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2022年3月6日(日)水戸藩の歴史の最後は、徳川ミュージアム。水戸徳川を学んできた集大成。2日間何を学んできたか、試される・・・なんてことはない。しかし、3日間どっぷり、繰り返し学んできたので、水戸藩の歴史、なかなか理解してきたで~徳川ミュージアムには、徒歩で向かう。その道程にけっこうな開花率の梅林が?!いろいろ梅林田鶴鳴梅林~猩々梅林~窈窕梅林を抜けて歩く。このあたりの梅林は、偕楽園より開花が進んでいる。梅を愛でるために、思い思いに散歩しているひとたち
「和漢朗詠集」の巻上は「春」の「立春、早春、春興」から「冬」の「霰、仏名」まで季節の進行にあわせて漢詩の佳句と和歌が並べられている。「端午」の頁を開くとまず時有つて戸に当つて身を危(あや)ぶめて立てり意(こころ)無し故園に脚に任せて行(あり)くという句が出てくる。菅原道真の「端午の日艾人(がいじん)を賦す」という詩である。艾人とはどんな人かと思ったが、「艾」はよもぎであり、艾人とはヨモギを束ねて人の形にした物。「荊楚歳時記」には五月五日に戸に掛けておくと、邪気を払い家を
常陸太田市です山の探索を楽しんでいます山道は良いぞ棚谷神社につきました徳川光圀の名が出て来ましたここから上るよう古い石段です滑りそうだわゆっくりと手すりを頼りに上りますまだ先長いぞちょっとした高さがあるそろそろ開けて来そうです見えてきました一気に開ける視界正面に拝殿
水戸の常盤神社この日のウォーキング。スタートはJR常磐線の偕楽園駅です。ちょうど梅まつりのこの時には、JRの特急が停車するので助かります。JR偕楽園の駅を出てすぐのところに常盤(ときわ)神社があります。明治初年義公(第2代藩主徳川光圀公)・烈公(第9代藩主徳川斉昭公)の徳をしたう多くの人達によって偕楽園内に祠堂(しどう)が創立されました。その後、明治6年に常磐神社(ときわじんじゃ)となりました。義烈館は光圀公・斉昭公の遺品など水戸史学
不朽の娯楽時代劇「水戸黄門」のモデルとなった水戸藩の第2代藩主・徳川光圀が、まだ若かりし頃の話です。―夜更けて浅草の堂に御休ありしに、一人の御連此縁下に非人共の臥たるぞ、あれ引出し給ひ刀ためすべしと申さる…(『井上玄桐筆記』より)ある夜更け。光圀が悪友たちと浅草あたりの堂でつるんでいると、連れの一人が「この縁の下に非人どもが寝ているようだ。その刀を試してみろ」とけしかけました。つまらん事を…と、光圀ははじめ断りますが、連れが「なんだ、ビビってるのか」と囃したてると、「そこま