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こん〇〇はリリです。ご訪問ありがとうございます。母に対する愚痴と反省です。嫌な方はスルーしてください。予想外に目まぐるしい日々が続いてました。遺品整理清掃母の支払いや手続きもろもろまだまだやらなくてはいけないことは山積みですが…G.Wで少し落ち着きそうです。特に夫がG.Wの彼のおやすみの間にしてしまおうと詰め込み私の予定を聞かずバンバン入れるので仕事を休みにしたりで…はぁ気がつくとG.Wは明日までですね。私は今実家にいくのが大嫌いです。実家にいくと嬉しかったこ
去年1年弱同じ病棟に入院してた友達が亡くなった。病名は違うけど同じ足のがんで同じ歳でめっちゃ仲良くしてた。面白くていつもふざけてて超明るい男の子。再発後いきなり転院して塞ぎ込んでた僕に、何回も話しかけてきてくれて笑わせてくれた子。たまに調子に乗りすぎるから慎重派の僕とぶつかって喧嘩したこともあったけどwまだ信じられない。夢であって欲しい。なんで?って気持ちでいっぱいだよ。2日前まで話してたのに。点滴終わったらまた話そって言ったのに。何話そうとしてたのかな。最後までずっと明るかったけ
タケの大好きなオヤツをたくさん入れてあげました。ビーさまが別れを惜しんでいるのかと思いきや中のオヤツを狙っているようでした。みなさんからいただいたお花をタケのまわりに入れてあげて花でいっぱいの竹千代。ドリームさんも一緒に送ってくれました。またまたお花をいただきました。良い香りに包まれてたくさんのみなさんの想いに包まれて竹千代は旅立ちました。今度生まれてきたら絶対絶対良い飼い主さんのもとに行くんだよってタケに言ってたら横でドリームさんが今度は絶対人間に生まれくるんだよ。美味
鹿児島に旅立つホッキョクグマ「ライト」は、今日は非公開で、明日、鹿児島に向け出発します。※ライトが鹿児島に行くのは、2月ではなく3月8日でした。したがって3月6日が公開の最終日となります。お詫び申し上げます。ライトは、今でも優しい顔をしていますが、幼い頃は、本当に可愛らしかったですね。よく通いました。何十回もblogupしたライトの写真を全部見は切っていませんが、生まれた頃から、苦手だった泳ぎが出来る頃までの写真をblogupした
ご訪問頂きましてありがとうございますm(__)m昨日の記事に沢山のコメントやメッセージ等を下さりありがとうございましたm(__)m承認制の為お手数をお掛けしたブロ友さんごめんなさいねm(__)m皆さんのお気持ちがとってもとっても嬉しく涙無しでは読めなかったですアドバイスやご経験談も色々とお聞かせ下さり感謝致しますm(__)m耳に塗る食欲増進剤は今は更新なさってないブロ友さんにれんの時?だから3年位前に教えて頂いたのですが今の病院も前の病院も
2022年9月30日、40数年来の悲願、念願だった松山千春のふるさと「足寄町」を初訪問した。同日9:00、帯広駅前からレンタカーで出発、道東自動車道を利用してちょうど1時間、10:00に足寄町に入った。車のナビには到着予想時刻が表示され、現在時刻がそれに近づくにつれてわくわくして来た。これまで何度も計画してはその度に何かが入り、頓挫してきた足寄訪問。ファンになって40数年、やっとここで実現できる。長年の千春ファンのみなさんにとっては以前から知っていることばかりの一方で、私こそが
去る、2023年12月7日5時57分、兄のりが永眠致しました。応援してくださっていた方々へ、お伝えするのがよいのか迷いましたが、更新がないなかで、今も変わらず応援してくださる皆様からの言葉を見て、最期まで闘った兄の事を伝えたいと思い、報告しています。このブログは、兄の友人達も知らず、以前本人がお伝えしていた通り、身内も限られた者しか知りませんでした。同じような病の人に「少しでも、何かの役に立ちたい」と始めたこのブログですが、皆様からコメントをいただくことで、兄自身も支えられて、ここまでがん
