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友達と揖斐郡の池田町か揖斐川町を走ってたら、いちご🍓ののぼり旗を見つけて🚗を停めて見てみると旗のとこに、直売所とハウスが🍓3時45分までの販売だそう私が行った時は、直売所のすぐ裏側に農家さんがいて、お金は手渡しでした👛(お金入れる缶も台の上にあり)いちごの在庫がなくなっても、すぐまた追加してましたよ直売所🍓大きさ別で値段が違うけど、味は一緒だそう甘いといいな🍓
【2】より続く。ホハレ峠より下ること2時間半、ようやく到着した門入。まずはその入口にあるものを楽しみにしていたのだが、おおっ!今日は水没してない!山神隊が訪問された際の写真では、水量が多かったのか完全に越流してしまっていたのだが、今日はちゃんと姿を見せてくれていた。まあ、あれはあれで見たかったけどな。場所コチラ。沈下橋と言える部分はここだけ。こうしてみると、桁部分は載せただけ?なのがわかる。こういうの、珍しいような。
【注意】どの滝に逢いに行くコースも季節、天候、水量、気の緩み等で大事に至る事もあります。行かれる方はお気を付けて自己責任でお願いします。◎2023年10月8日メンバー単独ヤマビル遭遇しなかった。<今日の一枚>・三番滝◆揖斐川町倉ノ谷②二番滝のつづきです。●岐阜県揖斐川町春日川合長谷川倉ノ谷三番滝に逢ってきました。※注意この記事の三番滝の紹介の後に野生動物の死骸の写真を載せています。<ジャンル>沢登り系。急斜面系。バリエーションルー
【注意】どの滝に逢いに行くコースも季節、天候、水量、気の緩み等で大事に至る事もあります。行かれる方はお気を付けて自己責任でお願いします。◎2022年11月27日メンバーえだ1(嫁)と2人ヤマビル遭遇しなかった。<今日の一枚>・橋川谷の滝●岐阜県揖斐川町西横山、東横山揖斐川北ノ谷川の滝・所業寺の滝・橋川谷の滝・椿井野滝・白糸の滝に逢ってきました。<ジャンル>お手軽系。急斜面系。滝発掘系。<ナビ設定位置(N)>https://yahoo.jp/
【5】より続く。スピンオフの草ヒロが迎えてくれた、ちょうどその前には、右上に上るスロープがあった。ちなみに直進する狂小屋方面、どえらい激藪に見えるが、それはそう見えるだけ。上を窺ってみると、なんかある。これは見に行かないと。スロープ上からすでに、かつての生活の痕跡?が点在していた。「すでに」と書いたのは、この上の平場全域にいろんなものが落ちてたから。で、上がってみると、そこにあ
【13】より続く。時刻は9時12分。狂小屋を後にしてから21分、進軍開始からは2時間48分。タキマタ谷出合を後にし、いよいよ目的の三連廃橋への最終区間へ。…なんだけど、いきなりストップ(笑)。ここで、来ていたシャツを脱いだ。結局天気予報通りのド晴天となってくれたおかげで、もっと涼しい服装にチェンジしがてら3分ほど休憩。どうせこの道を戻ってくるので、シャツはこの木に引っかけて日干ししておくことにした。おっちゃんのウェーダーと同じ手法で(笑
【4】より続く。【序】を含めると今回第6話になるが、こっからようやく本番って…(笑)。時刻は7時42分、進軍開始から1時間20分。ここからようやく本番、旧来の林道上を辿っての、狂小屋への道程となる。今や現世と切り離されたこの道、廃道となった際の名称は「町道扇谷奥山線」だった(かなり後に改めて触れる)。しかしそれ以前、かつての名称は「徳山村道狂小屋線」だったようだ。ここで確認しておく、現在位置はコチラ。ゼンリン地図だと橋が描かれている。おっちゃん
【9】より続く。カラカン谷の対岸(右岸側)平場に向かって渡渉しながらの、上流側。実に気持ちのいい景だ。そしてこちら、下流側。というよりは、もうすぐそこで扇谷に流入している。左手に見えるのは、橋を渡って作六ツシへと向かう道。カラカン谷の護岸石積みが、そのまま道の土留めにもなっているのがわかる。前回に、古地図では狂小屋の橋の位置が違うと書いたのだが、先の写真の様子を見ると
