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すごくドロドロした事を今から書きます。とらちゃんが亡くなった後に母と弟から言われた言葉達がどうしても許せないでいます。亡くなった後「心配だから毎日電話して」と母から言われ3週間近く毎日のように電話をしていました。そして電話のたびに傷つき悲しみは深くなり精神的におかしくなり始めていました。最初の一言は「いつまでも考えていても仕方ない」でした。そこから「大きな遺影なんていらないでしょう」「線香の匂いってイヤだよね」笑いながら「顔も思い出さない」って。
春休みが終わり、新学期が始まって、月曜日〜土曜日までの6連勤。最初の日曜日は念願の孫3号とのご対面孫3号は抱っこしても軽いし、動き回らないから、相手をするのも楽勝だけど、2歳の孫ツインズたちはますますパワー全開1日中、追いかけ回して、バキバキの身体でまた6連勤😭日曜日はゆっくり休むぞ〜!と思っていたら、次男からのLINE。「日曜日、双子、預かれる?」どっひゃー😂2週連続の孫たちのシッターしかも、朝の8時に連れて来ると言うカワイイよ、孫たちは。パパだって会いたいよね。遊びたいよね。
急性心筋梗塞で夫が亡くなりました。なんの前触れもなく、突然のことでした。まれにテレビでは見るけどこんなことってほんとにあるの。今はただ、漠然とした不安と突然のことで、夢の中にいるよう。
パパを火葬したのは月曜日。先週の月曜日の夜は、この長い悪夢が始まった時。パパからの最期のラインパパからの最期の電話パパの死亡(推定)時刻そして病院からの電話火葬に立ち合った親族が帰ったのはまだ夕方だったけれど、すでに私の心臓はバクバクし始めていた。ずっと泊まり込んで一緒に寝てくれていた次男も、明日からは出勤するので今夜は自宅に帰ってしまう。「ママさ~、今日の夜はキツイ。月曜日の夜は嫌だ。パパが死んじゃった時間、辛い」次男に助けを求めてみた。「月曜日は週に1回必ず来るんだよ。月
2023年8月9日突然夫が亡くなったあの日ゴルフに出掛ける夫にトーストとサラダとスクランブルエッグとベーコンヨーグルトと珈琲の簡単な食事を出して私は娘のお弁当を作っていた6時30分「行ってくるわ」と夫いつもなら玄関まで見送って「いってらっしゃい」とキスをして見送るそれが結婚してからの習慣だったなのにその日に限って「行ってくるわ」の声を聴いただけで見送らなかった娘のお弁当に入れる唐揚げを揚げていたからまぁいいかそう思ってしまった私もその日久し
朝から何度も心臓をギュッとされる感じ長くは続かないけれどギュッギュが何度か続く。疲れなのかな。ここのところあまりそういう発作はなかったのだけれど。朝夕の寒暖の差は身体に厳しい😥体調不良を言い出せばキリがないけれど今は病院には行けない。何かあってもどうしようもないから。文太を1人にはできない。何事もなくなるように静かに発作が消えていくのを待ちましょう。とらちゃん見守ってね。何事もないように守ってね。
初めましておくちんですそれは突然の出来事でした夫が急性心筋梗塞で倒れたのですやっと少し私も主人も落ち着いて来て、これまでのいろいろ、私の心のいろいろを少し軽くしたいと思うようになりましたここまでの8か月分、少しずつですが書いてみようと思います重い暗い内容になりますその日は8か月前、昨年の10月31日金曜日の夜結婚して33年、夫は58歳、私57歳息子独身32歳F在住娘30歳H在住(3歳の女の子、1歳の男の子有り)毎週娘たちが泊りに来るのですがその日も来ていましたそ
とらちゃんの息子④からLINEとらちゃんのスマホでやり取りをしていたら『奥さんのLINEを教えてください』(笑)メソメソしていたけれど思わず笑ってしまった。一緒に暮らしているわけでもないし会ったのは4回しかないから呼び方難しいよね。息子①②③は『かぼさん』と呼ぶけれど。なんだかもう死んでしまいたいと昨夜は全然眠れなくてどんよりとしていた朝に新鮮な風が吹いたようでした。私の息子②から『僕ができることは協力するから』とLINEが来た。少し勇気が出たけれど不安
