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今日は衣都を妊娠していたときのことを書いてみようと思います私は2023年2月に稽留流産をしていてそのときも泣きに泣いて手術してそれから生理を3回見送り、妊活再開再開してすぐに来てくれたのが、衣都でした初期からつわりがひどく看護師という仕事で夜勤もあり心拍が2回確認できて母子手帳もらうまでは本当に毎日しんどかったなぁ……入院こそしなかったけど母子手帳をもらってからは仕事を1ヶ月ほどお休みしましたつわりがしんどすぎて号泣したことも多々でも今振り返ると、それも衣都がいた証つ
思いの外沢山の方にブログを読んでいただいて、本当に嬉しく、同時に驚いています。フォローしてくださった方、いいねしてくださった方、たまたま記事を読んでくださった方もありがとうございます!第2子である娘の新生児死(2020年10月)について書いています。見たくない方は閉じて下さいね。娘は2020年10月に在胎週数37週3日緊急帝王切開をして体重2850g身長46.0cmで生まれました。しかし出生時重症新生児仮死(5分後もアプガースコア1点だったそう)で蘇生しても心拍・呼吸ともに
お名前の話性別がほぼ女の子と確定した16週から色んな名前を考えていましたその中で、【衣都】は◯糸を紡ぐように、人生を丁寧に生きてほしい◯衣のように、人を包み込める優しい子になってほしいそんな思いを込めて名付けましたまた妊娠24週での出産だったため体重768gの超低体重出生児となり様々な困難がこの先待っていると思うけれど糸を紡ぐように、一つ一つ乗り越えてほしいと願いを込めて、いくつかの候補の中から迷いなく決めました衣都は生後12日でお空へ旅立ってしまったけれど名前のように
昨日は、長男の命日でした。世間では7回忌です。我が家は長男に対しては法事はしていません。その代わり、毎年、親族で集まって、お誕生日会を開いています。今年は今週末の予定です。お誕生日は仕事を休んで、昼間は息子と向き合う時間にして、夜は家族みんなで長男の6歳のお誕生日をお祝いしました。3歳の次男と2歳になったばかりの長女が上手にバースデーソングを歌ってくれて、ケーキのローソクの火もフーして消してくれました。いつまでも大きくならない赤ちゃんの写真の長男と日々成長する
昨日は天使ママ自助グループのお話会グリーフの講座と盛りだくさんでしたなんとか1日を乗り切りそして今日は衣都の5回目の月命日です2日間、耐えられるか不安だったけれど何とか今日を無事に終えようとしています………と言いつつメンタル不安定の本番は夜なので寝る前、大丈夫か?!状態ですが💦今晩は、あらかじめ眠剤を飲んでおこうかな…………そう言う防衛も大事ですよね😌そんな月命日旦那も仕事が休みで久々に一緒に過ごしましたおやつの時間にケーキをお供え🍰このケーキ、ちょっと訳ありで
一昨日の記事で看護師としての知識があるから病状や予後が厳しいと分かってつらかったと書きましたが、それについて少し私は看護師7年目新卒から4年ほど救急で働きそれからコロナ病棟に移動し今は呼吸器病棟で働いていますまだベテランナースとは言えませんが色んな部署を経験し、たくさん学んできましたそのため、衣都が腹腔内出血して手術が出来ないから輸血で様子を見ると言われそれだけでこの先がどれ程厳しいのか分かりました腹腔内を血で満たして、それが固まって出血源を圧迫することで止血を目指す
昨日は、こどもたちを預けて、久しぶりに夫と2人で出かけました。NMB48の渋谷凪咲ちゃんの卒業コンサート「~昨日はごめんなさい!今日こそ皆様へ愛を込めて~」を見に行ってきました。夫は48グループが昔から好きで、学生時代からアイドル好きでした。今もNMBには推しがいますし、一昔前は、SKEもAKBも行ってました。最近は、さすがに遠征すると私にチクチク言われたくないからか自重していますが、まぁまぁ我が家の資金は48グループに投入されています。これは深く考えると泥沼には
今日は衣都が生まれてから、ちょうど4週間そんな節目の日だからか朝から娘のことばかり考えてしまいます娘に会いたい、ただ会いたいです何もする気になれず、朝ごはんすら食べずベッドにこもって泣きまくりです💦でもきっとこうして悲しみにどっぷりと浸かるのも必要なんだなと思います4週間前、生まれてきてくれた娘24週4日で768gと、とても小さかったですそれでも懸命に生きてくれました帝王切開で出産して娘が気管チューブを入れられるまでの間少しだけだけど、泣き声を聞かせてくれました後にも
年度末で本日も残業。ふと調べてみたら、担当してくださった弁護士さんのHPに判決文が載っていたので、転載します。裁判は公のものなので、申請すれば記録は全て閲覧できるそうです。とても長いので、読むのはなかなか大変ですが、判決文は、さすが裁判官‼️(上から目線になってごめんなさい)何が問題だったのかを含め、読むだけで事故の内容がとてもわかりやすく書かれています。裁判では、吸引分娩そのものの過失が認められなかったことはとても残念ではありました。医療裁判は原告に立証責任があ
