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急ですが、空くん、7歳5ヶ月の人生を全うしました。立派な最後でした。応援して下さりありがとうございました。元気玉募集したかったのに、アメブロの調子が悪くて投稿できず…出来ていたらと思っていますが、、、後の祭りですね。今日は日中、みんなで桜を見に行きました。ママの1番大好きな場所に行ってました。しだれ桜のトンネル最高の笑顔を見せてくれて、最後の最後まで普通に過ごしていました。家に帰ってきて、浣腸して、お昼寝して、普通に夕方の注入をして、注入が終わったあと、ちょっとオエーっとして、
一部、変更しました。本日、起きるべくして事故が起こってしまった。第二子、一歳4ヶ月。慣れからくる、完全なる私の不注意だった。20:30台所仕事をしていた時にシリ子と餅男にブドウを渡した。(普段、餅男は歯が上下生え揃いブドウは上手に噛んでいた。)その直後餅男が冷凍ブドウを飲み込み詰まらせてしまった。私が台所仕事をしている時に振り返ると、詰まらせて苦しそうな餅男。オエ!オエ!とえずくがブドウは取れない。背中を叩いても、後ろから胃を押してもだめ。大変や!お風呂からち
3月31日火曜日。こうへいが旅立った日。こうへいに何が起きたのか、未だにわからない・・・AM5時40分いつもの目覚ましタイマーで目が覚めた私。すぐに起きればいいものを、スマホを眺めていた。AM6時10分再び目覚ましタイマーが鳴り、体を起こした。あれ??いつもなら既に起きて、着替え&朝ごはん(注入)&吸入をしているのに、音が聞こえない。リビングに行くと、カーテンは閉じたまま暗かった。珍しいなぁ。パパが疲れて起きないだけか
https://x.com/jinkouzouka_jp/status/1867053023673061814?s=46おばあちゃんがいるからと、23歳の娘に新型コロナワクチン接種を促したお母さん娘はワクチン接種後、半日足らずで死亡心臓マッサージする度に、口からオレンジ色の泡が出たこのような悲劇が日本中で起きている。仙台駅前にて(2024.12.7)https://t.co/9M9kIM8fm2pic.twitter.com/NWuIvQdBAC—藤江成光@日本人、謎の大量死
やめて・・・鷲掴みにするなんて・・・あああん・・・もっと優しくして・・・そう、両手で・・やさしく触って・・・そう、そう、上手よ・・・・ああん・・痛い!!やだ!!乱暴にしないで・・!!!タケシったら、ひどい・・・ひどいよ・・・!!ちょっと、なんか・・・恥ずかしい・・見ないでってば。や~だ・・・!もう、ジロジロ見ないでよお~ちょっと、タケシってば!心臓マッサージの練習とか言って、触ってるじゃん・・!!も~、エッチなんだから・・・♡
今朝6:25、まだ外は薄暗い時間、サチュレーションモニターのアラームが鳴った。ミルクをつないでいたパパが対応。いつもUの体動でセンサーがひろえなくて鳴ることが多いので、またそれかと思ってたら、SPO2がみるみる下がっていき、明らかにいつもと違う。パパが慌てた様子でバギングを始めたので、横で寝ていた私も慌てて起きて、部屋の電気をつけた。すると唇が真っ青でぐったりしているUがいた。バギングしてもサチュレーションがあがらないので、カニューレを確認するとさきっぽが完全に気切の外に抜け出
ご訪問ありがとうございます病院へ行く予定だった前夜、母の容態が悪くなり、救急車を呼ぶことになりました。でもコロナ禍で救急車がなかなか来ません。続きです。前回の話はこちら⬇️『特養の母、緊急事態!!』ご訪問ありがとうございます久しぶりの面会で、母の様子の変化に気がついた私はケアマネさんに電話をしてみました。ケアマネさんも母の体調の変化に気がついていて、私に…ameblo.jpヤキモキしていると救急車がやっと来たと連絡が入った。救急車にはユニットのスタッフではなく、別の階の夜勤シフトだった