旦那の死因は急性心筋梗塞でした。毎年人間ドッグを受診していて昨年10月のドッグではオプションで動脈硬化も調べていました。特に異常なし・・・コレステロールと血圧は再検査(↑まだ行ってなかった)血圧は毎年高いため、以前は薬を飲んではいましたが最近は飲まなくても落ちついていたので油断していました・・・今思うと旦那が亡くなる前に前兆はあったんだと思います。コロナ禍のため、毎日の検温は日課になっていました。前の週に微熱がありました。36.8~37.1位なんか胸のあたりが変
私には友達がいない。幼稚園。小学校。中学校。高校。その時々に仲の良い人はいたけれど本当にその時々だけであってその先に続いてはいない。仕事をしてもそこで仲良くなる人はいてもプライベートでお付き合いのあった人はいない。私は人に心を開くことができない。いつも人の目を気にしている。子どもの天真爛漫さとか愛されている事の自信もなく大人になった気がする。私には友達がいない。苦しい時に辛い時に話せる相手がいない。寂しい時に一緒に過ごす相手がいない。とら
朝から悩んでやっぱり出掛けようかなぁと。お天気も良いし。携帯の料金を安いところに移行しようかと重い腰を上げてみる。去年、携帯を機種変更した時に「1年後に移行しても・・」という話を店員さんからされていたし。という事で無事に完了!先日買ったお花の一部が首からしなだれています。なんでだろ?前の時もそうなった。同じ日に買ったのに何故?お店を替えてみようかと。むーん。今日見たお花屋さんはオシャレ花屋でバラ🌹とかキラキラ✨️したお花ばかり。母の日仕様らしい。
爺、約10年前!!急性心筋梗塞に!!カテーテル手術?治療?を行いステント(金属性の網目状の筒)が3個入っています😅亡き母は、ステント12個後、バイパス手術を行い、その血管も詰まり更に6個入れてました。現在も毎朝6錠の薬を飲んでます。※昼・夜も血管を拡張する薬を飲むのは勝手に止めてます💦3ヵ月毎の検診と、念には念をとカテーテル造営検査を過去2度行っています。現在に至るまで異状なく過ごせています♪♪😊10月20日定期健診を受け異状なし!!😀血
昨夜はとらちゃんの大きな遺影を私の隣にあるとらちゃんの枕に立て掛けて寝た。私も文太も朝までぐっすり眠る事ができた。目覚めて泣いてしまったけれど。昨日、いつものように母に電話した。要介護1の母。弟が午前中にお菓子などを持って実家に来たと母が言うので「とらちゃんの事伝えた?」と聞くと「言ってない。あんたから言うのでしょう」って。とらちゃんが亡くなって弟にずっと電話しているけれど繋がらない。折り返しもない。別に仲が悪い弟ではないはずなのに。その事は母に伝えて
我が人生で忘れちゃならない通過点なので・・・備忘録10月初旬のこと。。。家族で移動中に胸部などに違和感から始まり、激痛などはないものの苦しさを感じ始めてた。シートベルトの圧迫感がキツイ!!治ったと思うと繰り返す。もしかして?心筋梗塞などで発生する『放散通』では?オーバートリアージで…自己決断!救急隊員時代に胸痛や放散痛から大事に至った人たちを見て来ましたから目的地への到着を待たせるので…一緒に乗ってる家族には申し訳なく思いましたが、直近の総合病院は10分弱で到着できる位置。思
先日ゆうちょ銀行から電話があったので貯蓄についての相談に行って来ました。本来ならバスで行くところですがたまたまバスが来るまでに時間があったのでてくてくと徒歩で行って来ました。大阪に来た最初の頃、バスの乗り方が良くわからなくて歩いて行ってた郵便局です。40分くらいかかります。懐かしい道のり。とらちゃんにラインで画像を送りながら歩いた道。こんな所あるよ。あんな所あるよ。新しい生活にワクワクして歩いた道。その頃はまだこの看板があったねーゆうちょ銀行でち
