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こんばんは!眞田丸です。きょうは夫が寝かしつけを担当してくれるとのことで、いきなりリビングで一人です。ぽつん。実は夫氏(パパはプロレスラー⬇︎#PR笑)、吉野達彦【欠場中】|大日本プロレスofficialwebsiteシングル王座GWC認定シングル王座歴代第8代対戦相手BJW認定ジュニアヘビー級王座歴代第5代対戦相手青木優也解説ガッツワールドでデビューし、同団体のエースに登り詰め熱闘を展開してきたが、bjw.co.jp今年1月の半ばに出場したプロ
4日前のお昼頃から鼻血が続いています。と言っても、激しかったのは1日目だけであとは鼻の中でグズグズグズグズマスクを外すと鼻から滲んだ鼻血が見えちゃうから気をつけないと、事情を知らない人が見たら驚くねわたしはリンパ腫の中でも節外性NK/T細胞リンパ腫、鼻型というタイプでリンパ腫の腫瘤を作ったのが鼻の右副鼻腔だったので放射線を照射しました。個人差があることなのですが、わたしの場合は鼻の皮膚が治療で一部溶けてしまったためかとても
こんばんは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と二度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)10歳で小児がんになった私伝えられた病名は【悪性リンパ腫】医師『背骨の内側、背骨の肺の間に腫瘍があります』神経のすぐ近くにある腫瘍は進行するにつれて神経を圧迫し背中や肩から胸の肋間神経を刺激している今までの痛みがなんだ
お読みいただきありがとうございます。2019年6月に結節性リンパ球優位型ホジキンリンパ腫ステージⅣを発症。2度の抗がん剤治療で寛解に至らず、2020年10月に1度目の余命宣告。2022年2月には2度目の余命宣告で「余命半年」を告げられました。病気のことや、1人娘の風花に向けたメッセージを綴っています。最初のブログはこちら↓加治川健司『聞きたくなかった《余命宣告》』人生には《聞きたくない言葉》がいくつかある。《余命宣告》もそんな言葉の1つだろうね。そ
旦那は精神科に入院してからも…プレイボーイDr.の病院に抗がん剤治療を受けに行っていました。⤵︎『「あの人」の元へ……。』『精神科病院に入院するにあたって浮上した2つの問題。』『担当の精神科医とのドキドキのご対面。』『次は…精神科病院の閉鎖病棟の見学へ!』『イケメン保健師さんと、…ameblo.jp飲み薬のテモダールと言う薬と点滴のアバスチンと言う2種類の抗がん剤治療をしていました。旦那の病気、悪性脳腫瘍神経膠芽腫グレード4において…抗がん剤と言うのは…あくまでも再発
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と二度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)悪性リンパ腫の治療開始小児科に移動して生検の検査結果を待たず悪性リンパ腫の治療が開始されることになりました当時の主治医は私は病名が確定するまでに時間がかかった一刻を争う可能性がある生検の結果を待たず出来ることをしましょう
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と二度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)死を間近に感じた別れ#1治療が始まり顔と体が少し浮腫む以外大きな副作用はなく体調が良い時は病院の中を探検したりして過ごしていました小児病棟の子ども達の日常小児科では子ども達の話し声や笑い声が響き体調が良い子はプレイルー
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と二度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)初めての入院で出会った仲間いつからか隣のベッドの小さな女の子と私は仲良しになっていました女の子のお母さんがいる時病院の中を車椅子を押しながらお散歩することもありました小児がん治療前の楽しかった思い出です骨折で入院していた女
先週まさはる君との朝の散歩から帰った時に、脚を拭くついでに色々と全身チェックをするのが日課になっているのですが、全ての脚を拭いて、次に下顎を拭きながら触った時に、小指に何か硬いものが当たる。しかもその硬いものは両側にある。僕も素人ではない。場所が場所だけに目をつぶって深呼吸をして、自分を落ち着かせる。とにかく病院へ。まさはる君が生まれてからずっと診ていただいている主治医の先生も同じ見解。「とりあえず、病理検査しましょう。」そして、その病理検査
みなさまはじめましてわたしは多和田奈津子と申します。16歳の時に甲状腺がん25歳の時に悪性リンパ腫(節外性NK/T細胞リンパ腫、鼻型)を発症しました。おかげさまでリンパ腫の治療から今年で丸24年が経過し25年目に突入しました!!このたびご縁があって、ブログを開設することになりました。甲状腺がんのことリンパ腫のことその後の生活のこと・・・などなど綴っていけたらと思います。一患者の経験が、お役に立てたら幸いです。
