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1月29日南千住から気まぐれに歩いていたら三ノ輪の街に着いた。久し振りにこの辺りを駆け足で回ってみることとする。「浄閑寺」吉原の遊女の投げ込み寺で知られる。この山門は江戸時代に建立されたもので、当初は赤く塗られていたそうである。「新吉原総霊塔」この中に無数の遊女たちの骨壺が納められている。通気口からそれを覗くことができるが、写真を撮るのは控えておく。安政の大地震で亡くなった沢山の新吉原の遊女の亡骸が、この寺に投げ込まれる様に葬られた。それから吉原遊郭が
浄閑寺で参拝した後、新吉原の地に向かいました。吉原大門を目指して、土手通りを暫く歩くと...2019.3撮影桜鍋の中江さんと天丼の伊勢屋さんが見えてきます。一説によると...当時は、こちらで精をつけてから新吉原を訪れたそうですよ。外食なんて、贅沢ですね。ま~、そもそも、甲斐性のあるヒトが遊女と戯れるのですよね...あの木は、見返り柳と言われています。早朝、仕事に向かう男が、遊女を名残惜しみ、あの柳の近くで新吉原を振り返ったコトに由るそうです。
【01】吉原遊郭の古写真の街並み【02】吉原遊郭の内部【03】吉原の遊女(明治時代)【04】吉原大門(おおもん)【05】新吉原件の町通り【06】角海老楼(明治40年代の写真)【07】新吉原大門(明治5年~6年頃の吉原大門は、まだ木造)【08】鉄製の大門(明治14年頃の吉原大門)【09】吉原のお座敷の様子(1910年の写真)【10】見世の遊女と客「不夜城、吉原」の中の1枚【11】吉原をゆく人力車