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昼寝の最中、鉄が鳴り響くような、ブォーン、ブォーンという低く、不気味な音を聞き、目を覚ましました。体を起こすと、ルームメイトの太った黒人のB子と、別の部屋の女性が私の部屋におり、B子がトイレの便器に、顔をつっこんでいました。私が2人に「何やってるの?」と話しかけると、「トイレの便器の穴の水を抜いて、下の階の男性囚人と話してるの😍」これ、アメリカの拘置所や刑務所おなじみ、“トイレット・トーク”と呼ばれ、上の階や、下の階にいる異性の囚人と、便器の穴🚽を通し
私は大部屋から小部屋へ戻りました。とにかく疲れていて、昼寝(おそらく夕寝?)をしたかったのです。2段ベッドの上の段に上り、少し眠りました。日本の刑務所ドキュメンタリーは規則でとても静かですが、アメリカの拘置所はヤンキー高校の修学旅行のようにうるさいです。みんなダンスしたり、ケンカしたり、とにかく騒がしく、頭が痛くなります。浅い眠りの中、3人部屋のもう1人のルームメイトが戻ってきました。(やはり名前をどうしても思い出せないので、B子にします。)痩せた黒人のA子が、「新しいルーム
ティナは「ついてきな!」と私を電話に連れて行き、どこかに電話をしました。私はティナがどこに何の為に電話をしているのか全くわからず、ティナに聞かれるがままに、私の名前や住所、夫の電話番号を教えました。電話の最後にティナは電話の相手に、「本当、あなたは最高ね!会ったことはないけど、Iloveyou!」次にティナは私の夫に電話し、「今から言う電話番号にかけて。話は通したから。担当の名前は、◯◯よ。」と伝えました。それからティナは私に「Bailbondsに電話をしたか
私は拘置所の小部屋で、ルームメイトのA子と少し話した後、また大部屋に出てみました。すると…まるで転校生の初日のように、若い黒人グループに取り囲まれました。ちなみに刑務所のドキュメンタリーでは、必ず白人グループと黒人グループにくっきり分かれていましたが、ハッキリと、まではいかなくても、確かにだいたい分かれているように見えました。私は食事中に、大部屋に何人いるか、白人、黒人、ヒスパニック系の割合を数えてしばらく覚えていましたが、今となってはどうしても思い出せません。私の大部屋はだい
今回、A子に似た雰囲気の女性の写真を探す為に、黒人女性のマグショット(逮捕時の写真)を検索しました。アメリカでは、インターネットで、名前と生年月日と、「犯罪歴」を検索すると、カンタンにインターネット上で、刑務所や拘置所のウェブサイトにヒットし、個人の犯罪歴が見つけられます。一度でも逮捕されると、こうやってカンタンにインターネットの「犯罪者リスト」で見つけられます。拘置所の犯罪者リストはインターネット上で公開され、誰でもアクセスできます。私ももちろん載っています、名前と生年月日、そし
アメリカの拘置所ではじめてのディナー。こんな感じで並んで、ディナーをいただいて、大部屋のテーブルで自由に食べるスタイルでした。ディナーは何だったか覚えていないので、アメリカの検索エンジンで、適当なものを表示してみました。パンが2種類?列に並ぶと、ルームメイトのA子(痩せた黒人)がピッタリ私にくっついてきました。ああ、そうだ、「一緒に食べよう」と言われていたんだ…と思っていたら、A子から「ねえ、凜。もしお腹がいっぱいだったら、食べないぶんは私に少しちょうだい?」あ
私は拘置所の電話で、夫に向かって、「ふざけるなー!!!」「ご、ごめんなさい!」「何でこの私が逮捕された!?お前は自分でその鼻を殴っただろ!」「いや、そんなことはしてない!」拘置所で大声を出すとに大問題なります。看守が来てしまう…その時、私の肩を叩いたのは、看守ではなく、黒人の50歳くらいの女性。「Hi,私の名前はティナ。さあ、電話を切って。私の部屋に行こう。」私に向かって足早に歩いてきた看守に向かって、その黒人女性は、「私がtakecareするから。大丈夫、
2日目の朝、私は裁判所に呼ばれました。また手と足に手錠をかけられ、その他、大勢の収容者たちと。裁判所の法廷で男女に分かれて座らされました。裁判官が来る前、収容者たちは、久しぶりに見る異性に浮かれたのか、みんな騒いでうるさかったです看守が時折、「静かにしなさい!」と言いますが、何故かそのあと、必ず看守がジョークで、「ここは裁判所よ!普通はオドオドするものよ!…初犯の場合はね。」などとジョークを言うので、収容者たちはまた大声で笑い、ますますうるさくなるばかりでした。裁判官を