徒歩9分の最寄り駅のロータリーで長男がタクシーをつかまえてくれた。頑張って走ったから電話を切って10分後ぐらい?あわてて行き先に病院名を伝えたからか、運転手さん、「高速使いますか?少しは早いと思いますけど」と。何でも使って!早く、早く、お願いします!心肺停止と言ったって、こんなに医学が進歩している時代。そんなにかんたんに死んでしまうわけない。集中治療室?いっぱい管がつながってる?今夜は無理でも明日は目を覚ます?20分後、病院に到着した。救急外来の受付で名前を言う。目の前のソファー
本日、ミディアムさんがパパに会わせてくれました😆実を言うと、このミディアムさん、ブロ友さんが教えてくれた方とは違う、でも、YouTubeの「3人のミディアム」の中のお一人で、ブロ友さんが教えてくれたミディアムさんの予約は来月になってしまったけど、こちらのミディアムさんのホームページ見たら、こんなに早く予約出来たので、ついつい申し込んでしまいました😅すごいわ、ミディアムさん!いきなりね、「手とか、熱くなったりしませんか?両手じゃなくて片方だけ。それ、ご主人ですから」だって私、ずーーーっと前
お昼過ぎに警察署から電話がかかってきました。『お預かりしていた薬の検案結果がでましたので、おかえしができます。とりにこれますか?』---------------夫は、44歳の若さでこの世を去りました。朝、夫を起こしにいくと、体が冷たく、息をしていない。119番すると、救急車に加えて、消防車と警察官もきた。その後病院で、死亡確認されたあと、簡単な事情聴取と自宅の捜索をされました。と、いうのも、44歳の若さで持病もないのに、急死するってなかなかないことだから、警察としても捜査が必要&司法
パパがいなくなって2年半、一度もその言葉、聞いたことがなかった。パパと次男は決して悪い関係だったわけではなく(いや、確かにライバル企業に勤めてはいたけど)、結婚して家を出るまでは次男の部屋にはパパの大学時代の神宮球場での宙を飛ぶスライディングキャッチの写真が飾られてたし、野球もゴルフもパパに教えてもらって、社会人になっても、これほど一緒に遊ぶ親子は珍しいんじゃないの?と思うくらい、我が家の休日は家族行動が多かった。それなのに!です。パパのお墓参りね、この2年半、私が「行こうよ」って誘った時
大切な、愛しいご主人を亡くされた方たちは、いつから泣かないで暮らせるようになるのか。私はいつまで泣いて暮らすのか。みなさんのブログを読みあさった。1カ月経っても泣いてる。四十九日でも泣いてる。3カ月経っても泣いてる。半年後も1年後も三回忌でも泣いてる、、、。そうか、、、そーだよね。そんなに簡単にこの悪夢から逃れることは出来ないんだね。
子供たちの到着を待っていると警察官が二人「ちょっとお話聞かせてもらっていいですか?」と住所や今日の朝の様子今までの病気歴など色々聞かれた聞かれるがままにポツポツと答える「医師の所見では致死的不整脈による急性心筋梗塞と思われ他殺の可能性はないと思われます詳しい死因を知るために解剖することもできますがどうしますか」「えっ解剖?嫌です夫を切り刻むなんて生き返るならお願いしますが」咄嗟にそう答えてましたその時は分からなかったけど
警察署でパパが安置されたのは、テント?みたいな所だった。記憶が定かではないので、でも、警察署の建物の外だった気がする。ベッドの前にお線香が焚かれていた。死んじゃった人みたい。「検死は明日の朝、たぶん一番最初にやってもらえると思います。そこで死因がわかれば帰れますが、わからなければ、その後、解剖になって、帰れるのは夕方になってしまうかもしれません」「今日は私もここにいていいですか?」「それは出来ません」え?ダメなの?パパ、一人になっちゃうじゃん!やだ、やだ!ダメ!ダメ!