動物の心臓や呼吸が止まると肉体的には死と言う状態になるけど魂はしばらくそこにいる。だんだん肉体から魂が抜けていき旅立って逝く。医学的には魂が抜けていくとだんだん死後硬直が起こって体が冷たくなり肉体だけになる。肉体から魂が抜けて行く時にぼくら飼主は動物の魂を受け取り生きる糧へとつなげていく。
旅立ちの為の洋服を選びました。お気に入りのシャツ、ネクタイ、ベストに上着。パンツにソックスとシューズ。燃えにくいものはNGという事なので、シューズは革で無いものを選びました。病院には洋服を用意していなかったので、パジャマのままです。その上から洋服を掛けてあげるのだと思っていました。でも、納棺師の方が着替えさせてくれるそうです。良かった、パジャマは着替えたいよね。まずは見た目が大事な人だもんね。お返事が遅れてしまってごめんなさい。しっかり読ませて頂いています。
<2023.5.13再掲+ILで公式音源挿入><2021.5.12記事>8年前の一昨日5月10日、札幌の羊ヶ丘展望台に行っていた。一度クラーク博士の立像を見たいと思っていて、札幌市南部で仕事があった際に帰りに立ち寄った。(2013年5月10日筆者撮影)クラーク博士の胸像は北海道大学キャンパス内にもある。北海道大学にはポプラ並木もあって、これを見たくて3回ほどキャンパスに足を運んだことがあった。下の写真は2013年5月11日に行った際に撮影。ポプラ並木と言えば
船名飛鳥Ⅱ(客船)2024年4月6日撮影郵船クルーズの日本最大客船「飛鳥Ⅱ」です、6年振りに世界一周クルーズに旅立ちました、横浜4月5日出航して神戸港に4月6日正午に入港歓迎と送迎のセレモニーの後、僅か2時間の停泊で14時に出港でした、世界一周100日間の旅立ちです、横浜に帰港は7月13日です、此処、由良の生石公園には神戸からカメラマンが大口径カメラでスタンバイです、神戸港で見送った人も駆け付けました「飛鳥Ⅱ」のレーダーマストには国際信号旗「UW1=有り難う」が掲げられま
みなさま、あんにょん昨夜0時42分に義父が旅立ちました…夜中だったので、付き添いは旦那と義姉夫婦だけでした…それから、義父を家に連れて帰ってきて、義姉夫婦と長女と一緒に、葬儀やさんといろんな打ち合わせをしていたら、4時になりました…最後はあまり苦しまずに逝ったようで、良かったです…葬儀までの流れも、事前にほとんど話してもらっていたので、割とスムーズに運びました。今日はこれから12時にお寺さんが枕経に来られ、納棺師さんが来られる予定です。家族葬にするので人数もたぶん20人くらいで収ま
ガン闘病のご主人を支え‥自宅で旅立ちを見送った家族の方のblog。読んでて‥‥怖い。明日は我が身‥‥。からだが固まってしまった。涙が止まらない。旅立ちへの決断‥家族の愛、想い、苦悩‥‥。明日は我が身‥‥ただただ怖くなった。。私には出来るんだろうか‥その時を冷静に受け止められるんだろうか‥今はただ‥‥blog家族様へお疲れ様でした。と。ご主人様、お疲れ様でした。と。ご冥福を心からお祈り申し上げます。
本日、午後5時52分なーちゃんこと「渚(なぎさ)」は苦しみから解き放たれお空へと旅立ちました。闘病生活9ヶ月。5歳9ヶ月という短い生涯でした。治療法もなく診断と共に余命宣告される恐ろしい病気脳幹神経膠腫(脳幹グリオーマ)に罹患し少しでも救う方法はないか?小児がんへの支援の輪を広げたい一身でやりはじめたブログで皆様から暖かいご支援いただきまして本当にありがとうございました。最後の闘いはできずにお話しすることもできずにお別れすることになり悔しく寂しく今は本
