ブログ記事112件
曹渓寺(チョゲサ)から仁寺洞キルを歩くのが定番コースで、明洞方向に向かおうとしたら変更された石碑を見つけました順和宮(スンファクン)址憲宗の後宮である慶嬪(キョンビン)金氏の祠堂である順和宮があった場所だ<石碑より>25代憲宗には子供がいなかったため側室としてキョンビン金氏を迎えました憲宗は彼女のために昌徳宮内に楽善斎(ナクソンジェ)を造り憲宗も多くの時間を楽善斎で過ごしたのだとかこのことからも分かるように憲宗は彼女をとても大事にしてい
韓国に帰国(到着)した徳恵翁主(トッケオンジュ)。2人の娘である正恵。武志との結婚記念に建てられた碑(対馬)。女子学習院の制服を着用。●韓国帰国後の住居=昌徳宮(チャンドックン)内、楽善斎(ナッソンジュ)。●墓所=徳恵翁主墓(トッケオンジュミョ)。
宗正恵の幼年時の写真「いいね」、「リブログ」、「ペタ」大歓迎です(`ー´)ノバンコク在住のじゅーざです。宗昇(そう・のぼる)という詩人がいます。本名は鈴木昇。大韓帝国皇帝だった高宗の末娘である李徳恵(徳恵翁主)の娘である宗正恵(そう・まさえ)の夫だった男性で、義父である宗武志(そう・たけゆき)元伯爵と同じ詩人として活動しています。鈴木昇は1931年9月5日生まれ。奇しくも宗武志・李徳恵が結婚したのと同じ年に生まれたんですね。そして長じて1955年に早稲田大学英文科を卒
バンコク在住のじゅーざです。ウィキペディアの『徳恵翁主』の項目に若干追加と変更。ポイントは、1)「童謡の天才」→「童謡の姫君様」2)黒沢隆朝の「びら」の作曲時期を1925年8月から1924年に変更し、御前演奏の事実を追加。3)徳恵・宗武志の一女正恵の遺体が発見されていた事実を追加。1)、2)はここで書いているけれど、3)だけは今まで書かれた本は無いように見えます。まあ本馬恭子著『徳恵姫』が発行されたのが1997年ですが、遺体が発見されたのは、行方不明にな
アンニョン(^-^)ノいつも、おおきにでございます父の妹にあたる叔母夫婦が大阪なのですがスケジュールを調整して叔母夫婦の家に泊まってシネマート心斎橋さんにこの作品を観に行ってきましたシネマート心斎橋さんの壁がねーキム・ナムギルさんでえらいことになってます(´∀`*)時代に翻弄されたひとりの女――ラスト・プリンセス-大韓帝国最後の皇女-激動の人生を駆け抜けた徳恵翁主の衝撃的な運命とは…ラスト・プリンセス大韓帝国最