられないそれに尽ます。だって可愛いだもの。って言ってる。確かにそうなんよ。動物は
みるくに沢山のお悔やみのコメントを頂きありがとうございました。お一人ずつコメントを返さず申し訳ありません。みるく、本日11時に大好きなゴハンとオヤツを持ってお空へ出発しました。お空で旦那さんの快くんが待ってるだろうから、仲良く一緒に食べるんだよ。インスタでyahooブログ時代の友達から、みるくは生き抜いた!ってコメントを頂いて。うん、そうだよなってすごく腹落ちしたました。私も嫁さんもダメな飼い主なりにできる事はしたと思う。だから、悔いは無いよねって。みるく、いってらっしゃい👋
動物は生きることに執着してなくて、動物の生きることに執着してるのはぼくら飼主なんだよねー。人間は生きることに執着して何とかして死なないように治療する。動物は終末期になっても生きることを諦めることはない。けど執着することもない。何とかしてでも生きたいとか死なないように治療してほしいと言うことはなく最期の最後までただ一生懸命生きるだ
「誰も彼と人生をともにしていなかった」。急逝の『ハンニバル・ライジング』俳優の元パートナー、SNSで追悼のメッセージ2022年1月に亡くなった仏俳優のギャスパー・ウリエルの元パートナー、ガエル・ピエトリが、5月10日にSNSでギャスパーにオマージュを送った。メッセージでは、ギャスパーの最新作『PlusqueJamais』についてだけでなく、彼の私生活についても触れている。蒼天の俳優、ギャスパー・ウリエルを偲んでギャスパー・ウリエルが亡くなって1カ月後、ガエル・ピエトリは、
令和5年度鳴尾東ビクターズ卒団式🎊先日3月23日に令和5年度の卒団式が行われました今年度の卒団生は12人最後まで生意気な奴らでしたが、本当に素晴らしい選手達でした前年度の6年生が2人だった事もあり、今年の6年生は2年間共に過ごしてきただけに、感慨深いものがありましたね最後まで母達は大忙しまぁ、これで最後と思えばね・・いっぱいの卒団記念品優勝旗もズラリと並び、君達の成し遂げてきた事がいかに凄いか改めて実感しましたねそして、いよいよ卒団式がスタート各卒団生
この記事から少しの間、遡っての時差投稿になります。実は今ドイツに滞在していて、今後しばらくはドイツ編の投稿となりますが、その前に私の渡独直前の出来事などいくつか。私が日本を発つ4日前は両親がトルコ旅行へ出発する日でした。この日私は朝から美容院で3時間半の施術を受け終了後お腹ペコペコで横浜駅へ。まずは杵屋さんでおうどん➕丼もののセットを食べました。これはもう、切に、切に食べておきたかった今回のドイツ滞在は長いので。じゃーん梅わかのぶっかけうどんと小さなかつ丼🙌絶対恋しくなる味で
私事で恐縮ですが、今月12日、我が家のなっちゃんの年上のボーイフレンド、ゴールデンレトリバーのライス(14歳)虹の橋へ・・・老衰で、かかりつけの先生に看取られて天国への階段を登って行ったと聞かされました🙏🙏お米屋さんのワンちゃんなので、名前がライス🍚です🙏🙏先月末に、フィラリア検査を終えた、なっちゃんと、ライスが老いらくのお見合いを果たしたばかり・・・💦お互い、老いらくの犬の恋は穏やかで、長年、ライスのファンの私は、、知人宅へ行くと、必ず、ライスを撫で撫でさせて貰って来ま
<2023.5.13再掲+ILで公式音源挿入><2021.5.12記事>8年前の一昨日5月10日、札幌の羊ヶ丘展望台に行っていた。一度クラーク博士の立像を見たいと思っていて、札幌市南部で仕事があった際に帰りに立ち寄った。(2013年5月10日筆者撮影)クラーク博士の胸像は北海道大学キャンパス内にもある。北海道大学にはポプラ並木もあって、これを見たくて3回ほどキャンパスに足を運んだことがあった。下の写真は2013年5月11日に行った際に撮影。ポプラ並木と言えば
旅立ちの為の洋服を選びました。お気に入りのシャツ、ネクタイ、ベストに上着。パンツにソックスとシューズ。燃えにくいものはNGという事なので、シューズは革で無いものを選びました。病院には洋服を用意していなかったので、パジャマのままです。その上から洋服を掛けてあげるのだと思っていました。でも、納棺師の方が着替えさせてくれるそうです。良かった、パジャマは着替えたいよね。まずは見た目が大事な人だもんね。お返事が遅れてしまってごめんなさい。しっかり読ませて頂いています。