拘置所を保釈され、待合室で待っていると、ドア越しにこちらに向かってくる夫と子供の姿が見えました。子供たちはこの場所に、殺人犯や凶悪犯があふれているなんて知らず、無邪気に小走りに走ってこちらに向かっていました。今でも覚えている、無邪気に走ってくる子供たち。ちょっと言葉では表現できないので、中略。私が夫に最初に言った言葉は、「のどがかわいた、ドクターペッパーが死ぬほど飲みたい。」それ以外にかける言葉はありませんでした。夫は何かを言っていましたが、話をしたくなかったです。拘置所の
パトカーで連行され、連れて行かれたのは、拘置所。日本だと逮捕されたらまず留置所になるのでしょうか。私の場合は拘置所でした。アメリカの拘置所は、刑務所と変わりません。まず身体検査。ドキュメンタリーで観ていたものと同じく全裸になります。ドキュメンタリー番組ではドラッグを隠していないか穴の(笑)隅々まで調べられていますが、おそらく私は初犯で、ドラッグ案件でないからか、全裸を見せただけでした。画像はありませんでしたが、こんな格好で全裸になりました。次に囚人服を渡されました。テレビ
次に小部屋へ案内…いや、連行されました。まさにこれとほぼ同じ2段ベッドでしたが、私の拘置所は、入り口の壁沿いにもう1つベッドがあり、3人部屋でした。3人部屋の画像がどうしても見つかりません。こんな感じで、入り口の壁沿いに、もう一人寝れました。私は2段ベッドの上の段でした。2段ベッドの上段には窓があり、一瞬喜びましたが、窓からの景色は、何もありませんでした。夜は、窓の外がひたすら闇のように見えて、滅入りました。しかも2段ベッドのハシゴはなく、身長の低い私は苦労しました。登る
アメリカの拘置所で、大部屋へ。まさにこんな感じで2階の吹き抜けがあり、小部屋に分かれていました。小部屋は3人部屋で、部屋がいくつあったか、この大部屋に何人いたか数えましたが、どうしても思い出せませんアメリカのドキュメンタリーでは、新入りが入る度に、大勢から「F***you!!!」「来るんじゃねえよ!」みたいに罵声を浴びせられていましたが、私の場合、アジア人が珍しかったのか、みんな興味津々で、罵声は浴びせられませんでした。写真はまあキレイに見えますが、私の拘置所は全
3人部屋の拘置所の私のルームメイトのひとり。2段ベッドではなく、こちら側で昼寝をしていた、痩せて、死んだ魚のような目をした黒人女性。名前がどうしても思い出せないので、A子と表現します。A子は、何故か上半身裸で、おっぱい丸出しで寝ていました。ダルそうに体を起こし、挨拶をしてきました。A子が重度の薬物依存症だとはすぐわかりました。拘置所でドラッグを断たされた為、死んだ魚のような目、呂律が回らない、落ち着かない話し方、不健康に痩せ、小刻みに震える体、(薬物依存症は太っている人
夕飯の後、私はまた疲れてしまい、(何であんなに疲れていたのか意味不明。)また2段ベッドの上で横になり、少しウトウトしていました。後でシャワーは浴びようと思いながら…確か他の人の小部屋に入ってはいけないと言われていたはずでしたが、代わる代わる他の人が入ってきて、修学旅行の夜みたいにギャーギャーうるさかったです。すると、イキナリ静かになった…と思っていたら、ビーッとサイレンが鳴り、ガチャッと部屋が施錠されたのがわかりました。私は飛び起きました。「もう大部屋に出れないの?」「
拘置所に入れられる前に、「ご飯は食べたか」聞かれました。気づいたら、朝から何も食べていなかったので、食べたいと伝えました。私ははじめての拘置所ご飯をこちらに投稿するにあたり、食べたアレをどうしても画像に載せたかったのですが…。おそらく豆を煮たものですが、食べ物の名前がわかりません「どうしよう…検索して画像を載せたいのに…。」と思いながら、アメリカ版ヤフーで、「jailfood」と検索してみたら…2発目で出てきましたまさにコレ豆の味がしました。あと、このスポンジケーキ
突然、逮捕された私。その逮捕の理由は…家の外の警察官の近くになんと、さっき車で逃走したはずの鼻血を出した夫の姿が。警察官は、私に向かって、「あなたを家庭内暴力の容疑で逮捕する。」夫は自作自演で、おそらく自分の鼻をパンチして、鼻血を出していました。米軍基地で、ケンカの通報があったとなれば、処分されるからです。私は、「私は一切手を出していません!今まで一度も夫に手をあげたことはありません。身長180超えの軍人に、とてもじゃないけど手をあげることなんてできません。」警察官は