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まさお君のように犬らしく、ラブラドールらしく、自分らしくいられるようにまさお君の台湾バージョン表記の【雅夫】から【雅】をもらって、2012年の寒い、寒い1月の秋田県に産まれ、僕のお家へ【春】にやってきたので「雅春=まさはる君」と名付けました。今日、水戸市でイベント中、妻から「ずっと息が荒いよ。動けない身体をなんとか動かして、玄関向いて、ピーピー言って、パパのこと呼んでるよ。」というLINEが届いていた。ペット同行避難セミナーの講師を2回終えて、水戸から
10日の夜、まさはる君の「ハァ、ハァ」という荒い息で何度か眼が覚める。まさはる君も寝れていない様子。11日も暑くもないのになんとなく息をするのが早い。12日の午後、日向ぼっこのついでに病院へ。検温、触診、血液検査、各内蔵器のエコー検査、体温が39度6分、ちょっと高い。胸部のレントゲンを撮影。【肺炎】でした。血液中の酸素濃度90%。95%以上が正常値なので、肺炎のせいで低酸素状態だったので、やっぱり苦しかったね。この肺炎は悪性リンパ腫が
お読みいただきありがとうございます。2019年6月に結節性リンパ球優位型ホジキンリンパ腫ステージⅣを発症。2度の抗がん剤治療で寛解に至らず、2020年10月に1度目の余命宣告。2022年2月には2度目の余命宣告で「余命半年」を告げられました。病気のことや、1人娘の風花に向けたメッセージを綴っています。最初のブログはこちら↓加治川健司『聞きたくなかった《余命宣告》』人生には《聞きたくない言葉》がいくつかある。《余命宣告》もそんな言葉の1つだろうね。そ
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と二度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)初めての入院で出会った仲間いつからか隣のベッドの小さな女の子と私は仲良しになっていました女の子のお母さんがいる時病院の中を車椅子を押しながらお散歩することもありました小児がん治療前の楽しかった思い出です骨折で入院していた女
今朝、まさはる君のウンチが出る音で目が覚めた。汚れていたところを拭いて、オムツを替えてあげて1日がスタート。もう、すぐそこの水の器がある場所までも行けず、自分で飲めなくなったので定期的にスポイトで飲ませてあげてます。東京の今日は雨。気温も下がるため「カートdeデート」は中止。まさはる君は悪性リンパ腫による全身性の炎症から肺炎を患っており、「カートdeデート」の後はちょっと息が荒くなるため、【酸素濃縮器】をレンタルし、そこから出ているチューブの先をスープカップの
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と二度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)悪性リンパ腫の治療開始小児科に移動して生検の検査結果を待たず悪性リンパ腫の治療が開始されることになりました当時の主治医は私は病名が確定するまでに時間がかかった一刻を争う可能性がある生検の結果を待たず出来ることをしましょう
こんばんは!眞田丸です。きょうは夫が寝かしつけを担当してくれるとのことで、いきなりリビングで一人です。ぽつん。実は夫氏(パパはプロレスラー⬇︎#PR笑)、吉野達彦【欠場中】|大日本プロレスofficialwebsiteシングル王座GWC認定シングル王座歴代第8代対戦相手BJW認定ジュニアヘビー級王座歴代第5代対戦相手青木優也解説ガッツワールドでデビューし、同団体のエースに登り詰め熱闘を展開してきたが、bjw.co.jp今年1月の半ばに出場したプロ
2021年1月、血液の癌、悪性リンパ腫、ステージⅣと診断されました。2021年の元旦初詣に行った時のショット^_^約5ヶ月間の抗がん剤治療(化学療法)をして、昨年(2021年)7月5日に担当医から「ほぼ寛解」といわれました^_^悪性リンパ腫は再発率が高いとの事で現在は、2ヶ月おきに1回(全12回)、外来で分子標的薬を点滴しています。今月7クール目です!来年の夏には終わるかな^_^これまでの、悪性リンパ腫のことを少しずつブログで綴っていこうかと思います。よ
以前、私は『皆様良いお正月でしたか?僕は訳あって「吉」とは言えませんでした。でも、必ず良い方向に向かわせます、必ず』というブログを書きました。そこには悪性リンパ腫と闘い続けた最愛の妻と、仕事を断って妻に寄り添って看病をしていた自分がいました。しかし、令和2年4月1日午後5時9分、約3年半の闘病生活を続けた妻は他界しました。半年たった今も、必死で頑張った妻の姿が瞼に焼き付いています。私に尽くしてくれた最愛の妻の写真に「ありがとう」と言い続けている毎日です。《年の経ば
現在、犬の命を最も奪っている病気ってご存知ですか?悪性腫瘍=「がん」(54%)で、第1位。(2位:心臓病17%、3位:腎臓病7%)一口に「がん」といっても、細胞レベルの話なので皮膚上にできたり、血液にできたり、骨にできたり、内臓にできたり、さまざまあります。まさお君が悪性リンパ腫によって7歳半。まさはる君が悪性リンパ腫によって11歳2ヶ月。まさお君は異変があってから2ヶ月足らず、まさはる君は僕が首のリンパ節の腫れを見つけてから5ヶ月で虹の橋の袂へ行っ
『安楽死について。』僕は、現在の動物医療では回復への手立てがなくなり、食べることも、飲むこともできず、生きていることが、ただ痛く、苦しいだけなら「安楽死」という選択肢も考えていいと思います。もちろん、そうするのも、しないのも飼い主さん家族が決めていいと考えています。これまでわんちゃんに何を食べさせようか、わんちゃんと何処に行こうか、散歩は何分ぐらいにしようか、エアコンは何度にしようか、わんちゃんのことを全部決めてきたのは飼い主さんですよね。そして、それは全てわんち
1年になりました悪性リンパ腫で入院したのが去年の12月19日ーーーちょうど1年前です外を歩いて、紅葉を、外気を愛でることができる体になって本当に幸せです今、病と向き合っている皆さんも、今の医療と、薬と、そして自分の生きる力をどうか信じてください「明けない夜はありません」「やまない雨もありません」「神様は乗り越えらる試練しか与えないのです」これらは1年前にSNSで私が皆さんから頂いた励ましの言葉の数々です私はみなさんからのこうした言葉に支えられて.今があると思ってい
一昨日撮影したレントゲン写真が届きました。因みに以前の画像は↓こちら。その頃のCTも参照しますと腫瘍の大きさがわかります。CT↓こちらです。赤丸で囲った部分が腫瘍です。胴体の幅の1/3くらいあったのですね。こうして見ると随分改善されてます♬私の抗がん剤治療は、この腫瘍が消えたら終わりではなく、消えてからも抗がん剤を2クール投与するのだそうです。もうしばらくの辛抱、、、かな?