こんにちは先日みんなが猫じゃらしで遊ぶ記事を何回かに分けて紹介しましたその中の一人ベルも元気にあの時楽しそうに遊んでいたのですが2月17日午前2時10分永眠しました16日の朝私が仕事へ行く時にはいつも通りのベルでした前の晩も私の枕元にへそ天になってごろごろ甘えていたベルいつも通りご飯を食べ排泄もし遊んでいたベル・・・。余りにも突然の事過ぎて気持ちが追い付いていません。昨年11月にカイを見送り気持ちの整理が付かず
アニマルコミュニケーターさんの横尾美香さんのブログを読んで動物が旅立った時「罪悪感」や「後悔」があるからペットロスになる。「ごめんなさい」と言ううしろめたさ。動物に「ありがとう」と言う感謝の気持ちがあれば悲しい、寂しい、つらいなどはあってもペットロスにならない。と思った
本日もゆうらり日記によおおこし!「ご報告」ってあんまり好きじゃないのでいつものようにおかんスタイルで参りますね。『生きる・59「また、朝方に鳴った病院からの電話②」』一月末の危機的状態からなんとか盛り返して食べられるまでになっていた姑っちだけどやっぱりそんなに甘いもんやなくてこの三日ほどほぼ寝ている状態が続い…ameblo.jp『生きる・60「また、朝方に鳴った病院からの電話③」』姑っちへの温かい応援本当にありがとうござい
昨日千春のチケットが届きました。杖で歩けていれば自席でみられますがそうしたら二、三階になる可能性大、ですから車椅子席でチケットを取ります。たまには最前列とは言いませんが横の方でいいので前で観たいですね。最初千春のコンサートに行き始めた頃は前の席が多かったです。今回はホテルウーマン時代の同僚と行きます。八年ぶりに会います。グッズはネットで買います。好きな歌も歌ってくれそうですが旅立ちはまだ聴いていません。歌ってくれないかな、、、
本日、午後5時52分なーちゃんこと「渚(なぎさ)」は苦しみから解き放たれお空へと旅立ちました。闘病生活9ヶ月。5歳9ヶ月という短い生涯でした。治療法もなく診断と共に余命宣告される恐ろしい病気脳幹神経膠腫(脳幹グリオーマ)に罹患し少しでも救う方法はないか?小児がんへの支援の輪を広げたい一身でやりはじめたブログで皆様から暖かいご支援いただきまして本当にありがとうございました。最後の闘いはできずにお話しすることもできずにお別れすることになり悔しく寂しく今は本
腎不全を患っていたごうちゃんですが昨日の昼過ぎ、静かに旅立ちました。
杏桃太です昨夜雨が降っていました2024年5月7日(火)夜親は旅立ちました苦しみから解放され今は帰りたがっていた自宅に居ます頑張ってくれました親の子どもで良かったと心から思っています皆さま応援コメントありがとうございました
ぼくら飼主と共に暮らす動物の最期は野生動物のような食べられなくなってお水も飲まなくなって脱水して枯れるように旅立つと言うわけにはいかない。ぼくら飼主と共に暮らすことで手厚い医療を受けて意識がはっきりした状態でギリギリまで臓器を動かし体がこれ以上、がんばれないってところまで生きることができる。
船名飛鳥Ⅱ(客船)2024年4月6日撮影郵船クルーズの日本最大客船「飛鳥Ⅱ」です、6年振りに世界一周クルーズに旅立ちました、横浜4月5日出航して神戸港に4月6日正午に入港歓迎と送迎のセレモニーの後、僅か2時間の停泊で14時に出港でした、世界一周100日間の旅立ちです、横浜に帰港は7月13日です、此処、由良の生石公園には神戸からカメラマンが大口径カメラでスタンバイです、神戸港で見送った人も駆け付けました「飛鳥Ⅱ」のレーダーマストには国際信号旗「UW1=有り難う」が掲げられま
両親が認知症になりました・・・母は肺癌が見つかりました私の介護の記録用ブログです認知症見守り9年目2021年11月から平日泊り込み介護開始しましたそして22年8月末からは母の看取り・・・在宅介護が始まりました!そして2022年9月中旬に旅立ちましたその後介護後の鬱状態(仕事だけは継続していましたが生きる気力を失っていいた)グリーフケア外来通院その後少しずつ回復しています父は現在小規模多機能施設を利用中*************先日の面会時父に「私だよ〇
