ブログ記事1,444件
何年会ってなかろうと、3番目に起きた発病には衝撃と同情と少しでも力になりたい、、と思った。その日から末っ子ちゃん(妹)と私へのLINEが毎日、山のようにやってきて、電話もジャンジャンかかってきて、そして会って話し合う忙しい日々。①医師に、サポートセンターに、看護師に、、、言われたあれこれ、、、が、3番目はどれも納得できないのだ。その場ではわかった、、みたいに黙って帰ってくるのに、後から必ずやらやらになりどう思うかと訴えてくる。インフォー
やっとやっと決まったーー!そう思ったのも束の間。次の日にはまた覆った。セカンドオピニオンは治療が遅れるからいや。チームの違う先生に変更もインターンや新米の人もいるかもだから不安。あちこちの病院に電話してみたけど(あちこち???)入院してからでも医師を変えれるってどこでも言われたから、一応このままいこうかと思う。(あちこちじゃなく今の病院に聞けー)えー?と思いながらも本人が決めたことが一番いいに決まってる。翌日には、やっぱり変えたい。えー
先日から、なんだか急に突然にまいにち~まいにち、♪僕らは鉄板の上で焼かれてやになっちゃうよ・・・・このフレーズが頭から離れなくなった。これって「およげ!たいやくん」だっけ。小さい頃、子供番組??で流れてた?家にレコードあった気がする。歌詞もメロディも全部は覚えてないので途中で歌えなくなる。ついに調べてみたよ。あ!このイラスト覚えてる。(画像お借りしました)動画で聞いてみた。。。。。切なくなって涙がで
有給休暇更新にあたり、期限切れで消滅してしまいそうな有休が2日あり、今日は消化の為、急にお休みをもらえた。めちゃ久しぶりにコメダ愛強すぎコメ子とデート。もちろんお昼はコメダ(笑)卵トーストサンドを食べたけど悲しい実感。私はもうこれを一人前食べることができなくなったんだ。。。って(満腹とおりこす)でね、、題名のお話は、、、隣りの席のじーさん、ばーさん。一目見てわかるほど、じーさんはかなりの高齢。足元はおぼつかず手はブルブル震えてる。ばーさんは
3番目の妹とは(とも)、もう12年かな、音信不通だった。普通に会っていた最後らへんに何度、誘っても断られ続け、諦めて連絡をとらないようになった。それは実家の両親、姉と現在に至るまで続いているこの状態(一度も会っていない)になったそんな辛かったバタバタの時期のことだった。数年前、末っ子ちゃん(妹)から「3番目から、『あいすちゃんに実家にくるように言って。来させて!』と言われた。。」と聞いた。えー、なにその上から目線無視だー!この3番目には小さい
3番目の妹の病気について書こうか書かまいか迷っていましたが、やはり記そうと思います。私の日記のような、備忘録のようなこのブログに。辛かった過去も楽しい思い出も愚痴や弱音、何気ない気持ち、、全部ここに書いてきたから。3番目は治療が非常に難しく、予後の悪い、治癒することもない恐ろしい病気でした。寛解状態を得ることが最大の治療法。5年以上の生存率は50%ほど。(多くの人が再発や合併症で命を落とされるそうです。)小さい時から本当に難しい子で迷惑いっぱ
突然のメッセージに驚きながらもすぐにOKと返事をした。私から一生会わない、接触しない、、と決めてこうなっているわけじゃないから。12年以上ぶりに聞いた3番目の声は聞きなれたようにも感じ、初めて聞く人の声のようにも感じた。良い方の連絡を期待していたが、結果は反対だった。驚きと、そして恐怖に、体中の血がドクドク音をたてて流れていく感じがした。え?!