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と二度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)死を間近に感じた別れ#1治療が始まり顔と体が少し浮腫む以外大きな副作用はなく体調が良い時は病院の中を探検したりして過ごしていました小児病棟の子ども達の日常小児科では子ども達の話し声や笑い声が響き体調が良い子はプレイルー
2019年6月21日紹介状と医療機関報告書を携えK病院へ。改めて読むと怖い文面。こういった画像を治療中に何回も見せられたけど自分は最後までよくわからなかった。お父さんは、君のことが好きだったよ。「余命半年」の父が娘へ残すことばAmazon(アマゾン)この日は血液検査と鼻にファイバースコープを挿入しての検査のみ。なので診療科は耳鼻咽喉科。検査を経て診療科がどんどん変わっていくのが悪性リンパ腫あるあるなんじゃないかとおもう。ガン治療で何が1番痛かった?と、たまに聞かれるけどこの日
2019年6月25日何の病気に罹っているのか?検査の日々が始まった。21日の血液検査の結果。可溶性IL-2Rの数値が高いですね。お父さんは、君のことが好きだったよ。「余命半年」の父が娘へ残すことばAmazon(アマゾン)検査項目はエコー、CTといった馴染みのあるものから、何故かHIV検査、更には穿刺吸引細胞診という読み方すらわからないものまで多岐にわたった。7月5日。検査と検査の待ち時間中に血液内科の医師室に呼ばれた。初めて入る血液内科。挨拶を済ますと穏やかそうな医師はこう
まさはる君、病院へ行ってきました。まさはる君の左前脚の腫れの経緯を説明すると、2月20日(月)の7回目の抗がん剤治療の後から左前脚の肘から下が少しづつ腫れ始め、25日の朝にはパンパンになっていたため、その日、病院へ。これまでの抗ガン剤治療と年齢によって脆くなった血管が破れ、そこから、20日に投与した抗がん剤が漏れ出て、そこの組織が炎症を起こしている=「抗ガン剤の血管外漏出」だろうと。(人間のデータだと、抗ガン剤の血管外漏出の割合は7%未満。人間と比べると体が小さい=
早いもので今日は、まさはる君が虹の橋の袂へ向かってから6日目=「初七日」まさはる君と一緒に悪性リンパ腫と戦った約5ヶ月間の疲れとまさはる君がいない、まさはる君とすることがない虚無感により、夫婦ともに体調を崩しておりますので、本日のインスタLIVE&YouTube同時生配信『松本秀樹の犬のことなら何でも聞いて!!』はお休みとさせていただきます。楽しみにしていただいていた皆様、申し訳ありません。「お休み」と言えば・・・あまりに申し訳ないので、「
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と2度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)死を間近に感じた別れ#2閉め切られたカーテンの向こう側普段のように過ごしていたある日突然看護師さんが小走りで来て部屋のカーテンを閉めました『病室から出ないでね』看護師さんはひと言って立ち去りました私は初めてのことに困惑
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と2度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)死を間近に感じた別れ#3初めての別れその後看護師さんに促され病室に戻った私少し時間が経った頃閉め切られたカーテンの向こうで白いシーツを被せたベッドが運ばれていき廊下で泣いていたお母さんがベッドの後ろを歩いていく姿が見えました私は
2019年7月5日「加治川さんは悪性リンパ腫のステージⅣになります」想定外のタイミングでの告知だった。そして想像以上にあっけらかんとした口調だった。それは初めて入ったラーメン屋さんで「当店のお勧めは塩ラーメンになります」と大将に言われた感じに似ていた。まぁ無理もない。自分にとっては人生で初めてのガン告知だが、医師にしてみれば何百、何千と告知する1つに過ぎないのだ。いちいち感情移入していては身がもたないだろう。お父さんは、君のことが好きだったよ。「余命半年」の父が娘へ残すことば
鳴り止まないSNSの通知音に改めて、我が子を誇らしく思いながらもうまさはる君のいない、まさはる君に「おやすみ」と声をかけて横になる。何時に寝ても4時15分に目が覚めてまさはる君と朝の散歩に行くために着替えようとする自分の身体。もう使うことのないごはんや水の器。まさはる君と一緒に散歩にも行かない、まさはる君のごはんも作らない、まさはる君に水も薬も飲ませない。空虚感に耐えきれず涙が溢れる。まさはる君のいない、まさはる君におでこをくっつけ、「おはよう」と声をかける。「