【11】より続く。時刻は8時51分。渡渉して廃道に入ってから1時間9分、進軍開始からは2時間27分。狂小屋を後に、更なる進軍を開始。目指すは…三連廃橋。こんなん貼っても、見えないか(笑)。拡大して見られる方はご覧いただきたいが、道路の表記はここ狂小屋までとなっている。が、これから辿る作六ツシまでの道も、かつては車道であった。ここで、新たなるスクショを。再び扇谷右岸へと渡り、さらに遡上してゆく。その先には
【12】より続く。狂小屋を後にして14分後の9時5分。ここも最初から気になっていた、扇谷・タキマタ谷出合の建物と橋へと到着した。狂小屋と作六ツシの中間地点となるここ、特に固有の名称はないようだ。記事ではなんと呼べばいいかな?やっぱ「タキマタ谷出合」が無難か。ここには、なかなか素晴らしいものが残っていたのだが、それはまた改めてもっと後に採り上げるので、今回はスルーしておく。なにか写ってても、まあもうちょい待っててくだされ(笑)。まず
【序】より続く。5時50分、探索のベースとなるこちらに到着。場所はココ。ゼンリン地図にはまったく描かれていないが、【序】で示した通り扇谷姫街道橋西詰から扇谷右岸へと上る道があり、それを道なりに進むとここに着く。ここは、櫨原望郷広場。水没した旧徳山村の八集落には、それぞれ付近の高台に望郷広場と名付けられたスペースがあり、このような望郷の碑が設置され、住民による碑文とありし日の集落の家並みを示す地図などが書かれている。左下に「現在地」
【10】より続く。狂小屋散策の仕上げは、もちろん、橋。カラカン谷を再度渡渉し、橋に正対。航空写真でこの橋を見つけたことで、がぜんやる気が出た。そういう意味では、大きなモチベーションとなってくれたわけなので、とっても会うのを楽しみにしていた。前々回くらいに書いたとおり、たぶんそう面白くない橋なんだろうな、とは思っていたが、やはりその通り。ガードレール欄干のシンプルなコンクリート桁橋だった。こっからの四枚は実は帰り
【注意】どの滝に逢いに行くコースも季節、天候、水量、気の緩み等で大事に至る事もあります。行かれる方はお気を付けて自己責任でお願いします。◎2023年10月8日メンバー単独ヤマビル遭遇しなかった。<今日の一枚>・二番滝◆揖斐川町倉ノ谷①一番滝のつづきです。●岐阜県揖斐川町春日川合長谷川倉ノ谷二番滝に逢ってきました。<ジャンル>沢登り系。急斜面系。バリエーションルート系。<参考ルート><行程>一番滝の穴を見て進んでいくと・二番滝
2019年8月3日、ホハレ下見のついでに色々徘徊した際に見つけた物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、档鳥坂隧道緊急訪問、木之本町黒田の半廃地下道、熊川の人道兼用水路橋。ホハレ峠の下見前に道の駅にトイレを借りに行った際、何かが見えたので、戻りに寄ってみた。国道303号を外れて旧道に入ると、ほどなく現われるこの分岐。ここを左へ降りていくと、アレにつながってるようだ。進んでいくと、ほんの100mほどでこんな橋に行き当たった。ああこれだ、
2021年5月4日、ここ最近めっちゃ気になっていた場所へのアタックを勢いで敢行した、その記録を記事にしておく。その場所とは…旧徳山村某所。今宵はまず、テンションを共有していただくため、つらつらと前説などを。全村まるごと徳山ダム湖に没した…はずの旧徳山村域ではあるが、ダムの湛水域よりも標高の高いエリアは当然水没せずに残った。そんな、旧徳山村八集落の中で唯一水没せずに残った門入とその先を探索したのが2019年9月に敢行した門入~戸入アタックだったわけだ。
