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予約していた佳子内親王殿下来年のカレンダーが昨日届きました!!表紙はご存知の通りなのでってまだ袋から出していません!裏から全12ヶ月分12枚のお写真🇯🇵🌟半分折りにされていて下部分が日付けかな?↑この頃の佳子さまとてもお痩せになり服がぷかぷかしていてお労しかった紀子さまもおやつれになられて😭そして現在は休むまもなく全国を飛び回られていて心配ですが環境が少し?はよくなられたのかふんわりやさしい女神さまに戻られた………ように見受けられます
2025年12月13日秋篠宮家の悠仁親王殿下が19歳になられた。現行法下で「次の次の天皇候補」はこの方ただ一人である。皇位継承順位は徳仁天皇→秋篠宮文仁親王→悠仁親王の三名のみ。男系の男子皇族は、もはやこれで尽きる。政府の有識者会議は「旧皇族の皇籍復帰」を最有力案としてまとめつつあるが、私は現場を取材する中で、静かな絶望感しか感じられなかった。まず歴史の事実を直視しよう。「男系継承」は万世一系の伝統などではない。1889(明治22)年制定の旧皇室典範第1条に、初めて「男系ノ男子」と明記されたに
今回の成年式で全体の流れがつかめました。皇室の歴史にとって貴重な儀式が映像として美しく残されることになりました。悠仁親王は常に落ち着いて所作事が全てしっかりと身についていて、本当に頭のいい方なのだと思いました。入場の時です。私にはどうしても天皇皇后の入場の仕方に疑問が残るというか、あまりにも皇后陛下が首をがくがく動かし、とにかくお辞儀をすればいいんだなと頭にあるのがわかって、「ひどい」と思いました。リハーサルなしなのですから、ちらちらとなりを見てマネする。いつもの皇后でした。懐から紙
約30分の動画です。この動画は全ての日本人が知るべきものです。是非、ご覧下さい。【動画主皇室徒然記様の一言】ハンディキャップ論を唱える小和田恒氏はTICADの立ち上げにも尽力していました。自身が語る幼少期、少年時代に見た風景から紐解く人物像。知れば知るほどどうして、小和田雅子入内を止める事ができなかったのか・・・。《書き写し》※所々、省略しています<(__)>9月12日、日本記者クラブで小和田恒氏は会見を開きました。外務事務次官、外務省顧問、国連の特命全権大使、
筑波大NGT事件裁判の主な結論は『筑波大NGT事件裁判のまとめ』2025年11月27日付け最高裁決定により、東京高裁(控訴審)判決が確定しました。この裁判で明らかにされたことは、以下のよ…ameblo.jpで述べたが、不可解な謎が残された。東京高裁での口頭弁論は、控訴審としては異例なほど時間と回数と手間を重ねて行われ、裁判所の指示で大学が開示した文書に、大学の手続き的不正の決定的な証拠があると原告(私)や代理人が指摘して、多くの人が大学の敗訴を予想した。その時点で、結審
悠仁親王殿下成年を祝う午餐会に出席9月10日。石破首相夫妻や三権の長などを招いての午餐会が明治記念館の金鶏館で行われました。金鶏館というのは、明治14年に仮の皇居として明治憲法の草案などを作った場所という皇室とはゆかりの深い場所。そして「鶏」はめでたい印だそうです。素晴らしい部屋ですね。紀子様も佳子様も着物。午餐会とはいえ、本来は着物なんだろうなあ・・・・ねえ石破夫人。ネクタイは父と息子でお揃い「成年の皇族の一員として、公的な場所にも出席することが増えてくることと思い
最近の悠仁親王殿下に関する報道。少し気になっていることがあります。今回、関西万博にお出ましになられたのですが、報道内容に少しだけ思う事があります。それは、愛子さまに関する報道と比べて簡潔すぎる~ということです。愛子さまの場合は何かがある度に【速報】として大々的に報道されます。しかし悠仁さまの場合は、各社が簡潔にしか報道しませんし、写真も少なくて、ブログ記事を書く時に非常に苦労します。ただ嬉しい事にSNS等を覗くと、一般の方が悠仁さまの動画
加冠の儀まず、秋篠宮両殿下が入場されましたね。紀子様の重厚なドレスの本当に美しいといったらないなと。優雅で上品で少女のように愛らしい妃殿下。私は皇后陛下のドレスにびっくりしましたよ。え?ツーピースで何で胸にひらひら?ああいうデザインが好きなのはわかるけど。これが未成年のお姿です。闕腋袍に空頂黒幘の冠をつけています。この装束の色がこのように鮮やかであったとは。夏装束だからなんでしょうね。山吹色なのかな。装束の☓は高倉流、着付けは山科流だそうです。「本日は成年式にあたり