2017.12.25出産から10時間後の朝方やっと1時間寝ることができた。1時間だけなのに一晩寝たくらいの感じ。朝食を食べ診察を終え、外出許可をもらって旦那と病院に向かった。病院までは車で20分程。移動はさすがに車イスだった…早く会いたい触りたい抱っこしたい不安な気持ちを抱えながらも13時間ぶりに我が子と対面した。会いたくて会いたくて生きてる姿を見てホッとした。でも…一体何本の管に繋がれているんだろう。テレビで見たことある痛々しい姿。辛そう。。胸にアザができてい
発達障害児専門の父からのアドバイス(以下、関西弁)もし、主治医の先生の許可がとれたら、その場で説明を録画、録音したり、メモを出して記録するようにするといいで。蘇生後の回復期はまだいろんな刺激を区別出来きらないので疲れやすくて、よく寝ていることが多いで。この眠りが回復に必要やし、無理矢理起こす必要はないで。時間をかけて、脳の修復をしていくのですぐに結論を出さずに、今は見守ってあげることが必要やな。とにかく、こどもは刻々と変化するしな。それに合わせて、主治医の先生の話も
忘れないように…時系列で記載しておきます。(自分のため)20:00お昼寝から目覚める。注入が終わってたので片付けようとした矢先、サチュレーションアラームが鳴る。50台ゴホゴホしたから、痰が絡んだかなと思い吸引、ちょっと粘っこい気がする。顔色も悪い。20:31訪看さんに電話小さい声で誰だか分からず、とにかく早く来て下さいと叫んでいた。その後、サチュレーションが50から30にだんだん下がる。顔色も悪く20:39119番通報1番
4月17日(火)7時33分ひかたんがお空に旅立ちました。16日(月)は記事にも書いた通りひかたんは穏やかな顔をして調子も良く一緒に抱っこしながら過ごしていました。退院の目処もたっていて私たちの希望としては家族みんなの風邪がしっかり治ってから連れて帰りたかったので土日あたりにしてもらおうかなぁなんて話をしていました。ひかたんも少し痰と鼻水が多めではありましたが、熱もなく呼吸状態も非常に安定していたので、明日からお風呂にも入りましょうと看護師さんと約束をして帰りました。今思えば…いつも家
先日、旦那さまも病院に行くことが出来たのでお腹の子が産まれてからのお話し合いをしてきました。メンバーは我ら夫婦といつもの産婦人科の先生、初めましての小児(新生児?)科の先生、助産師さん、雰囲気的に研修医の先生と誰か。診察室そんなに広くないので(お、おおっ人口密度高!!)ってなりました。お話し合いの内容はおなかの子の産み方や産まれてから治療はどこまで行うのか、といった内容でして…いやー、キツかった例えば呼吸が出来なかったらすぐに処置をする必要があるわけですが、
【回想】3週間前のこの時間…8月29日04時00分…(ミルク時間用の目覚ましが鳴る…)ママ『パパ起きて、魁成が冷たい』『ねー、魁成が息してない…』『どうしよう、パパ起きて』パパ『何、貸して…(瞬時に魁成の異変に気づき、妻から魁成を引き取る)』ママパパ『魁成、魁成、魁成起きて』ママ『ねー、魁成起きてよ』ママ『どうしよう、どうしたらいいの』パパ『119番通報して、俺心臓マッサージするから(沐浴のために準備したタオルケットの上で心臓マッサージ開始)』ママ『電話できない(
75歳で認知症と診断され、医療保護入院→老健→入院を経て、2024年5月、77歳で亡くなりました。それまでの経緯とこれからの事を記録していけたらと思っています。母が亡くなった事をどの様に記載するのが正しいのか、この数日考えて来ましたが、医療に対する考え方や死生観も皆さん一人一人違うと思うので、このブログを書く事で誰かに嫌な思いをさせてしまったり、今、必死で1分1秒介護と向き合っている方々を傷つけてしまう様な事があったら本当に申し訳ないのですが…私の個人的な意見だと思