日曜日…今日は雨確定の天気予報。まだ大丈夫なうちに山登りしました。今日は下山ルートを変更したので2キロほど余計に歩いて疲れました。山の裏側に出たので茶畑が…若葉が芽吹いてきてます。もう茶摘みですね!下山ルートから山をぐるりと回って戻ってきました。途中でいい香りがしてきたので…誘われるままに、本年最初のウナギを…😅特重、昨年から385円アップ😰でも、やめられない😅炭焼きの香ばしい香り😀昨日一食だったので許されることでしょう😅いつもどおり、美味しくいただきました。
ちょっと変則な形で先行してしまったが、改めて2019年9月25日に敢行した岐阜県揖斐川町は門入(かどにゅう)・戸入(とにゅう)へのアタックの模様を連載でお送りする。拙ブログ界隈では完全に後発なのだが、簡単に前説を。2008年に完成した、日本最大級のダム、徳山ダム。かつての徳山村全村が、そのダム湖(徳山湖)に沈んでいる。八つあった旧・徳山村の集落のうち、唯一水没を免れたのが標高約440mの門入なのだが、集落への道路も湖底に沈んでしまうことから、門入の住人もまた、集落を離
【3】より続く。安モンのカプセルホテルみたいなタイトルすんません(笑)。二基の沈下橋を後にしてようやく立つ、門入のメインストリート。寂れた映画館とバーが5~6軒…もありそうにない(浜省フリーク向け・笑)。この道は町道で、右(西谷川下流方向)に行くと戸入へ、左(西谷川上流方向)に行くと、先ほど橋から見えたように、数件の家屋があり、さらにその先、集落最奥部にはヘリポートがある。そしてそのさらに先と、うーんと先(笑)に、橋が一基ずつ架かっている(これらは航空写真で確認できた)
【11】より続く。13時2分。わたくしをさらに奥地へと誘い込む新たなる罠、登場。町道の新旧付け替えポイント。もちろん先人の記事で見たことはあった。地理院地図リンクはコチラ。ちなみに、四度目登場のこれで見ていただくと、こう。青色が現在地だが、赤色、すなわち先ほどまで見てきた未成道の終端との至近っぷりが伝わると思う。これはやはり、ひと続きの道として建設されたうちの戸入側は供用され、門入側は何らかの事情で放棄された、という流れだと思いたくなる。放
【6】およびスピンオフ其の弐より続く。待ち伏せていた草ヒロと語り合いながら、ふと気づいた。崖の下に…建屋がある!これでもよく見えるところまでちょいと移動して撮ったもの。そうだ、そうだった。忘れかけてたが、ここは…。覚えておられるか、【序】で示したこの地図。下に見えた建屋は、これだ。ちゃんと地理院地図にも載っているやつ。気になっていたし、もちろん通りすがりに立ち寄ってチェックするつもりだったが…なんと
【12】より続く。町道旧道の水没地点(地理院地図リンクはコチラ)にて、時刻は13時16分。さて、こっからどうするか。とりあえず、愚直に来た道を戻る気にはなれなかった。あわよくば…おっ。ここならイケそうやな…。この上には現道が走っているのだが、絶壁だったりあるいは落石防止フェンスが設置されていて、登れるところがなかった。唯一、端点近くのこの場所だけ、フェンスに少しだけ切れ目(写真右上)を発見したのだった。最初の大きなミスは、ここだった
【1】より続く。7時4分、ホハレ峠を出立。標高814mのここから440mの門入まで、場所により勾配を変えつつ黒谷に沿って下ってゆく。往路の前半、比較的下り勾配のきついパートは特に、ゆっくり行こうと決めていた。昔取った篠塚杵柄じゃないが、御嶽でのバイト経験から下りというのがテキメンに足に来ることはわかっていたし、復路に足を残しておくためには、最初に我慢しないといけない。ここは、拙ブログ界隈でご存知の方も多いパート、写真主体でお送りするが、参考に撮影時間