手術から1年半私が左足の股関節に異常を感じてから10年近く痛みと折り合いをつけながら日々を過ごしました茅原ますみ『第11回《変形性股関節症》について』長くお付き合いしました写真は大事なお友達からのプレゼントテレビ東京を卒業し手術を前にいただいたものの1つですじつは私は変形性股関節症と約10年お付き合い…ameblo.jpテーマを変形性股関節症で検索してくださると続きを書いております結局たまたまですが会社を卒業するタイ
もうっ!!どうして?朝、目覚めた時に左を下にした姿勢だったからでしょうか。起き上がった途端、体の左半分に浮腫みを感じたので自撮りしたのです。これで精一杯に目を開けているつもりなのですが、浮腫みのせいでパッチリとは開きません。左右不揃いだし!体重も見事に+1kgでした。あーーーーーーっ!やだーーーーーっ!今日は外出許可をいただいて、仕事の打ち合わせすることになっているのに、こんな顔で先様にお会いしないといけないの?毎日運動して、発声練習して、間食を絶ってるのにーーーーっ!打ち合わ
*母の記録*2013年10月29日<名古屋第一赤十字病院血液内科>かかりつけ医での血液検査から尿酸値の値が高く、触診でしこりが固いことから、経過を見ていいのか、取り除くのか、炎症か悪性リンパ腫か、炎症なら痛みがあるはず。再度の血液検査としこりの生検のため、先に耳鼻科に予約を入れてきてくださいと言われました。血液内科にもどり採血結果、異常な細胞が増えている。尿酸値の値が高い場合、高齢の場合は痛風を疑うが急性白血病の疑いも出てきたためすぐに骨
フォロワー様500人を超えました。ありがとうございます。お読みいただきありがとうございます。2019年6月に結節性リンパ球優位型ホジキンリンパ腫ステージⅣを発症。2度の抗がん剤治療で寛解に至らず、2020年10月に1度目の余命宣告。2022年2月には2度目の余命宣告で「余命半年」を告げられました。病気のことや、1人娘の風花に向けたメッセージを綴っています。最初のブログはこちら↓加治川健司『聞きたくなかった《余命宣告》』人生には《聞きたくない言葉》が
今朝、まさはる君のウンチが出る音で目が覚めた。汚れていたところを拭いて、オムツを替えてあげて1日がスタート。もう、すぐそこの水の器がある場所までも行けず、自分で飲めなくなったので定期的にスポイトで飲ませてあげてます。東京の今日は雨。気温も下がるため「カートdeデート」は中止。まさはる君は悪性リンパ腫による全身性の炎症から肺炎を患っており、「カートdeデート」の後はちょっと息が荒くなるため、【酸素濃縮器】をレンタルし、そこから出ているチューブの先をスープカップの
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と2度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)死を間近に感じた別れ#3初めての別れその後看護師さんに促され病室に戻った私少し時間が経った頃閉め切られたカーテンの向こうで白いシーツを被せたベッドが運ばれていき廊下で泣いていたお母さんがベッドの後ろを歩いていく姿が見えました私は
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と二度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)初めての入院私は医師の計らいで一旦自宅に母と帰宅母は友人を空港へ送る予定があり一旦私を自宅に降ろした家に帰ると昼過ぎだったのかまだ外は明るくて兄弟たちは家に居なくて私は何だか無性に声を出したくなってきて布団の中に顔を埋
2019年6月21日紹介状と医療機関報告書を携えK病院へ。改めて読むと怖い文面。こういった画像を治療中に何回も見せられたけど自分は最後までよくわからなかった。お父さんは、君のことが好きだったよ。「余命半年」の父が娘へ残すことばAmazon(アマゾン)この日は血液検査と鼻にファイバースコープを挿入しての検査のみ。なので診療科は耳鼻咽喉科。検査を経て診療科がどんどん変わっていくのが悪性リンパ腫あるあるなんじゃないかとおもう。ガン治療で何が1番痛かった?と、たまに聞かれるけどこの日
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と二度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)治療が出来ない…私に小児科へ移動になると伝えた主治医その時に先生は母に『僕は治療出来ません、いつか私に出来ることがあればいつでも頼って来てください』そう伝えていました本当に優しい穏やかな先生で出会えたことに感謝しかありませ
結婚記念日のお祝い結婚記念日なんてお祝いはしないと言うご家庭もあると思いますあってもなくてもそれがその夫婦の姿かなと、思う私は決してクールでもカッコつけてるわけでもありませんその夫婦の関係性や在り方によってはわざわざ結婚記念日をお祝いするそう言う必要性がないのかもしれないからですなくてはならないけれど空気のような関係かもしれないし日常が全て夫婦の姿そのものだからわざわざ結婚した日をお祝いしなくても良い…のかも
こんにちは小児がんサバイバー吉野やよいです小児がんの一種ユーイング肉腫ステージ4と2度の余命宣告を経て完治これからお話しする内容は私が10歳で余命宣告を受ける前から遡って書かせていただいています(小児がん治療中病院の駐車場で花見)死を間近に感じた別れ#2閉め切られたカーテンの向こう側普段のように過ごしていたある日突然看護師さんが小走りで来て部屋のカーテンを閉めました『病室から出ないでね』看護師さんはひと言って立ち去りました私は初めてのことに困惑