35才の時、今から約9年前。(2011年)私の心臓は止まった。父が亡くなって2ヵ月程してからのことだった。店の片付けを終えて、住まいでガーリックピザをトースターで焼いて晩ご飯にと食べていた。そこまでは記憶がある。気付いたら病院のベッド🛌隣には妻がいた。丸4日経っていた。私「あれ?ここは何処だ?」妻「わかるの?おとうさん!」とナースコールを押す。直ぐにガタイの良い女性の看護師がやってきて、今にも泣き出さんばかりに妻に「よかったね。良かった
実家から数メートル先の駐車場にパパが車を取りに行き実家の玄関先で車を停めてくれるのがいつもの帰宅パターン数分待っても来ない・・外に出て車がやって来る方向を見るが来ない・・私の妹が見に行ってくれた嫌な胸騒ぎがしたのを覚えている見に行ってくれた妹が遠くから私の方に向かって叫んでいる『パパが』その一言で私は普通じゃない何かが起こっていることを理解した猛ダッシュして停まっている車に行くとパパが運転席で座っている・・助手席の方に顔を向
バタ!と音がして、犬たちが一斉にさわいで、急いで見たら、【ポンタ】が倒れてた。顔は上げてたが、目の「まばたき」が、不自然。本人も、、、何が起きたか、分かってないみたい。この子は、1年3ヶ月前、「心肺停止」になって、、、俺が、無理やり「蘇生」して、死ぬのを食い止めた。この子は、軽度だが、心臓の【僧帽弁】が悪い。あれから1年以上なんとか生きたが、そろそろ要注意や。今日にも、死ぬ可能性ある。今、立ち上がって、、、
2017.12.26低酸素状態による脳へのダメージを抑えるために行われる治療法に低体温療法がある。体温を35度まで下げた状態で72時間。その後ゆっくり体温を戻していく治療法。小児科ドクター(後に主治医となる先生)が産院に到着したのは海琉が産まれてから18分後。その時すでに心臓マッサージがされていた。この時のアプガースコアは1点。(この1点はかろうじて心拍が60を切っていなかったこと)低体温療法ができる条件も色々あって海琉は条件を満たし低体温療法ができる病院に救急搬送され、生
説明不足がありましたので補足させていただきます。多くの方が疑問をお持ちのように、私も疑問を持ちましたので先生に質問していたのですが「なぜ急にこの様な状態になったのか?前兆はなかったのか?」について、うろ覚えのざっくりとしたご説明をいたしますと「血管が頑張ってなんとか血を流していたところに、限界がきて一気に症状が出た」という感じのご説明でした。なんとか流れていた川の水が、ある日土砂で堰き止められて流れなくなった感じですねですから胸の腫瘍により血管が潰され、血液が流れなくなっ
閉鎖病棟に入院していて、自室で自殺をするとは思ってもいませんでした。認識不足、知識不足でした。(ここからは、私が引きずられない為に、吐き出させてもらうので、読まれることで、ご気分が悪くなるかもしれません。読む・読まないの選択を慎重にお願いいたします。)病院へ到着すると、パトカーが停まっているのが見えました。心の第一声は「あぁ、あの病棟なんだな」でした。タクシーを降りると事務長が出迎えてくださいました。診察室にとおされ、数分待ちました。その後、今から病室へ向かいますと言われ、閉鎖病棟へ移動しま
夜中、病院からの電話「容体が急変して、心臓マッサージを受けました。先生から説明があるので病院に来てください。」「大丈夫、大丈夫だから…」って自分に言い聞かせながら夫、長男と深夜の病院へ…まだ重篤な状態は続きます。と先生に言われ、ずっと側にいてあげたいけどそれもできず、説明→5分ほど次男と過ごし帰宅。ずっと心臓を鷲掴みにされているように苦しい。先生からの、苦しい状態が続いた、苦しくて泣いていたって言葉を思い出して辛くなる。でも、苦しいの、痛いの、辛いの、全部私じゃなくて次男。めちゃ
先日、徳島市の消防署で受けられる普通救命講習を夫婦で受けてきました私は資格でこの講習が必須で、県立防災センターでも受講したり、今まで職場や研修でも防災訓練、避難訓練、AEDや心肺蘇生法と実習してきました。でもいざという時にちゃんとできるのか不安はあるので、自らも講習参加してます。胸骨圧迫は本当に力がいります。助かる命は本当に救いたい。救急救命士の方に直接教われる無料講座なので、ありがたいです。訓練で非難シューターを滑ったことがあるが高さがありとても怖かったんだけど、でも本番ではそんな