火葬場の駐車場に着いた。すでに私はもう足が震えて降りられない。長男に助けられて、なんとか地面に降りたけど、動けない。「ママ、ここで待ってる」「何言ってるの。行こう!」長男に手を引かれ、火葬場の中へと進む。最期のお別れ?パパに伝えることはひとつだけ。「ずっと一緒!」焼却炉へと向かう時には完全に腰が抜けていた。両脇を息子二人に抱えられ引きずられ、「パパ、やだ!やだ!やだー!」と泣き叫んだ。重たい私を抱えながら、前を行くパパの柩に向かって次男も叫んだ。「『ママを泣かすなよ!』
昨日から気持ちが落ちてしまいました。なんとなく根拠もなくもう大丈夫だ!と思っていたのですが朝起きて泣いて何かを見て泣いてテレビを見て泣いてお買い物をして泣いて散歩して泣いて寝る時泣いて全てが思い出に繋がってただただ苦しい。楽になりたい。
もしあなたが入院することになってお金に若干の余裕があれば、迷わず個室を選択する事をお勧めします。昼食前に相部屋へと引っ越してきた。部屋はそれぞれカーテンで仕切られている。ガラガラとベッドや小物を入れている小型の収納ごと移動できる。看護助手さんがテキパキと動いてくれてあっという間に部屋の移動が完了した。「頑張りましょうね」と励ましの言葉をかけていただいた。先に入院されている患者の様子はわからないが静かである。まるで茂みからこちらの様子をうかがう獣のような視線を感じつつ昼間の時間
5月1日はハローワークて手続きをした。5月13日はグリーフケアに参加した。5月14日は雇用保険についての説明会のためハローワークに行った。その間には派遣会社から6月中旬ぐらいから始まるお仕事の打診を受けた。泣いているばかりじゃない。生きていくために動いている。とらちゃんが買ってくれた2021年のバースデーケーキいろいろと動きながらとらちゃんが帰ってきたら電車で面白い人を見たことを話そうとか帰りにとらちゃんの好きなパンを買って帰ろうとか今日
飲み会の時の、いつもと、違う夜。20時50分にまだ◯◯駅のトイレにいるなら、家に着くのは10時ぐらいか~朝5時が起床時間の私たちはいつも夜9時半にはベッドに入る。たまにパパの残業で遅くなることはあるけど。酔っぱらいのパパはイビキが凄まじいので、今夜は10時半にベッドに入れたとしても、寝れないだろう月曜日から寝不足は、今週キツイな~ケータイでゲームをやりながらリビングのソファーでパパの帰りを待つ。時計を見る。9時50分。もう少し。時計を見る。10時5分。そろそろ。時計を見る。10時10
ほどなく実母と実弟が到着した。次男と嫁ちゃんも到着した。パパとの対面。集中治療室とか、そんなんじゃない。ただの処置室みたいな所。ベッドに寝てるパパ。少し口を開けてる。眠ってるの?パパ?手を触った。もう冷たい。パパ、パパ、パパ!「もう少ししたら帰る」って言ったじゃん!パパ!パパ!パパ!起きて、パパ!なんで?なんで?ウソでしょ?ウソだよね!パパ~!!!!!お酒飲んだのに、イビキのひとつもかかない、ただ静かに眠るパパがいた。
パパが亡くなった翌週は仕事を休むことに決めた。心配してくれている友達が食べ物を持って来てくれたり、スーパーへ買い物に出る以外は、パパのお骨を抱っこして過ごした。やらなければいけない手続きや作業は1日に1つだけ頑張る。無理しない。パパのお骨を抱っこしながら、やっていたのはもう、ひたすらケータイで「夫突然死」の検索。この先、私はどうなるのか、どんな道を行くのか、何もわからない。道標が欲しかった。この後、私に起こりうることへの対処方法が知りたかった。そして、たどり着いたのが「死別ブログ」。
「警察の方が少し話をしたいそうですが大丈夫ですか?」そんな声をかけられた、気がする。廊下に出ると刑事さんらしき人が二人。「◯◯駅の中央改札を出た所のショッピングモールの方に階段があるんですが、ご主人はそこに座っておられたようで。立ち上がった時にそのまま倒れて、イビキをかかれていたので、目撃していた方がすぐに近くの交番に知らせてくれて。でも、その時にはもう心肺停止状態だったようです」パパはトイレを出て、階段で休んで、家に帰ろうと立ち上がってくれたんだ。「もう少ししたら帰る、って電話くれ