天使ママの皆さんは、死産でも新生児死でも産後の身体の変化がありますよね私はついに昨日の晩ほぼ完全に母乳が止まりました産後、すぐに母乳が出始めてそれも量がかなりたくさん出る方でした助産師さんたちには「お子さん何人目?え?1人目?すごい!何人か完母で育てたくらい多いね!」とビックリされるくらいでした笑衣都が元気な時も、状態が悪くなってもずっと搾乳機で絞って冷凍していました幸せだったことは、衣都が生きている間に絞った母乳を綿棒に浸して衣都に吸わせてあげられたことです♡
最近、ブログでは重たい内容ばかり書いてましたねわたし自身、グリーフを学び始めて生と死について深く考えることが増えてまたしんどかった時期から少し離れたからこそその事について発信することが増えました本当にしんどい時ってその事について考えないようにしていてでも今やっと、そうして自衛していたところに触れても大丈夫になったからつい考えたことを書いてしまっていましたでも重たい内容が続いていたので読む方はしんどかったですよね…本当にすみませんでした出来るだけ他の人を傷つけない
赤ちゃん生まれて、すぐ死んじゃって、その後。入院1日目。診察して、子宮収縮も順調、出血も少ない、とのことで、予定どおり、その日の退院が決まる。すごーい、早い!!確かに、上の子のときと比べて、悪露はびっくりする程少ないわ。縫ってないから、そんなにおまたも痛くないし。後陣痛も、生理痛みたいなもんで軽い。おおお、早産で小さかったから母体への負担が少なかったのかしらん。そういう点でも、うちの子、すごいわ。いい子だわ。すばらしい。母思い。しかも、ずっと診てくれてた担当の先生が当直の日でさ、先
自分では納得しているつもりでも実はまだまだ答え探しの途中みたい誰かに聞いてもらって否定されるのは怖い評価されるのは嫌だ自分だけの心の領域を誰にも踏み込まれないように大切に大事に守ることそれはとても重要なことでもね自分を信じてみて思い切ってみて聞いてもらったら案外心は解放されます周りの人も案外聞けることを待ってるかも優しいかもでもやっぱり傷つくかもしれないから自分の心の状態を見てあげてゆっくりゆっくり相手と時と場所は選んでねその時の自分の判断が今の答え
どうか夢でありますようにと娘の動画を見て泣きながら寝て起きる。夢だったら、娘との12日間の幸せな時間も娘の頑張りもお腹で育っていた愛おしさもなかったことになるのに…辛い23w後半で産まれた場合、何らかの障害が残る可能性があるとしても生存率80%らしい。「今なら助けられる可能性が高い」その言葉を信じ、出産。娘は20%に入りました。あんなにお腹の中で蹴って殴って‥お転婆娘だったのに私の入院中から、小児科の先生から話が2,3日に一回ペースでありました。産まれた翌日に脳内出血。血圧低
※新生児死している娘のブログです。今日は娘が産まれて一ヶ月です。風疹の抗体がないと言われていたので、今日は、ワクチンを打ちにいきました。娘を妊娠しているときの初期の血液検査で、風疹抗体がないと言われ、気をつけて過ごしていましたが、今回娘の一ヶ月を期に打ちにきました。全て娘が導いてくれたものです。娘出産から一ヶ月しか経っていないのか…まだNICUに行けば娘が頑張っているんじゃないかと期待してしまう自分がいます。ブログで超低出生体重児で頑張る子を見守らせてもらうたびに、娘の分も頑張って
【InternationalBereavedMother'sDay~子どもを亡くした母の日💐】こんばんは、Angieのひらおです🍀明日からまた連休が始まるという方も多いと思います。この連休中にInternationalBereavedMother'sDayという『子どもを亡くした母の日』があるのをご存知でしょうか。日本ではまだあまり知られていませんが毎年、母の日の1週間前(5月の第一日曜日)と制定され、今年(2024年)は5月5日です💐赤ちゃんを亡くした方にとって
新生児死した娘の話です。治療の中止を申し出た翌日朝から主人の携帯がなりました。嫌な予感しかしない病院からでした。血圧か下がりだした。すぐに来てくださいと。すぐに向かいました。娘は初めておむつをはいていました。1番小さいサイズだろうにとても大きかったです「お母さん、抱っこされますか?」初めて抱っこしました。僅か600㌘弱で産まれた娘はむくみで倍以上の重さになっていたので、思ったより重かったです。「きゅーっ」と言っていました知らなかった。今まで保育器越しにしか触れたことがな
2022年4月11日(月)午後0時4分23w4dで592グラム身長29センチの小さくて小さくてとても可愛い女の子を出産しました。2022年4月23日(日)午後10時10分12日間という短くもとても長い生涯を終え、娘は旅立ちました。4月7日の出血に伴い、リトドリンも最大量にマグセントも追加のW点滴の副作用でそれから2、3日ご飯も食べれず水とポカリスエットかアクエリアスのみだった状態で、手も震え、吐き気が止まらず、お腹の張りも治まらない状態が続きました。いわゆる母子ともに危険な状態。母体
だいぶ前の「いつもありがとう作文コンクール」で”てんしのいもうと”というタイトルで最優秀賞をとった当時小学1年生の作文があります。これが我が家とめちゃくちゃダブるんです。共通点ありすぎ。我が家のことかと思うほど。うちの娘が亡くなった時うちの息子は長子で長男というのも同じだし年頃も同じです。亡くしたのは妹というのも同じ。先日、とあるセミナーに20歳になった長男と出かけそのセミナー中にこのコンクールで発表された動画が流されました。「ぼくは一人っこなので、いもうと