去年1年弱同じ病棟に入院してた友達が亡くなった。病名は違うけど同じ足のがんで同じ歳でめっちゃ仲良くしてた。面白くていつもふざけてて超明るい男の子。再発後いきなり転院して塞ぎ込んでた僕に、何回も話しかけてきてくれて笑わせてくれた子。たまに調子に乗りすぎるから慎重派の僕とぶつかって喧嘩したこともあったけどwまだ信じられない。夢であって欲しい。なんで?って気持ちでいっぱいだよ。2日前まで話してたのに。点滴終わったらまた話そって言ったのに。何話そうとしてたのかな。最後までずっと明るかったけ
動物が旅立つ前にせん妄といって人では、睡眠障害、幻覚・妄想見当識障害、情動・気分の障害神経症状がみられるんだけどそれと同じように動物も睡眠障害、気分障害遊泳運動、遠吠え、夜鳴き起きてる間ずっと鳴く神経症状などの症状がみられることがある。せん妄は突然発症して数時間で収まる時もあれば数週間続いちゃう場合もあるし
ブログをご覧のみなさま、こんにちは。本日は3連休の中日ですね。いかがお過ごしでしょうか。さて、比較的新しいお薬のCDK4/6阻害薬であるイブランス・ベージニオですが、細胞回転を標的にした新規分子標的薬であり、これまでの進行再発転移性乳がんに対する治療に加え、術後再発予防治療としても適応範囲が広がったことは、本ブログ内でも他の先生方がすでに記載されていますね。時折、ご質問がございます。『イブランス・ベージニオが効かなくなったら次の治療あるん?(広島弁=次の治療ありますか?)』
今朝、父が亡くなりました心不全による肺水腫で入院し、その後脳梗塞、最後は急性腎不全も患い腎機能が完全に機能しなくなったので透析で処置してもらってましたが、昨夜血圧が低下して危険な状態と連絡を受けて、家族が守る中、旅立ちました次々と発症する病に最後はとても苦しかった事だろうと思いましたが、その表情は意外と穏やかで普通に眠ってるようでしたきっと苦しみから楽になれて安らかになれたんですね前回ブログに病院の不平と不信感を書きましたが、対応の悪い外科部長から若いお医者さんに担当医が代わってからは、
お世話になりましたm(__)m本日、10時頃に旅立ちます。でも頼りのない母が心配で天国に行ったらまず神様に家に行く『どこでもドア』をお願いすると思います。自分がいないと母はどうなるんだろう?と心配する娘です。『どこでもドア』があったらいいなぁ天国と家を自由に行き来して第2の桃の犬生が楽しくなると思います。天国には姉も友だちもいっぱいいます。どちらにいても桃は幸せだからです。もう苦しくない世界で闘病疲れを癒したら家にもドンドン帰ってきてね♡家族はいつも桃を待っています。
オルが旅立って一週間が経ちました。すこしだけ気持ちが落ち着いてきました。実はオルが旅立つ前日、不思議なことがありました。もう殆ど自分で動くことができなくなっていたオルがふいに巣から出てきたのですしかも数日前から右目が閉じたままだったのですが、その時は両目ともにぱっちり開いていて驚きました。オルは私を見て、いつも野菜やおやつを催促する時にする顎をくいくいと上げる仕草をしました。私は嬉しくなってすぐに食べやすそうな野菜を用意してあげたのですが、オルは食べませんでした。別のものがほしいのか
日本の風潮として病気になった時に食べなきゃ体が弱る体力がなくなる病気が治らない病気に勝てないから食べなきゃいけないって文化がある。風邪ひいて食欲がなくても親にムリやり食わされることがあるよね。笑人が食べなきゃいけない文化だから犬猫が食欲がなくなった時にムリにでも食べさせる。
こんばんは。明日は祖母の五十日祭です。いわゆる四十九日なのですが。私の家は神道なのです。明日で家の祖母も守護神になるとのこと。第二の旅立ちですね。それと同時に思ったのが同じ日に亡くなった旦那のこと。旦那無宗教だから四十九日もないし、なんなら納骨も数年はしないし。本当自由人。でもそれが旦那が望んでいたことなのよね。だから早々と人間界に行くための修行してるんだなぁそう思うと旦那の魂って今もあっちこっちにいるのかなぁと。これからも自由に動き回ってることでしょう。家のにゃんこの
天門近くの小高い丘の上。高麗と元との国境を見守り続けた大木に、背凭れ、空を見上げる武将が一人。その瞳は、漆黒の黒少し、癖のある黒髪が風になびく。端正な面持ちに、少しの髭が、国境を護る事の厳しさを感じさせた。武将の名は、雷攻を操り、高麗の鬼神・護り神とも噂される高麗軍大護軍、チェ・ヨン。チェ・ヨンは、大木の下、誰かを待ち続けていた。4年前・・・高麗に舞い降りた医仙を徳成府院君キ・チョルの手から救いだし医仙が、心おきなく高麗で、チェ・ヨンと共に過ごしていくため