当然のように、新聞やテレビは報じませんしかし、これは現実なのですよ23歳のお嬢さんが2回目の💉接種後半日足らずで亡くなったそうです部屋に行った時は殆ど心肺停止状態心臓マッサージする度に口からオレンジ色の泡を…次から次から…こんな恐ろしい被害が出ているのに何故厚労省は止めないんでしょう?#医療利権#製薬利権#滅べ自民党https://t.co/nUAClMhJkvpic.twitter.com/kDXemFVBrr—jurian🌸(@juri_piyo
📩◾️『愛する家族を喪うとき』(保阪正康/講談社現代新書)1997年8月20日第一刷発行日本の近・現代史を再考する週一回のTV番組をよく視ている。その番組の講師を務める保阪氏。綿密な取材と深い学識に裏づけられた沈着冷静な語りに惹き付けられている。その保坂氏の24年前の著作です。1993年からの約3年半の間に相次いで、御子息、妹御、そして御母堂を亡くされた記録である。《平成5(1993)年2月26日午前2時半、わが家の電話が鳴った。担当医が、息子の容態が悪化したというのである。
死んじゃってる動画もアップしてるので衝撃的かもなので見たくない人はスルーでお願いします。昨日帰宅したら冷たーくなって固まってたハム助。心臓、お腹、、冷た…冷たすぎて何しても動かない。死んでしまったと思いました。今までにはない冷たさだし"臭い"もあった。これは誰が見ても死んじゃってるよね。。諦めずに温めて心臓マッサージ動いた??!!生き返ったんですよ。ダメかと思ってたからこの後少しずつ命を戻しながら動きがカタカタ変だったけど回復していった。24時間たった今は
コザクラインコのライムちゃんが急逝しました。心臓の発作だったようです。カゴにおやすみカバーをかけて就寝中の午後10時頃、カゴから「バサッ!」という音と、激しい呼び鳴きが聞こえました。カバーを外すと、ライムちゃんが仰向けで、羽と足をこわばらせて倒れており、レモンちゃんが心配そうに呼び鳴きしていました。「!!心臓止まってる!?人間ならAEDが必要な状態!?」と思い、ライムちゃんのお腹を必死でマッサージしましたすると、パチリと瞬きし、足も動き始めました。くちばしも冷たかったので、手のひ
娘は移動され、ちょっとした小部屋にストレッチャーごと運ばれた。私はまだ起こし続けてた。抱きついたり、叩いたり。ほっぺたをつついたり。手をつないだり。耳のガーゼは真っ赤に染まってた。枕替わりのタオルも真っ赤になっていた。でも、顔も手も足も身体もキレイ。多少の擦り傷はあるものの、骨折も1つしてなかった。胸元にあるキズは心臓マッサージをしたときにつけたと説明されていた。ほんと頭だけだった。ほんまどんなコケ方したん。。。。私は娘の側と救急入口とをいったりきたりながら旦那
母が突然逝ってしまいました施設に入所していたのですが昔から母は朝にお風呂に入るので入所してからも習慣を変えない方が良いと施設のご配慮でその朝も入っていました要介護3ということもあり髪や体は週に2回職員さんが一緒に入って洗って下さっていましたがその他の日は一人でお湯に入るだけだったようです母は浴槽に沈んでいるのを職員さんに発見され意識がなく施設内で救命措置をしつつ救急車を呼んだと姉に施設から一報が入り私は姉から電話を受け急いで京都へ向かいました私は
朱里くんが死んでたこと、忘れないうちに書いておかねば…10月24日夕方出先から戻って朝から白くなってた朱里君を見たら「ぉ、今脱皮中なのね」と1枚パシャリ📸さー風呂へ入ろうと、もう一度見たら同じ体勢あれ、こんな目したことないあれ、全く動いてないえ?朱里くん?????手に乗せても全く動かないえ?死んだの?うそでしょ?脱皮の皮が喉に引っかかった?口鼻を塞いでた?ダランとしてまだ柔らかかったけど全く動かない体決定的だったのが口の中が青かったうそでしょ!?やだ!