久しぶりの投稿は今年の4月にオープンされた👏若菜摘みLogin•InstagramWelcomebacktoInstagram.Signintocheckoutwhatyourfriends,family&interestshavebeencapturing&sharingaroundtheworld.www.instagram.com場所は水戸市末広町のビックエコーの程近く初訪問は5月🎏※実は既に3度訪れています♪カウンター7席のみ
2021/8/21の記事→【③認知症の舅の最期の日【葬儀会社で義姉と会う】】の続きです。認知症の舅が亡くなった日は大雨でした。葬儀屋から家に帰宅したのは夜で、車から降りて家の中に入るまでのちょっとした距離なのにずぶ濡れになるほどでした。独立した子供達が夏休みで帰省していたので、出迎えてくれてタオルを渡してくれました。夕飯を用意してくれて、主人と私の事を待ってました。有難いなぁと思ったし、子供達が家に帰って来ている時を選んで舅が旅立ったのかなぁ~って思ったほどでした。子供達と
はじめまして。私は、このブログを書いていたCocoの娘です。1月10日に、母は旅立ちました。私、このブログの存在は知っていたのですが母から「まだ読まんといて」とずっと言われていたのでバタバタと時間が過ぎていく中、少しずつ読ませてもらいました。全て読み終えたら投稿しようと思っていたらあっという間に時間が過ぎてしまい、1ヶ月以上も報告が遅れてしまいました。読者の方には心配をおかけしたと思います。申し訳ないです。母は、少しずつ弱っていってはいたものの亡くなる直前まで仕事に
ぼくら飼主は動物が腕の中で旅立ってほしいと願ったり旅立つ時は看取りたいと思う。でも動物ってぼくら飼主が寝てる間に旅立っちゃうことが結構あって動物あるあるなのさ。「なんで寝ちゃったんだろう」って自分を責めたり、悔やんだり後悔したりするよねー。ぼくら飼主は動物の旅立ちが近くなると仕事も行かず、風呂も入らず寝ないで看
松山千春-「慕う」足寄町にある松山千春自伝的映画「足寄より」ロケセット、年間二千人以上が訪れる(コロナ前)ファン巡礼スポット『映画『旅立ち~足寄より~』(2009年)松山千春自伝「足寄より」を忠実に再現した感動作』2022.9.27解説挿入、公式ライブ映像IL挿入2021.6.16一部修正、予告映像挿入2020.12.19記事____映画『旅立ち~足寄より~』…ameblo.jp以下の北海道新聞記事で紹介されているスポットについて、2022年10月1日に足寄を訪問し
「母の日」ウィークはじまりました。ご注文頂いたお客様の大切なお母様方へ♡気合を入れて!お花をお届けいたしますね(⁎ᵕᴗᵕ⁎)❤︎・*:.。。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・*:.。。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・*:.。。.:*・゚昨日の朝、、、唐十郎さんのご逝去を知り驚きました。初めて紅テントのお芝居を観たのは高校3年生の
ごきげんよう❗(´;ω;`)えー今夜は早速3月末のお話しよりハッチことスズキのGSR250Sですが私達のもとから旅立ちました。(ToT)/一番好きだった場所CB「何処にいくの」トラ「楽しみだな」めい「ワクワクな春です」残念ですが春なのにお別れです。CB「えっ!いつから?」トラ「甲斐性なし」めい「酷いわ!」だから降りて最後の別れの挨拶をしてあげてよ。すまない。(-_-;)色々あったけどおまえとのメモリーは誰にも消せないからね。(〃ω〃)40407km約10年
10月に肺がんが発覚し、一度入院して治療するも改善される様子の無い親父。結局一度退院して自宅療養するも、体調悪化で直ぐに病院に逆戻り。主治医からは、間質性肺炎の状況も良くないのでこれ以上の治療は困難です!と告げられこれからの事を兄弟で話し合う事に。とは言え私は自分の家庭の事もあるので、何も意見は言わず「全て任せてます!」としか言えませんでした。21年の年末には、また一時退院したものの正月明けには、緩和施設に入れてもらう予定でしたが、病状が再度悪化したため入院。この辺りから親父の言動