【5】より続く。いきなりこの写真から。ここは、門入の集落はずれの町道上。ここで、長靴からスニーカーにチェンジ。そして、どうせピストンが確定している道なので、当面不要なものはこの場所に残していくことにした。ただ、この日は電線の保守?修理で門入に工事業者さんが入っていたので袋にまとめて、路肩の木の根もとに。こうしてみると、不法投棄のゴミにしか見えない(笑)。ちなみに、長靴は引き続き携行していく。出番があるはずだったので(謎)。11時ジャ
【4】より続く。建物を避けるように側面から回り込んだその奥に、橋があった。この「集落家並図」の下端、「じんだ橋」の位置にある橋だ。また、ゼンリン地図ではこうなのだが、コレは気になる。なんか、橋が二本並列するように描かれている。現地の様子からみて、これ明らかな間違いだと思えるのだが…。橋のたもとには、仏さま。このように、完全に民家?のすぐ裏。上の家並図で「じんだ」の屋号を持つ家の跡地に建てられていると思われるが、私有地感がキ
【6】より続く。11時45分。二つめの「ちゃんとした橋」が登場。上の写真左端に写りこんでるのは、おぞましい廃道と化した、林道?作業道?の入り口。地理院地図にも載っている道だが、完全に死んでる。この橋、桁の間に他では見たことないほどの大きな隙間があった。二輪車だと命取りになるレベルだと思うけど…放置っすか?11時49分。土日山荘以来の、建物。ここには人の気配があった。
【9】より続く。構成上、今宵は少し短め…時刻は12時30分。ダム工事に伴う付け替え道路の未成区間と思われる平場、その西端に位置する小屋の廃墟へと向かう。踏み跡さえも全くない激藪の斜面を登攀したのだが、この斜面が…つうか、ここからしばらくの一帯には、(同業者ならわかるであろう)あのトゲトゲの植物が群生していてかなりウンザリさせられた。痛いし引っかかるしで、マジうざい。あれほんと嫌い。わずかな距離を登るのに5分もかかったが、ようやくそばまで接近。下
【13】より続く。この日の最終到達地点にて。休憩(笑)。のんびりしてる場合か!とお叱りを受けそうだが、実は門入到達時に黒谷の沈下橋で休憩して以来、まともな休憩を取っていなかった。さすがにいささか疲労感と空腹を感じたし、しっかり歩くために少々休憩が必要だ。ということで、足を休ませながら、おにぎり2個を食した。ここであと1個残しておいたおかげで、この4時間半後、貴重な食糧になったわけである(苦笑)。休憩時間は8分。でもリフレッシュできた。
【7】より続く。立石谷ロックシェッド先の「全面通行止め」区間を過ぎたところに、見えてきた標識。そこに書かれていたのは、「ここから先は、徳山ダム工事道路です。」対して裏面には「ここから先は、町道立石谷~斟酌線です。」山神さんも書いておられたが、こんな何もない道の途中でいきなり道路管理者が変わるとは意味不明。ひとつ思ったのが、もしかするとここ、門入と戸入の境界なのでは?ってことなのだが、電子地図では境目がど
【8】より続く。境谷橋東詰から草藪をかき分け、近づいてきた旧橋。遠目の印象どおり、赤色の鋼桁によるガーダー橋のようだ。ちなみに、「旧橋」と読んではいるが、状況的にそうであろうと思われるだけで、確証があるわけではない。さらに接近。橋上は激藪で覆われ、親柱や欄干といった高欄は見当たらないようだ。赤い桁をよく見ると、文字が書かれていた…が、痛恨の手ブレ。これは正直凹んだ。あんなとこまで行って(死にかけて)、メイ
【10】より続く。今回同じような写真ばかりです(笑)。トゲトゲ植物の猛攻撃に辟易しながら、目前の激藪を突破すると、下半身でおさまるくらいの藪になってくれた。そして広がる路盤跡。やはり、二車線幅くらいはあるように思える。立派な道になるはずだったのだろう。そして、今いるこの場所、路盤よりも高いように思えた。少し進むと、ダム湖がチラ見え。電信柱も見える。そう、この下に現道(一応)が走っているのだった。確かこのあたりで、大きな段