母が旅立ちました。大往生と言える高齢の老衰でしたので自然な形とはいえ1週間ほどは大変な時間がありました。夫は母にも私達家族にも興味を失っているので、大変な時間があったことさえ知りません。建屋は隣というマスオさんのような生活で、今までたくさん助けてもらった母なのに。自宅葬の準備を整えてから、夫にラインで報告しました。お焼香には来たものの、し終えるなり、コロナにかかった自分の話をしだす夫。母の最後の様子を聞くこともなく、あまりの自己中に私の姉もびっくりしていました。不倫す
今日は母が亡くなって13回忌にあたる日です。弟と父がその後亡くなってますので、法事はとりおこないませんが。母は私が35歳の時に62歳で亡くなりました。病院に連れていった時にはもうガンは手遅れで、あと4日持つがどうかと言われた命が、現代の医学の力で1年生きました。おかげで弟の二十歳の成人式を見送り、妹の結婚式に出席することが出来、旅立ちました。私はたった1年母に付いて看病をする事しか母にはしてあげることが他に出来なかったけれど、その分残された父を幸せに看取れた事は私の誇りです。母に顔向
犬猫が高齢になると何かしらの病気を患って治療をしてることが多いね。心臓病、慢性膵炎慢性腎臓病、がんなどなど何か慢性疾患を抱えて心臓の薬とか、腎臓の薬抗がん剤などを飲んでいたり慢性腎臓病だと在宅で点滴をしたりしてる。そんな時の終末期の治療のやめ時がぼくら飼主にはわからない。獣医か
みなさんおはようございます昨日、旦那の母が永眠しました💧余命宣告されていたので近いうちに旅立つことはわかっていましたがその日は突然きてしまいました大切な家族が亡くなる悲しみは私も経験しているので旦那の気持ちはわかるつもりですが、旦那が心配ですこんなにも優しく旦那を育ててくれた義母に感謝しています2024,05,0123:57永眠【11年連続総合1位獲得】母の日プレゼント花ギフト鉢植えアジサイアレンジアレンジメントスタンディングブーケ花束カーネーシ
僕が先程、旅立ちました。みなさん、たくさんの温かい声援、祈って下さりありがとうございました。また落ちついたら書かせて頂きます。
ホームステイよりお迎えしていただいオハナちゃんこと、元アナちゃんが、腎不全闘病の末に天国に旅立ちました。保護時に思った「飼うってどういうことだろう」は私の中でも深く残っています。『1ヶ月近くは過酷な環境で?新しく保護したうさぎ』新しく保護したうさぎの女の子です。テイラーの時と似た境遇なのですが…飼い主さんが亡くなり放置されておりました。飼い主さんが亡くなる以前からあまりお世話さ…ameblo.jp人懐こく、小さなお子様がいる里親さんのおうちでしたがすぐに溶け込み、
まだまだ毎日泣いてしまいますが、、、11月29日に愛猫のゆずが旅立ちました🌈推定17歳、共に16年暮らしました亡くなる1週間前のゆず9月に膀胱炎かもと受診した時に獣医から腎臓数値が末期のような話があり余命は聞かずとも、あまり時間が残されていないことを感じましたその時はまだ食欲もあり獣医からは驚かれましたが徐々に、でも確実に、体重は落ち、食欲は徐々に落ちて行きました毎日自宅で点滴をしてましたがだんだん、背中がパコパコした感じで身体が点滴を受付けていないように感じました
こんにちは、さくらです🌸初めて私が癌になって、アメブロでコメントいただけて、そこからいつも励まし合っていたspadeさんが旅立たれたと他のブロ友さんから聞き、あまりのショックに一晩ずっと考えていました。。急激に体調が悪化していたけどspadeさんはずっと前向きで力強い方でした。だから、絶対乗り越えてお家に帰れると思っていました。。。私が同じガンサバイバーの方の旅立ちをブログに書くのは初めてになります。spadeさんの最後のブログにコメントを書きそびれてしまい、その事をとても後悔していま